サウジアラビアの北西部に位置する地域で,メッカ,メディナの二大聖地,外交・港湾都市ジェッダ,〈夏の首都〉ともなるターイフなど重要な地域を含む。北はヨルダン,南はアシール州との間に境界をもつが,西のナジュド地域との区分は明確でない。ジェッダ北方のヤンボー港は,メディナへの巡礼客の出入口として栄えた。ヒジャーズ北方は,アラビア半島南部とアフリカ,インド方面と地中海方面の中間に位置するため,古来,中継貿易が行われ,この地を介してユダヤ教,キリスト教が伝えられた。中継貿易に従事していたクライシュ族出身のムハンマドが,ユダヤ教,キリスト教の教義を取り入れて一神教イスラムを唱え,クライシュ族の言葉がコーランを通じてアラビア語の基本となった。外界との接触の多かった住民は,コスモポリタン的性格をもち,内陸部とは異なる気風が育った。しかし,ヒジャーズの政治的権力は永続きせず,ウマイヤ朝,アッバース朝,ファーティマ朝,オスマン帝国などカリフを自認する諸王朝は争ってこの地の支配権を求めた。第1次大戦後の1918年,クライシュ族の子孫でありメッカのシャリーフ職にあったハーシム家がイギリスの支援のもとにヒジャーズ王国を成立させた。
しかしナジュド地方で勢力を増していたアブド・アルアジーズ・ブン・サウードはやがてハーシム家と対決,24年にこれを打倒し,ヒジャーズを支配下におさめた。ヒジャーズ支配をめぐるアブド・アルアジーズとイギリスの対立はその後も深いしこりを残し,のちにアメリカが石油利権を獲得する一因ともなった。ヒジャーズには憲法,議会,軍隊が存在し,行政機構もかなり整備されており,32年に成立したサウジアラビアの統治機構整備に大きな影響を与えた。なお,オスマン帝国は1908年,ダマスクスからメディナに達するヒジャーズ鉄道を完成させたが,メッカまでの延長が実現しないうちに,第1次大戦中,イギリス人T.E.ロレンスに破壊された。
執筆者:浅井 信雄
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サウジアラビア西部の地方名。アカバ湾とアシール地方の間の細長い海岸地域をさす。ヒジャーズとはアラビア語で「障壁」の意。紅海に面したティハーマとよばれる平野部と、それに並行するヒジャーズ山脈からなる。ヒジャーズ山脈は、南部のアシール地方の山々に連なり、イエメン共和国まで1800キロメートルにわたって延び、海からの湿った風を遮る自然の障壁となっている。ヒジャーズ地方にはイスラム教の聖都メッカ、メディナと、それぞれの外港であるジッダ、ヤンブーがある。これらの都市が位置する海岸平野部の気候は乾燥酷熱で、年降水量は100ミリメートル前後であり、夏と冬の温度差が小さい。それに対しヒジャーズ山脈では気候がやや温暖で、オアシス農業が行われている。とくにヒジャーズ山脈南東部のターイフでは、夏でも気温が40℃を超えることがなく、サウジアラビアの避暑地となっている。
[片倉もとこ]
アラビア半島西岸の地域。現在はサウジアラビア領。イスラームの聖地であるメッカ,メディナを擁し,古くから巡礼の出入口として栄えた。また商工業都市としてジェッダ,ヤンブー,ターイフなどがある。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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