イギリスの挿絵画家。ブライトンに生まれる。ロンドンの保険会社の事務などを勤めたのち、1891年バーン・ジョーンズの勧めで画家となる決意を固める。ほとんど独学でラファエル前派やホイッスラー、日本の浮世絵版画などを消化し、独得の繊細なスタイルを築いた。92年に出版者デントから依頼されたT・マロリーの『アーサー王の死』の挿絵を皮切りに、93年創刊の『ステューディオ』誌や、オスカー・ワイルドの英語版『サロメ』(1894)、『イエロー・ブック』誌(1894創刊)、『サボイ』誌(1896創刊)などの挿絵や装丁の仕事で、大胆に省略されデフォルメされた形体と流麗な線描、白と黒の鮮やかな対比によって退廃の雰囲気を色濃く漂わす独自の世界をつくりあげ、ワイルドとともにイギリスの世紀末、いわゆるイエロー・ナインティーズ(1890年代)を代表する人物となった。98年、肺結核のため南フランスのマントンで亡くなったとき、いまだ25歳の若さであった。
[谷田博行]
『S・ウィルソン著、中川伸子訳『ビアズリー』(1985・岩崎美術社)』▽『大森忠行編著『ビアズリーのイラストレーション』(1970・岩崎美術社)』
アメリカの美学者、哲学者。エール大学で博士号取得(1939)後、スワースモア大学、テンプル大学の教授を歴任。アメリカ美学会会長(1967~1968)。ウィムザットWilliam K. Wimsatt Jr. (1907―1975)と共同執筆した『意図の誤謬(ごびゅう)』『情緒の誤謬』で、批評の根拠を創作家の意図や鑑賞者の印象から切り離し、作品自体の批評に向かうことを主張。また、主著の『美学』(1958)では、芸術作品の構造を解明し、心理学的美学に対し、メタ批評としての哲学的美学を提唱した。彼の思想には、インガルデンの層構造の理論、ストローソンらの言語哲学、デューイの道具主義的思想などの影響が認められる。
[相沢照明 2015年10月20日]
『Monroe C. Beardsley, Elizabeth L. BeardsleyPhilosophical Thinking : An Introduction (1965, Harcourt, New York)』▽『Monroe C. BeardsleyAesthetics from Ancient Greece to the Present : A Short History (1966, Macmillan, New York)』
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… 19世紀のアカデミズムや自然主義に抗して出発したこの傾向は,油絵などアカデミズムの強い領域ではなく,ポスターや挿絵,工芸など,周辺の応用芸術,装飾芸術の分野にあらわれた。そのため,アール・ヌーボーの表現には強い装飾性がみられる(ビアズリー,ミュシャなど)。また,アール・ヌーボーは平面そのものの独自な意味をとりもどし,それを明快に分割することで,新しい視覚的秩序をつくり出そうとする。…
… イギリス美術の造形的・様式的特質としては,色彩よりも線,とりわけ曲線のもつ表現的,装飾的,あるいは象徴的効果に対して敏感であることがあげられる。この傾向はケルトの装飾写本から,ホガースのいうS字形の〈美しい線line of beauty〉を経てブレーク,さらに19世紀のW.モリスやW.クレーン,あるいは世紀末のA.V.ビアズリーのデッサンに至るまで一貫してうかがえる。こうした線の装飾的な意匠(パターン)を駆使して全体を構成してゆく傾向は,建築,とりわけゴシック建築にも見られる。…
…なお,19世紀はポルノグラフィックな芸術においても多産な世紀であった。A.ビアズリー,F.ロップス,F.vonバイロスなどの作品がすぐれている。 20世紀に入っても,ビクトリア朝的検閲のある部分はそのままであった。…
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