翻訳|illustration
イラストレーションはイルミネーションと同じく,ラテン語の〈光〉をあらわす語から派生している。テキスト(本文)につけて,明るく照らし出すものという意味で,図示し,彩飾する役割を持っている。イルミネーションは中世の写本の頭文字の飾りなどを指し,古代から現代にいたる挿絵を全体として示すにはイラストレーションの語を使う。
→写本画
イラストレーションの歴史は,15世紀半ばのグーテンベルクによる印刷術の発明以前(写本の時代)とそれ以後(活版本の時代)に分けられる。さらに,19世紀末以降とくに20世紀には写真術の進歩と複製技術の発達を背景として,挿絵による視覚的なコミュニケーションが書物の枠をこえて広がるメディアを生み出した。現代のグラフィック・デザインにおけるイラストレーションは,より広い表現の一ジャンルを形成している。
グーテンベルク以前の歴史では,古代中国の象形文字が最古のイラストレーションと考えられる。エジプトの《死者の書》にもイラストレーションの古い例を見ることができる。ギリシアでも,絵入りの《イーリアス》がつくられていた。初期キリスト教時代に入り,写本の装飾芸術が発達しはじめる。6世紀につくられたという《ウィーン創世記》には聖書のさまざまな場面が細かく描かれている。中世の羊皮紙の冊子本codexは,写本芸術を開花させた。写本のイラストレーションは三つの要素からなっている。第1はミニアチュール(細密画)で,今日の口絵にあたる。第2はヒストリエーテッド・イニシャルhistoriated initialといわれるもので,文章の初めの文字が装飾化され,人や動物が描きこまれる。第3のマージナル・イラストレーション(余白装飾)は,テキストのまわりに描きこまれた絵で,必ずしもテキストの内容に沿っているわけではなく,かなり自由なモティーフが入っている。写本の装飾はしだいに分業で行われるようになる。テキストを書く人,イニシャルを描く人,縁飾りを描く人,ミニアチュールを描く人はそれぞれ別になる。そして15世紀初めに写本芸術は頂点に達し,《ベリー公のいとも豪華な時禱書》などがつくられる。しかしこの頃を最後に写本の時代は終わりをつげ,活版本の時代がやってきて,イラストレーションも次第に木版で複製されるものへと大きく変わってゆく。
15世紀末には,イタリアとドイツでみごとな挿絵入りの版本があらわれた。イタリアのA.マヌティウスの印行による《ポリフィルスの夢》(1499)などがその代表である。1500年までにつくられたインクナブラ(古版本)には,木版を中心とする多くのイラストレーションが入っている。16世紀には木版によるイラストレーションの黄金時代を迎える。この頃から,画家とそれを版刻する彫師が分化し,大量生産の要求にこたえようとしはじめる。A.デューラーやH.ホルバイン,H.ブルクマイア,L.クラーナハといった優れた画家たちが下絵を提供する。デューラーは《聖母の生涯》(1510)を制作し,《マクシミリアン皇帝の祈禱書》の余白にみごとなイラストレーションをのこしている。フランスではトリーG.Tory,デュベ,イギリスではデイJ.Dayなどが絵入り本の作者として知られている。活版本が誕生した15世紀から16世紀にかけて,イラストレーションは力強い発展を示したが,それにくらべると,次の17,18世紀は,やや中だるみの時期に見える。イラストレーションが再び活況を呈するのは,19世紀になってからで,その先駆となったのはW.ブレークであった。その《無垢(むく)と経験の歌》(1794)の自由な曲線は,後に世紀末のアール・ヌーボーを刺激した。J.マーティンはメゾチントによってミルトンの《失楽園》の挿絵を描き,G.クルックシャンクはディケンズの小説の挿絵を描いた。また石版画の普及によって,カラー印刷も可能となってきた。イギリスではビウィックにより木口木版が開発され,19世紀後半の,J.ギルバート,テニエルJ.Tennielなど以降隆盛をみ,W.クレーンそしてラファエル前派のD.G.ロセッティ,H.ハント,フレデリック・サンディス,J.E.ミレー,ヒューズA.Hughes,バーン・ジョーンズ,ソロモンS.Solomonなどが輩出し,イギリスのイラストレーションの黄金時代がくる。この時期の問題は,イラストレーションのライバルとして写真があらわれたことであった。しかし写真は,印刷用に製版する方法が一般化する1920年代までは,活字といっしょに印刷することはできなかった。
19世紀の半ばから絵入り雑誌が次々と出されるようになり,その他のジャーナリズムの発達とともにイラストレーションは大量に必要とされた。イギリスの1860年代が多くのイラストレーターを生んだのも,そのためであった。そして,初めは写真と再現性を争っていたイラストレーションは,より線的な輪郭性を強調した,象徴主義的な表現を求めるようになる。日本から入った浮世絵の方法も大きく作用していた。こうして世紀末のビアズリーやチャールズ・リケッツ,ローレンス・ハウスマンなどがあらわれる。フランスではガバルニやグランビルなど独特の挿絵画家が19世紀中ごろに活躍し,世紀末には,雑誌《ルビュ・ブランシュ》に,ロートレックやバロットンなどのイラストレーターが集まった。19世紀の後半は,タブロー(油絵)とイラストレーションが共存し,美術と文学も親しい関係にあった。しかし20世紀に入ると,これらの間の距離は大きくなってゆき,美術はできるだけ文学性を排除して,その従属からのがれ純粋化しようとする。それでも20世紀初頭から1930年代にかけては,E.デュラック,A.ラッカム,K.ニールセン,ポガニーW.Pogany,サイムS.Simeなど実に楽しいイラストレーターたちが輩出する。またイリブP.Iribe,ルパープG.Lepape,ベニートBenito,そしてエルテErtéなど,《ガゼット・デュ・ボン・トン》誌や《ボーグ》誌などのファッション画家も逸することはできない。また1920年代から新たな領域を切り開くところの,ポスターを含む広告のイラストレーションも忘れてはならない。
美術史は久しくイラストレーションを扱ってこなかった。1960年代のポップ・アート,そしてアール・ヌーボー・リバイバル,さらにそれにつづく1920年代リバイバルなどの傾向によって,再び美術とイラストレーションとの結び目に関心が寄せられるようになった。イラストレーションはことばを光り輝かす〈視覚的言語〉として,注目されなければならない。1930年代から登場してくるSFのイラストレーション,さらにそれに使われるエア・ブラシなどの手法などについても,美術の問題として取り上げていくべきであろう。
執筆者:海野 弘
文章に挿入された絵画としては,古く経巻装飾,絵巻などが数えられるが,現在の新聞,雑誌,書籍の挿絵に通じる形式と性格をそなえるものは,複製技術が発達した江戸時代の草双紙にたどることができよう。江戸中期から後期にかけて大衆文学の主流をしめた草双紙(赤本,黒本,青本,黄表紙,合巻の総称)は,半紙半裁二つ折りの各ページごとに挿絵が入り,絵と文が有機的に連係していた。合巻ものになると,山東京伝の案出といわれるが,巻中の主要人物を掲げた錦絵の摺り付け表紙も用いられた。この挿絵は浮世絵師によって手がけられた。明治に入ると草双紙の雰囲気と性格は,1875年歌川国芳門下の落合芳幾(よしいく)(1833?-1904)が描く《平仮名絵入新聞》に始まる,庶民向けの絵入り新聞に受け継がれた。芳幾はじめ《団々珍聞》の小林清親,《郵便報知新聞》の月岡芳年らは浮世絵師の流れをくみ,これら絵入り新聞は草双紙と同じく,絵が主,文が従の趣があった。
1885年に硯友社がおこり,続いて活版印刷による雑誌類が広まるにつれ,挿絵画家としては井上探景(安治),歌川国松らの浮世絵師のほかに,菊池容斎の《前賢故実》の影響をうけた渡辺省亭,三島蕉窓,武内桂舟,尾形月耕らが出た。《文芸俱楽部》《新小説》《都の花》などの挿絵,口絵で活躍し,尾崎紅葉の《金色夜叉》を手がけた武内桂舟(1861-1943),小杉天外の《魔風恋風》を描いた梶田半古(1870-1917)が特に人気を集めた。95年から96年にかけて創刊された博文館の《文芸俱楽部》,春陽堂の《新小説》は文壇への登竜門の役割を果たしたが,幕末合巻ものの極彩色錦絵がこれらの巻頭口絵に復活し,両誌は画家にとってもひのき舞台となった。また明治30年代はようやく〈挿絵画家〉が,職業としてもジャンルとしても成立した時期である。これらの雑誌では,前記の画家に加え,浮世絵系の月岡芳年門下である水野年方,右田年英,山中古洞,鏑木清方,鰭崎(ひれざき)英朋(1881-1968)ら,日本画畑の寺崎広業,富岡永洗,松本楓湖,尾竹国観,鈴木華邨,久保田米僊らが活躍した。ことに明治末から大正にかけては清方,英朋に加え,永洗門下の井川洗厓が目立つ。年方門下の清方は泉鏡花とのコンビが謳われ,年英門下の英朋は柳川春葉の《生さぬ仲》で人気を集めた。
洋画家の挿絵への進出は,1885年に坪内逍遥の《当世書生気質》を描いた長原孝太郎(止水)(1864-1930)がいるが,当時としては新しすぎ,受け入れられなかった。洋画家が多く挿絵界に進出するのは96年の白馬会結成,東京美術学校西洋画科新設のころからである。第2次《新小説》は96年7月の創刊号に浅井忠の石版口絵,中村不折と川村清雄の挿絵を用いているが,与謝野鉄幹が1900年創刊した《明星》は,〈画入月刊文学美術雑誌〉と謳ったように,洋画家を大いに起用している。表紙を手がけたのは長原孝太郎,一条成美,藤島武二,和田英作であり,白滝幾之助,黒田清輝,岡田三郎助,青木繁,中沢弘光ら数多くの洋画家の挿絵,カットが誌面をにぎわせた。また徳冨蘆花《不如帰》の黒田清輝による口絵をはじめ,洋画家による詩集・小説集の装丁,装画がさかんになった。一方,02年ころから明治末までは,文章と内容的な関連をもたぬ飾り絵,〈コマ絵〉の全盛期であった。日本画家の小川芋銭,平福百穂,名取春仙,結城素明,川端竜子,洋画家の橋本邦助,小杉未醒(放庵),森田恒友,倉田白羊,石井柏亭らが筆をとった。また若い画学生の渡辺(宮崎)与平(1889-1912)と竹久夢二が雁行してコマ絵を描き,甘美な抒情性で人気を集めた。
新聞小説における挿絵は,大正中期までは必ずしも同伴するものではなく,新時代が画されたのは関東大震災前後である。従来の木板版下絵から写真製版への変換がなされ,新聞のみならず,大衆雑誌,少年少女雑誌が多種多様に創刊されることによって,浮世絵系の挿絵が衰退し,日本画家,洋画家がともに続々と登場した。ことに1921年上司小剣《東京》(《東京朝日新聞》)に描いた石井鶴三のコンテによる挿絵は,新しい時代への幕を開いた。これに続く25年開始の中里介山《大菩薩峠》(《大阪毎日新聞》)は,鶴三および洋画家の進出の決定打となった。さらに白井喬二の《富士に立つ影》(《報知新聞》)では,木村荘八,山本鼎,河野通勢,川端竜子が挿絵を受けもった。鶴三の挿絵は本格的な素描による対応であって,これが〈挿絵〉を〈本絵〉より低いとみなす風潮を転換させる役割を果たしたことから,荘八以下の挿絵も,また一つの芸術ジャンルたりうるとの認識をもたらすことになった。
大正末期から昭和初期にかけての〈挿絵の黄金時代〉は,新聞・雑誌メディアの大衆化,多様化とともに,こうした挿絵の芸術性が高められたことを背景としており,1935年には《名作挿画全集》が編まれるまでに至った。邦枝完二《お伝地獄》《おせん》の小村雪岱(1887-1940),吉川英治《鳴門秘帖》および大仏次郎《赤穂浪士》の岩田専太郎(1901-74),永井荷風《濹東綺譚》の木村荘八はじめ,太田三郎,田中良,河野通勢,小田富弥,山川秀峰,中村貞以,中村岳陵,林唯一,小林秀恒,志村立美,堂本印象,矢野橋村,藤田嗣治,佐野繁次郎,宮本三郎,小出楢重ら,日本画家,洋画家,挿絵専門家が入り乱れて活躍することになる。また文学のジャンルも多様化し,〈探偵小説〉が大正末からブームを興すと,《新青年》を中心に,竹中英太郎,茂田井武,横山隆一,松野一夫,吉田貫三郎らが筆をふるった。《少年俱楽部》《少女俱楽部》はじめ少年少女雑誌においては,高畠華宵,蕗谷虹児,斎藤五百枝(いおえ),椛島勝一,伊藤彦造,加藤まさを,中原淳一らが活躍した。第2次大戦後はよりいっそう洋画壇からの進出が目立ち,宮本三郎,小磯良平,中川一政,佐野繁次郎,中西利雄,向井潤吉らが活躍し,また宮田重雄,日本画の杉本健吉らが注目を集めた。
→絵本
執筆者:匠 秀夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
言語による表現と同時に知覚されることを前提としつつ、その制作物における主題をより的確に表現することを目標として制作される合目的的な画像。イラストレーションという概念の範囲には、絵画、図解、図表、写真などが含まれる。なお、日常一般には挿絵と同義に解されることも少なくない。
イラストレーションの歴史は、古代エジプトの「死者の書」における挿絵にまでさかのぼることが可能である。また、15世紀初頭のランブール兄弟による『ベリー公のいとも豪華なる時祷書(じとうしょ)』のごとき手写本装飾は、イラストレーションあるいは挿絵という領域の華麗な一頂点を示すものとして高く評価されている。一方、15世紀中葉における活版印刷術の発明は、筆彩による挿絵を木版や銅版へ、さらには石版によるものへと向かわせることとなり、19世紀後半に写真製版が実用化されるに及んで、挿絵は各種印刷技術の活用を前提とするものとなった。
挿絵とは、主として、言語による表現のための説明的ないし補助的な役割を担う絵画をいうが、19世紀なかばからの絵入り雑誌や新聞などの隆盛により、イラストレーションは、言語による表現に従属するのではなく、それ自体が独立した表現となった。イラストレーションは、芸術としての絵画におけるがごとき一品制作、原画崇拝という呪縛(じゅばく)から解き放たれ、基本的には個人性に基づく手仕事でありながら印刷技術を駆使しつつ大衆との接点を保持している。イラストレーションが現代社会においてとくに注目されるに至った主たる素因をここに認めることができる。イラストレーターという職業が確立され、印刷を前提とした彼らの絵は、マス・メディアを通してファッションや広告の世界へと広がりをみせている。
[武井邦彦]
『原弘他編『グラフィックデザイン大系第2巻 イラストレーション』(1960・美術出版社)』▽『美術出版社編・刊『12人のグラフィックデザイナー』全3集(1968~69)』▽『日本グラフィックデザイナー協会教育委員会編『ヴィジュアル・デザイン第3巻 イラストレーション』(1993・六耀社)』▽『新井苑子著『イラストレーションの発想と表現――イメージを無限に広げるイラストレーションの不思議』(1993・美術出版社)』▽『宇野亜喜良・田中一光ほか監修『日本のイラストレーション50年』(1996・トランスアート)』▽『J・ヒリス・ミラー著、尾崎彰宏・加藤雅之訳『イラストレーション』(1996・法政大学出版局)』▽『京都造形芸術大学編『イラストレーションの展開とタイポグラフィの領域』(1998・角川書店)』▽『日本グラフィックデザイナー協会編『イラストレーション』(2000・六輝社)』
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