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ビスコンティ家 ビスコンティけ

世界大百科事典 第2版の解説

ビスコンティけ【ビスコンティ家】

13世紀末ごろ~15世紀中ごろミラノと北イタリアを支配した名家。その出自は10世紀にさかのぼり,大司教から封土を授けられた陪臣であった。12世紀中ごろ〈副伯vis‐conte〉称号を得て,世襲化し,自らの姓とした。13世紀前半大司教と並ぶ勢力と名誉を獲得し,同家のマムシの紋章はサンタンブロージョ教会の蛇を模写したものである。ウンベルトUnbert Visconti(1248没)が同家の後の発展の基礎を築く。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ビスコンティ家
びすこんてぃけ
Visconti

13世紀中ごろ~15世紀中ごろまでミラノと北イタリアを支配した名家。家名は12世紀なかばに得た称号「副伯」vis-conteに由来する。13世紀にミラノ大司教と並ぶ名誉を得て、発展の基礎を築く。同世紀末にマッテオ1世Matteo (1250―1322)は市政を掌握し、皇帝ハインリヒ7世から代官職を授けられた。14世紀なかば以後その子孫に支配官(シニョーレsignore)職が受け継がれ、支配地もロンバルディア、ピエモンテ、ロマーニャ、トスカナ、ウンブリアに拡大した。1395年ジャン・ガレアッツォGian Galeazzo(1351―1402)が皇帝から公爵位を受け、ミラノ公国の歴史を開始した。この君主制的イタリア支配の野望にベネチアとフィレンツェは共和制的自由を強調して対抗した。ビスコンティ家は、政治術策と芸術愛護のルネサンス的君主を輩出し、フランス、イギリスの王族とも婚姻関係を結んだ。同家の支配は、のちに男系子孫を欠き、ガレアッツォの孫娘ビアンカ・マリアBianca Maria(1425―68)と結婚した傭兵(ようへい)隊長出身のスフォルツァ家に15世紀なかば交替する。[佐藤眞典]

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世界大百科事典内のビスコンティ家の言及

【シニョリーア制】より

…ミラノのビスコンティ,マントバのゴンザーガ,リミニのマラテスタ,ウルビノのダ・モンテフェルトロなどが有名なシニョーレの家である。なかでもビスコンティ家は1329年以降皇帝代官の称号を得て,15世紀初頭には北イタリアを統一する勢いを示した。一方,1434年にフィレンツェの実権を握ったメディチ家は,コムーネの伝統が強固であるために,シニョーレを名のらず,陰の支配者にとどまった。…

【ミラノ】より

…12世紀末からは,ティチノ川およびアッダ川を結ぶ運河網が建設され始め,また,近郊農村では土地改良が進められて,ロンバルディアの中心としてのミラノの地位が固められた。政治的には,13世紀末にはビスコンティ家がミラノのシニョーレ(シニョリーア制)となり,以後わずかの中継を除いて,1447年までビスコンティ家の支配が続いて,ミラノはおおいに繁栄した。1386年には,ジャン・ガレアッツォ・ビスコンティによって,壮大なドゥオモの建設が開始された。…

※「ビスコンティ家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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