ピアソン(Lester B. Pearson)(読み)ぴあそん(英語表記)Lester B. Pearson

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ピアソン(Lester B. Pearson)
ぴあそん
Lester B. Pearson
(1897―1972)

カナダの政治家。トロント、オックスフォード両大学で学んだのち、前者で歴史を教えた。外務省、駐米大使を経て1948年サン・ローラン自由党内閣外相、1949年北大西洋条約機構(NATO(ナトー))創設(議長)、1950年コロンボ会議、1951年対日講和会議に参加、1952~1953年国連総会議長。外務次官時代の1947年、パレスチナ分割(イスラエル建国)で国連安全保障委員会議長を務めたことを振り出しに、紛争調停役が身上となる。そのハイライトは海外では1956年のスエズ危機を国連監視軍派遣で解決、翌1957年ノーベル平和賞を受賞。国内では1963年首相就任後、英仏両系国民間の紛争融和対策に臨み、その結果は1968年首相引退の翌1969年、英仏二言語の公用語化として実現。1969年には世界銀行の委嘱で国際開発委員会を主宰、過去20年の発展途上国援助総括と将来への展望をピアソン報告書にまとめた。

[越智道雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例