ピアソン(英語表記)Lester Bowles Pearson

精選版 日本国語大辞典 「ピアソン」の意味・読み・例文・類語

ピアソン

(Karl Pearson カール━) イギリスの応用数学者、優生学者。数理統計学創始者。優生学・生物統計学を研究、人類の遺伝に関する統計的分析など、進化論遺伝学に寄与した。主著「科学の文法」。(一八五七‐一九三六

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改訂新版 世界大百科事典 「ピアソン」の意味・わかりやすい解説

ピアソン
Lester Bowles Pearson
生没年:1897-1972

カナダの首相。在職1963-68年。自由党に属する。トロント大学オックスフォード大学で学んだ後,第1次世界大戦に参戦。傷痍軍人として復員し,トロント大学で歴史の教鞭をとる。1928年に外務省に入省。駐米大使を経て48年,L.S.サン・ローラン自由党内閣において外務大臣に就任。49年のNATO創設,50年のイギリス連邦コロンボ会議,51年のサンフランシスコ講和会議にカナダ代表として参加。56年のスエズ危機の際に即時停戦,国連軍による停戦の監視を提案し,57年にはノーベル平和賞を受賞した。58年自由党党首,63年の総選挙で自由党が勝利をおさめ首相に就任。首相時代のカナダでは顕在化したいわゆる〈ケベック問題〉への対応が一大問題であり,就任直後に二言語・二文化政府委員会を設置。その答申は69年の英・仏両語の公用語法に結実した。また,64年のコロンビア川の開発に関する協定,65年のカナダ・アメリカ自動車協定など,アメリカ,カナダ間の重要懸案の解決をみたのもこの時期であった。また,69年にはピアソン報告を出した。
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ピアソン
Karl Pearson
生没年:1857-1936

イギリスの統計学者。ケンブリッジ大学で数学を学び,ロンドン大学の教授となる。F.ゴールトンの影響により,生物学における統計的方法に興味をもつに至り,ゴールトンとともに雑誌《計量生物学Biometrika》を創刊し(1901),また近代的数理統計学の基礎を築いた。その主要な貢献としては,相関係数の定義,回帰分析の方法の確立,χ2適合度検定法の発明,〈ピアソン系分布〉の導入,統計量の大標本のもとでの〈蓋然(がいぜん)誤差〉の計算,母数推定の積率法の提案などがある。息子エゴンEgon Sharpe P.(1895-1980)も父の後を継ぎ,2代続いて計量生物学の指導的立場にあったが,また親子ともR.A.フィッシャーと激しく論争した。経験批判論の立場に立つ科学哲学者としても知られ,その著《科学の文法Grammar of Science》は有名であり,広く読まれた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピアソン」の意味・わかりやすい解説

ピアソン
Pearson, Karl

[生]1857.3.27. ロンドン
[没]1936.4.27. ロンドン
イギリスの数学者,記述統計学の建設者の一人。ロンドンのユニバーシティ・カレッジとケンブリッジ大学のキングズ・カレッジを卒業。 1881~84年は法曹界の仕事,進歩的政治活動,文芸活動に従事していたが,母校ユニバーシティ・カレッジに招かれ,1933年に退官するまで,応用数学の教授 (1884) ,幾何学のグレシャム教授職 (91) ,応用数学部部長 (1907) ,優生学のゴルトン教授職 (11) を歴任。 F.ゴルトンらの著作に刺激されて,遺伝や進化の問題に統計学を応用することに熱中した。彼は『進化論への数学的寄与』と題する 18の論文を発表し (1894~1916) ,χ2 検定を含む統計学応用上の重要な手法を確立した。また,統計学誌『生物測定学』の創刊から深くかかわり (01~36) ,『優生学年報』監修者としても活躍した (25~36) 。主著『自由思想の倫理』 (1888) ,『科学の文法』 (92) ,その他数表などがある。息子の E.S.ピアソンも数理統計学者で J.ネイマンと協力して,仮説検定論,信頼区間の理論など,近代数理統計学の発展に大きな貢献をしている。

ピアソン
Pearson, Lester Bowles

[生]1897.4.23. トロント
[没]1972.12.27. オタワ
カナダの政治家。第1次世界大戦に参戦後,トロント,オックスフォード両大学で学び,1924年トロント大学の歴史学の講師,26年同大学助教授。 28年外務省入り。アメリカ駐在カナダ大使 (1945~46) ,外務次官 (46~48) を経て,48年自由党議員。同年 L.サン・ローラン内閣の外相。超大国とは異なった役割をカナダに与えようとする「中間国家」外交で知られ,56年のスエズ危機の際にその本領が発揮された。休戦協定実施のための国連軍派遣に尽力し,その功績に対し 57年ノーベル平和賞が与えられた。 58年自由党党首,63~68年首相。在任期間中に社会福祉上の諸政策を推進,「二言語・二文化委員会」を任命して,イギリス系とフランス系の2つの民族の間に横たわる主として文化的な諸問題について調査を行なった。現在のカナダ国旗は彼の統治下で制定された。引退後は病気がちであったが,世界銀行の依頼により発展途上国問題を論じたピアソン報告をまとめ,自由党の重鎮としても活躍した。

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朝日日本歴史人物事典 「ピアソン」の解説

ピアソン

没年:1937.7.31(1937.7.31)
生年:1861.1.14
明治期に来日したアメリカ宣教師。牧師の子としてニュージャージー州に生まれる。プリンストン大学で神学を学び,明治21(1888)年に宣教師として来日。都市ではなく,農村に伝道をする。特にアイヌ伝道に尽力する。監獄伝道,廃娼運動にも従事。さらに聖書の注解書を書き,聖書の普及にも寄与する。北海道の北見には「ピアソン通り」が残っているほど,市民に親しまれたという。「日本伝道40年の中で35年を北海道伝道のために捧げた」宣教師である。『略註旧新約全書』やその他英文著作多数。<参考文献>小池創造『田舎伝道者―ピアソン宣教師夫妻』,高見沢潤子『ともしびは消えず―伝道に一生をかけた15人』,福島恒雄『北海道キリスト教史』

(原島正)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

百科事典マイペディア 「ピアソン」の意味・わかりやすい解説

ピアソン

英国の数理統計学者,優生学者。1885年ロンドン大学教授。初め応用数学を研究,のちF.ゴールトンの指導を受け優生学,生物統計学を研究。ピアソン派数理統計学を創始,1902年―1924年《Biometrika》を編集。《科学の文法》(1899年)で科学論を展開。
→関連項目エッジワース記述統計学

ピアソン

カナダの政治家,外交官。第2次大戦後駐米大使,外相(1948年―1957年),国連議長を歴任。国連中心の平和外交政策を推進,1957年ノーベル平和賞。1958年自由党党首,1963年首相となり,1968年政界から引退。主著《核時代の外交》。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ピアソン」の解説

ピアソン Pierson, Ida Goepp

1859-1937 アメリカの宣教師。
明治25年(1892)来日。28年長老教会のジョージ=ピアソンと結婚し小樽にすむ。札幌スミス女学校(北星学園)でおしえ,小樽静修女学校に協力。36年旭川にうつり廃娼(はいしょう)運動や監獄伝道,アイヌ伝道につくす。大正3年から野付牛(のつけうし)(北見市)で活動した。昭和3年帰国。享年78歳。ペンシルベニア州出身。

ピアソン Pierson, George Peck

1861-1939 アメリカの宣教師。
1861年1月14日生まれ。明治21年(1888)来日し,明治学院でおしえる。北海道旭川などで伝道し,廃娼(はいしょう)運動をすすめた。大正3年から15年間野付牛(のつけうし)(北見市)で伝道,ピアソン記念館,ピアソン通にその名をのこす。1939年7月31日死去。78歳。ニュージャージー州出身。プリンストン大卒。

ピアソン Pierson, Louise Henrietta

1832-1899 アメリカの宣教師。
1832年4月7日生まれ。明治4年(1871)アメリカ婦人一致外国伝道協会から派遣され来日。同年横浜山手でアメリカン-ミッション-ホーム(現横浜共立学園)の創立にかかわり,校長となる。14年偕成伝道女学校(のちの共立女子神学校)を新設した。明治32年11月28日横浜で死去。67歳。ニューヨーク州出身。

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世界大百科事典(旧版)内のピアソンの言及

【数理統計学】より

…これは回帰分析の方法に対して,先駆的な役割を果たすものとなった。その後現れた同じくイギリスの数学者K.ピアソンも,相関と回帰の理論をより数学的に発展させ,それを計量生物学に応用した。こうした人たちの努力で20世紀の初めになって,多数の資料を整理してその分布を得,分布の代表値としての平均値や分散を求め,さらにグループ間の相関係数によって相互関係を調べる記述統計学は一応まとまった学問体系となった。…

【統計学】より

…ケトレの影響とそれに対する批判のなかから,統計的方法の社会的意義を論ずることを主要な課題とするドイツ社会統計学が成立し,19世紀後半から20世紀前半まで発展した。19世紀後半,ダーウィンの進化論の実証を目的として,生物学に統計的方法を応用する計量生物学がF.ゴールトンおよびK.ピアソンによって建設された。とくにピアソンは大標本理論を中心として相関,回帰分析,検定,推定の方法を作り出した。…

※「ピアソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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