イギリスの統計学者。ロンドンに生まれる。ケンブリッジ大学を卒業後、ロンドン大学の応用数学および力学の教授となり、1911年からは優生学の教授をも務めた。長年思想的に悩み抜いて到達した結論が1892年刊行の『科学の文法』(邦訳書名『科学概論』)The Grammer of Scienceとなって広く読まれ、当時大きな反響をよんだ。その後F・ゴルトン、ウェルドンWalter Frank Raphael Weldon(1860―1906)両生物学者の協力により生物測定学を創立し、今日も継承されている学術雑誌『計量生物学』Biometrikaを1901年に創刊して優生学の確立に努めた。またこの間に、重相関、ピアソン型分布関数、モーメント法、カイ2乗(χ2)分布などを統計学に導入した。彼は先入観にとらわれず観測データに基づいて考えるべきことを力説し、大量観察データの分布に微分方程式
y′=y(a0+a1x)/(b0+b1x+b2x2)
を当てはめて種の分布曲線のありうることを示し、正規分布にならないデータは誤りであるとの旧来の考えを正した。晩年、R・A・フィッシャーと激しい論争を行ったが、フィッシャーの小試料論による近代数理統計学は、ピアソンが完成した記述的数理統計学を基盤とした革新的発展であるといえよう。なお、息子ピアソンEgon Sharpe Pearson(1895―1980)も父の後を継ぎ、計量生物学者として活躍した。
[米田桂三]
『平林初之輔訳『科学概論』(1930・春秋社)』
カナダの政治家。トロント、オックスフォード両大学で学んだのち、前者で歴史を教えた。外務省、駐米大使を経て1948年サン・ローラン自由党内閣外相、1949年北大西洋条約機構(NATO(ナトー))創設(議長)、1950年コロンボ会議、1951年対日講和会議に参加、1952~1953年国連総会議長。外務次官時代の1947年、パレスチナ分割(イスラエル建国)で国連安全保障委員会議長を務めたことを振り出しに、紛争調停役が身上となる。そのハイライトは海外では1956年のスエズ危機を国連監視軍派遣で解決、翌1957年ノーベル平和賞を受賞。国内では1963年首相就任後、英仏両系国民間の紛争融和対策に臨み、その結果は1968年首相引退の翌1969年、英仏二言語の公用語化として実現。1969年には世界銀行の委嘱で国際開発委員会を主宰、過去20年の発展途上国援助総括と将来への展望をピアソン報告書にまとめた。
[越智道雄]
アメリカの岩石学者。ニューヨーク市に生まれる。エール大学卒業後、同大学で岩石学を研究。1897年エール大学の物理地質学教授。1902年クロスCharles Whitman Cross(1854―1949)、イディングズJoseph Paxon Iddings(1857―1920)、H・S・ワシントンとともに、火成岩の化学成分を標準鉱物の量に換算して表すいわゆるノルムと、それに基づく火成岩の定量的分類法(4人の頭文字をとったCIPW分類法、ノルム分類法)を提唱した。主著に『岩石と岩石鉱物』(1908)がある。
[吉井敏尅]
カナダの首相。在職1963-68年。自由党に属する。トロント大学,オックスフォード大学で学んだ後,第1次世界大戦に参戦。傷痍軍人として復員し,トロント大学で歴史の教鞭をとる。1928年に外務省に入省。駐米大使を経て48年,L.S.サン・ローラン自由党内閣において外務大臣に就任。49年のNATO創設,50年のイギリス連邦コロンボ会議,51年のサンフランシスコ講和会議にカナダ代表として参加。56年のスエズ危機の際に即時停戦,国連軍による停戦の監視を提案し,57年にはノーベル平和賞を受賞した。58年自由党党首,63年の総選挙で自由党が勝利をおさめ首相に就任。首相時代のカナダでは顕在化したいわゆる〈ケベック問題〉への対応が一大問題であり,就任直後に二言語・二文化政府委員会を設置。その答申は69年の英・仏両語の公用語法に結実した。また,64年のコロンビア川の開発に関する協定,65年のカナダ・アメリカ自動車協定など,アメリカ,カナダ間の重要懸案の解決をみたのもこの時期であった。また,69年にはピアソン報告を出した。
執筆者:大原 祐子
イギリスの統計学者。ケンブリッジ大学で数学を学び,ロンドン大学の教授となる。F.ゴールトンの影響により,生物学における統計的方法に興味をもつに至り,ゴールトンとともに雑誌《計量生物学Biometrika》を創刊し(1901),また近代的数理統計学の基礎を築いた。その主要な貢献としては,相関係数の定義,回帰分析の方法の確立,χ2適合度検定法の発明,〈ピアソン系分布〉の導入,統計量の大標本のもとでの〈蓋然(がいぜん)誤差〉の計算,母数推定の積率法の提案などがある。息子エゴンEgon Sharpe P.(1895-1980)も父の後を継ぎ,2代続いて計量生物学の指導的立場にあったが,また親子ともR.A.フィッシャーと激しく論争した。経験批判論の立場に立つ科学哲学者としても知られ,その著《科学の文法Grammar of Science》は有名であり,広く読まれた。
執筆者:竹内 啓
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(原島正)
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…これは回帰分析の方法に対して,先駆的な役割を果たすものとなった。その後現れた同じくイギリスの数学者K.ピアソンも,相関と回帰の理論をより数学的に発展させ,それを計量生物学に応用した。こうした人たちの努力で20世紀の初めになって,多数の資料を整理してその分布を得,分布の代表値としての平均値や分散を求め,さらにグループ間の相関係数によって相互関係を調べる記述統計学は一応まとまった学問体系となった。…
…ケトレの影響とそれに対する批判のなかから,統計的方法の社会的意義を論ずることを主要な課題とするドイツ社会統計学が成立し,19世紀後半から20世紀前半まで発展した。19世紀後半,ダーウィンの進化論の実証を目的として,生物学に統計的方法を応用する計量生物学がF.ゴールトンおよびK.ピアソンによって建設された。とくにピアソンは大標本理論を中心として相関,回帰分析,検定,推定の方法を作り出した。…
※「ピアソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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