デジタル大辞泉
「新自由主義」の意味・読み・例文・類語
しん‐じゆうしゅぎ〔‐ジイウシユギ〕【新自由主義】
政府などによる規制の最小化と、自由競争を重んじる考え方。規制や過度な社会保障・福祉・富の再分配は政府の肥大化をまねき、企業や個人の自由な経済活動を妨げると批判。市場での自由競争により、富が増大し、社会全体に行き渡るとする。ネオリベラリズム。→リバタリアニズム
[補説]大企業や資産家などがより富裕化することを是認し、それらによる投資や消費により中間層・貧困層の所得も引き上げられ、富が再配分されるとする。しかし、再配分よりも富の集中や蓄積・世襲化が進み、貧富の差を広げるという見方もある。
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新自由主義
政府の規制を大幅に緩和し、自由競争を重んじる経済思想。1980年代のレーガン米政権期のレーガノミクスや、サッチャー英政権のサッチャリズムが代表的。冷戦後のグローバル化に伴って加速・拡大し、日本でも2000年代に小泉内閣が推進した。自助精神や産業競争力回復に寄与したと評価される一方、格差を広げたとの批判も根強い。
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新自由主義
しんじゆうしゅぎ
neo-liberalism
1980年代以降に世界的に支配的となった経済思想・政策の潮流。1960年代の末から70年代にかけて、ドル・ショック(アメリカの経済的衰退を明確にしたドルの金兌換中止)、オイル・ショック、激化する労働運動、そして低成長下のインフレーションなど、第二次世界大戦後、高成長を維持してきた先進国の資本主義は大きな危機にみまわれた。その際、その高成長を支える思想体系としてのケインズ主義(市場を自由放任にするのではなく、政府が積極的に介入する)にとってかわる危機の解決として現れ、80年代から資本主導のグローバリゼーションのイデオロギー、実践的な知として支配的潮流の座についたのが新自由主義である。その源流にはフリードリヒ・ハイエク、シカゴ学派のミルトン・フリードマンといった経済学者がいる。
そもそも自由主義は、いわゆる「自由放任主義」としてイメージされるような、市場の論理を制約する一切をただただ退ける消極的な議論ではない。18世紀にデビッド・ヒューム、アダム・スミスらによって提起された古典的自由主義は、それまでの絶対王政や重商主義に取ってかわり、国家ではなく、市場を介してみずからの利益を理性的に追求する諸個人からなる自律的な社会の運動法則から出発する統治の技法を提案する実践的な知でもあった。絶対王政を支えた国家理性の教義が、統治能力の向上と国家の肥大とを密接に結びつけていたとすれば、自由主義は統治能力の向上のためには国家はむしろ介入の領域をみずから制約しなければならない、と発想の転換を促したのである。
新自由主義は古典的自由主義と同じく、実践的な知である。たとえば、古典的自由主義は、絶対王政の「過剰統治」と国家の肥大化を批判し、「神の手」によって運営される市場の論理にもとづく市民社会の自律性をうたいながら登場したが、新自由主義はケインズ主義的福祉国家の所得再分配政策などがもたらす「過剰統治」と国家の肥大化こそがシステムの機能不全の原因として、規制緩和、福祉削減、緊縮財政、自己責任などを旗印に台頭した。その場合、古典的自由主義とは区別される新自由主義の特徴は、独特の保守的側面と「ラディカル」ともいえる徹底した側面にある。すなわち前者が絶対的な国家秩序を批判しつつ啓蒙主義的勢力として現れたのとは対照的に、新自由主義は新保守主義と手をたずさえながら、家族の価値のような保守的道徳観の復活、治安の強化、マイノリティの権利の削減、排他的ナショナリズムといった強い国家の再編成を促す傾向にある一方で、従来は市場の論理にはなじまないとされてきた領域――たとえば公教育、福祉、犯罪政策など――にまで、その論理を拡大する徹底した傾向をもつ。
こうした新自由主義による改革の効果は、アメリカのように一部の先進国の経済成長に資した部分もあったが、企業権力の肥大化、南北間のみならず一国内での貧富の格差の拡大、弱肉強食イデオロギーの浸透による市民の連帯意識の衰退といった負の効果ももたらし、90年代以降は「第三の道」と呼ばれるヨーロッパでの社会民主主義勢力や、アンチ・グローバリゼーションの運動など、さまざまなレベルで新自由主義にかわる社会のあり方が模索されている。
[酒井隆史]
『ミルトン・フリードマン、ローズ・フリードマン著、西山千明訳『選択の自由――自立社会への挑戦』(1980・日本経済新聞社)』▽『アンドルー・ギャンブル著、小笠原欣幸訳『自由経済と強い国家』(1990・みすず書房)』▽『フリードリヒ・ハイエク著、一谷藤一郎・一谷映理子訳『隷従への道』(1992・東京創元社)』▽『スーザン・ジョージ著、毛利良一・幾島幸子訳『グローバル市場経済生き残り戦略』(2000・朝日新聞社)』
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新自由主義 (しんじゆうしゅぎ)
neoliberalism
自由主義が経済過程への国家の干渉の極少化を唱えた点は,産業化に伴う社会問題の発生以来さまざまな批判を浴び,自由主義国家もしだいに自由放任政策を放棄した。このような条件の変化に応じて自由主義を再解釈する試みを新自由主義という場合がある。T.H.グリーンは資本主義の生む不平等の下に真の契約の自由はありえないとして,労働者の立場を強化するために国家の積極的な政策が不可欠であると説いた。ルソーやヘーゲルを援用する彼の新理想主義は,自由の実現のために国家の果たすべき積極的役割を示して,イギリス自由主義に新たな展開をもたらした。福祉国家が現実のものとなった今日,新自由主義を標榜するのはF.A.vonハイエク,M.フリードマンらケインズ批判派の経済学者である。彼らはケインズ派の有効需要政策を批判し,国家は通貨供給量の調節だけを行って,市場経済をかく乱すべきでないと説く(マネタリズム)。現代国家における行政の拡大傾向を効率の点だけでなく,選択の自由を奪うものとして批判するその主張は,グリーンに代表される19世紀の新自由主義とは志向を異にしている。ハイエクは,自由主義の前提する法の支配が主権者の意思に置き代えられて以来,国家権力の拡大と絶対化に歯止めがなくなったことに問題の根源を見いだし,全体主義や社会主義の批判にとどまらず,多数決原理そのものを疑問視している。自然法的な法の支配の観念の下に功利主義やケルゼンの法実証主義をも批判する彼の立論は,自由主義の歴史のなかでも特異で徹底したものといえよう。
→自由主義
執筆者:松本 礼二 新自由主義は1980年代にイギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権の政策にも影響を与えた。また累積債務問題に対処するメキシコ,ブラジルその他のラテン・アメリカ諸国などにおいて,IMF(国際通貨基金)・世界銀行の主導する構造調整計画を遂行するなかで,市場原理にもとづく新自由主義政策への転換がすすめられている。
執筆者:黒田 満
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新自由主義[経済思想]
しんじゆうしゅぎ[けいざいしそう]
neoliberalism
自由市場競争の価値を強調する経済思想,政策類型。ネオリベラリズムとも呼ばれる。1930年代以降の全体主義の台頭や,第2次世界大戦中から戦後にかけてとられた,市場経済に政府が積極的に関与するケインズ政策(→ケインズ学派)に反発し,個人の自由の尊厳を説き,政府の恣意的政策を排し,法のもとでの自由を強調する。恣意的,強権的権力の行使に反対する点ではアダム・スミスらの自由放任主義と共通するが,普遍的な法の支配の必要を説き,法秩序のもとでの自由を強調する点で自由放任主義と異なる。主要な論者はウォルター・オイケン,ウィルヘルム・レプケ,ルートウィヒ・フォン・ミーゼス,ゴットフリート・フォン・ハーバラー,フリードリヒ・フォン・ハイエク,ライオネル・チャールズ・ロビンズ,ミルトン・フリードマンなど。これら新自由主義に立つ研究者らは,1947年モンペルラン・ソサエティーを創設した。1970年代までに,先進諸国における経済的な停滞や公債の増大を背景に識者の間で自由主義への回帰が起こり,新自由主義が台頭した。ハイエクやフリードマンらの思想は,1979~90年のイギリスのサッチャー政権,1981~89年のアメリカ合衆国のレーガン政権の政策に強く影響を及ぼし(→サッチャリズム,レーガノミクス),1990年代以降も新自由主義の思想と政策は世界的に影響力を増した。グローバル化の時代に世界経済が相互依存性を強めるのに伴い,新自由主義者は自由貿易と資本移動の自由を唱えている。しかし,2008年のリーマン・ショックは一部の経済学者や政治指導者らに影響を与え,新自由主義の主張を放棄させ,金融・銀行業に対する規制強化へと向かわせた。(→自由主義,新保守主義,マネタリズム)
新自由主義[社会思想]
しんじゆうしゅぎ[しゃかいしそう]
new liberalism
19世紀後半に勃興したイギリスの理想主義的社会思想。ニューリベラリズムとも呼ばれる。主唱者であるトマス・ヒル・グリーンは,道徳哲学としては,ジョン・ロックやジェレミー・ベンサムなどの功利主義的自由主義(→功利主義)ではなく,イマヌエル・カントやゲオルク・ウィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの影響を受けた観念論的,理想主義的自由主義を唱え,社会哲学としては,自由放任主義ではなく国家による保護干渉主義(→社会政策)を訴えた。しかし決して国家専制主義や全体主義に陥らず,個人の自我の実現,個人の道徳的生活の可能な諸条件の整備が国家機能であるとして,自由主義の中心である個人主義を継受した。この思想はイギリスの自由党の労働立法,社会政策に思想的根拠を与え,1906年から第1次世界大戦勃発までの間,ハーバート・ルイス・サミュエル,ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル,デービッド・ロイド・ジョージらによって一連の社会福祉政策が施行された。
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新自由主義【しんじゆうしゅぎ】
政府の財政政策による経済への介入を批判し,市場の自由競争によって経済の効率化と発展を実現しようとする思想。ネオリベラリズムともいう。経済理論としては,ケインズ学派の有効需要政策を批判し,政府は市場経済への介入を抑制すべきとするF.ハイエクやM.フリードマンの理論に基づく。政策としては,国営企業・公共部門の民営化,規制緩和による経済の自由化,減税と緊縮財政による「小さな政府」などを特徴とする。1970年代後半からラテンアメリカ諸国,イギリスのサッチャー,アメリカのレーガン,日本の中曾根康弘の各政権が新自由主義政策を採用した。社会思想としては,〈新保守主義〉と呼ばれるように,市民の自由や権利の保護より資本の自由な活動を優位に置く点を特徴とする。交通・通信から教育・医療・福祉にいたる公共部門の民営化や,市場の公平性確保のための規制の緩和は,市場での優勝劣敗によって,社会保障の低下,雇用の不安定化,生活の格差拡大などの問題を生んでいる。さらに国家の規制から自由になった資本は,グローバリゼーションによって国際的な分業体制を再編し,こうした問題が世界規模であらわれるようになっている。しかし,新自由主義は,つねに改革を訴え,個人や企業に対しても市場での絶えざる競争と自己革新を求めるため,こうした社会的格差は,市場での競争の結果として当事者の自己責任とされる。さらに格差拡大による福祉・教育・犯罪などへの社会不安さえも,新たな市場として新自由主義経済へ組み込もうとするために,新自由主義への根本的な批判が困難になっている。
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「新自由主義」の解説
新自由主義
20世紀の小さな政府論を新自由主義と呼ぶ。18世紀イギリスの思想家、アダム・スミスは『国富論』で、経済は個人や企業の自由に任せることによって繁栄すると主張し、政府の役割を治安維持や防衛などに限定する必要を説いた。その後20世紀に入ると、大恐慌や戦時動員体制の経験を経て、政府が完全雇用を目指して需要を管理するケインズ主義政策が一般的となった。しかし、1980年代に入って政府における財政赤字の深刻な累積、官僚主義的な非能率などが大きな問題となり、イギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権を皮切りに、減税、規制緩和、民営化を軸とする小さな政府への改革が広まった。日本でも80年代の第2次臨時行政調査会による行政改革以来、新自由主義的な政策転換が進められてきた。ただ、日本では公共事業や規制に関して既得権を持つ官僚組織、利益団体、族議員が、小さな政府の徹底に反対してきた。つまり、日本の場合、保守の自民党の中に小さな政府と大きな政府という相対立する思想が同居しており、政策が円滑に決定されない。「官から民へ」というスローガンを唱えて登場した小泉政権も、新自由主義改革を推進するために、党内の抵抗勢力との間で複雑な駆け引きを繰り返してきた。結果的には、郵政民営化や社会保障費の抑制など新自由主義的政策が小泉政権の遺産となった。
新自由主義
政府の規制を緩和・撤廃して民間の自由な活力に任せ成長を促そうとする経済政策。債務危機の解決をめぐって国際通貨基金(IMF)など国際金融機関が融資の条件として債務国に採用を求めたこともあって、急速に中南米各国に広まった。緊縮財政や外資導入、国営企業の民営化、リストラのほか、公共料金の値上げや補助金カットなどを進めるため、貧困層の生活を直撃し国民の反発が強い。ベネズエラ大統領選でのチャベス政権誕生やエクアドル政変、アルゼンチン、ボリビアでの暴動など、新自由主義への反対を掲げた市民の動きが目立ち、南米の左派政権誕生の原因となった。
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新自由主義
しんじゆうしゅぎ
New Freedom
アメリカの政治家ウィルソンが1913年の大統領選挙の際に掲げたスローガン
大企業や少数特権者の横暴を批判し,自由競争と経済的な機会均等を唱えたもの。1913年大統領に就任すると,これにもとづき関税引下げ,鉄道従業員の8時間労働制実施,独占取締のための連邦通商委員会の設置,クレイトン反トラスト法の制定,上院議員の直接選挙,禁酒法の制定など,多くの革新政治を行った。
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