ピルニッツ宣言(読み)ぴるにっつせんげん

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ピルニッツ宣言」の解説

ピルニッツ宣言(ピルニッツせんげん)
Pillnitz

フランス革命進行に対する皇帝プロイセン王との共同警告宣言ハプスブルク家の皇帝レオポルト2世は,マリ・アントワネットの実家にあたり,ヴァレンヌ事件後に,フランスの王位が危うくなったのをみて,列国君主にフランスに対する共同抗議を呼びかけ,1791年8月にピルニッツでプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世と会見し,フランスにおける王の地位の回復を求める宣言を発し,革命戦争誘因となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピルニッツ宣言」の意味・わかりやすい解説

ピルニッツ宣言
ピルニッツせんげん
Deklaration von Pillnitz

1791年8月,神聖ローマ皇帝レオポルト2世とプロシア王フリードリヒ・ウィルヘルム2世とがザクセンピルニッツ宮殿で会見し,フランス革命の進行を前に,フランス王を擁護する立場を明らかにした共同宣言レオポルトは啓蒙君主であったが,ルイ 16世の妃マリ・アントアネットオーストリアのハプスブルク家出身の妹であったところから,バレンヌ逃亡事件以後フランス王の地位が危くなったのをみて,このような挙に出たものである。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピルニッツ宣言」の意味・わかりやすい解説

ピルニッツ宣言
ぴるにっつせんげん

オーストリア皇帝レオポルト2世とプロイセン国王フリードリヒ2世が1791年8月に発した共同声明。レオポルト2世はバレンヌへの逃亡に失敗したフランスのルイ16世夫妻の身の上を案じ、フランス革命に対する諸国君侯の抗議を要請するとともに、ドイツのピルニッツPillnitzでプロイセン王と会見し、フランス王家の安泰と国王親政の復権を求め、革命政権の非正統性を唱えた。この共同宣言こそ、フランス国民を不当に刺激して、翌92年の革命戦争を誘う要因となる。

[金澤 誠]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ピルニッツ宣言」の解説

ピルニッツ宣言
ピルニッツせんげん
Pillnitz

フランス革命中の1791年8月,オーストリア皇帝レオポルト2世とプロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム2世が南ドイツのピルニッツで発した共同宣言
フランスの秩序回復と国王の安全は全欧州君主の共通利害であり,列国は共同して革命勢力に対処すべきであると表明。フランス革命に対する外国の武力干渉の端緒となった。

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