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ピンクニー ピンクニーPinckney, Charles

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ピンクニー
ピンクニー
Pinckney, Charles

[生]1757.10.26. サウスカロライナチャールストン
[没]1824.10.29. サウスカロライナ,チャールストン
アメリカの政治家,外交官。独立革命期にはイギリス軍に捕えられ投獄された。 1784~87年大陸会議へのサウスカロライナ代表。 87年の合衆国憲法制定会議に参加し,いわゆる「ピンクニー案」を起草。

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ピンクニー
ピンクニー
Pinckney, Charles Cotesworth

[生]1746.2.25. サウスカロライナ,チャールストン
[没]1825.8.16. サウスカロライナ,チャールストン
アメリカの法律家,軍人,政治家,外交官。サウスカロライナ植民地議会議員。独立戦争では G.ワシントン将軍の副官をつとめ,准将にまで昇進。 1787年合衆国憲法制定会議では従弟の C.ピンクニーとともに活躍。

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ピンクニー
ピンクニー
Pinckney, Thomas

[生]1750.10.23. サウスカロライナ,チャールストン
[没]1828.11.2. サウスカロライナ,チャールストン
アメリカの政治家,外交官。独立戦争に参加後,1787~89年サウスカロライナ州知事,同州の憲法批准会議議長,92~96年イギリス駐在大使。 95年スペインへ特使として派遣され,ピンクニー条約を締結。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版の解説

ピンクニー【Charles Pinckney】

1757‐1824
アメリカの政治家。サウス・カロライナのプランター出身。独立革命に参加。1784‐87年連合会議議員。合衆国憲法制定会議でサウス・カロライナ代表として強力な中央政府を主張し,また権利章典も提案した。フェデラリスツのサウス・カロライナ州知事(1789‐92),のち態度を変えリパブリカンズの同州知事(1796‐98,1806‐08)と連邦上院議員(1798‐1801)となる。スペイン駐在公使(1801‐05)としてルイジアナ購入交渉に成功し,連邦下院議員(1819‐21)としてミズーリ協定に反対した。

ピンクニー【Charles Cotesworth Pinckney】

1746‐1825
アメリカの政治家。サウス・カロライナ出身。チャールズ・ピンクニーの従兄。同植民地議会議員から独立革命に参加し,ワシントンの副官となり,1783年准将に昇任。合衆国憲法制定会議ではサウス・カロライナ代表として,議員割当基準に奴隷人口の5分の3の算定と,1808年まで奴隷制に介入できないことを強く主張した。1796年に駐仏公使に任命されたが,フランスは着任を拒否。97年に対仏交渉のため派遣され,フランス官吏のわいろ要求を拒否して帰国したXYZ事件で一時対仏緊張を生じさせた。

ピンクニー【Thomas Pinckney】

1750‐1828
アメリカの政治家,外交官。サウス・カロライナ出身。C.C.ピンクニーの弟。イギリスで教育をうけ,1774年に帰国し独立革命に参加,キャムデンの戦で重傷を負う。チャールストンで弁護士として成功し,87‐89年サウス・カロライナ邦知事,88年には同邦の合衆国憲法批准会議議長を務めた。92‐96年に駐英公使,1795年にスペインに特使として派遣され,国境画定,ミシシッピ川航行権に関する有利なサン・ロレンツォ条約(ピンクニー条約とも呼ばれる)の締結に成功した。

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