ソ連邦の小説家。職業的革命家の家に生まれ,ウラジオストク商業学校のころから革命運動に参加,その経験を描いた短編《流れに抗して》(1923),中編《氾濫(はんらん)》(1924)でデビュー。長編《壊滅》(1927)で文名を確立し,プロレタリア作家の中心的存在となった。白衛軍と日本軍に包囲されたパルチザンの悲劇を扱い,さまざまな隊員たちの性格や内面世界をトルストイ的な心理主義的リアリズムで描きわけたこの作品は,初期ソ連文学の傑作の一つとされている。極東を舞台にした長編《ウデヘ族最後の者》(1929-40)は,作者自身も認めるとおり失敗作だが,第2次世界大戦中に10代の少年少女が組織したレジスタンス運動を描いた長編《若き親衛隊》(1945)は多くの賞賛を受けた。しかしその後〈党の指導が十分に描かれていない〉と批判され,これを全面的に受け入れて1951年に改版を出した。1920年代末からロシア・プロレタリア作家協会(RAPP(ラツプ))の指導者だった彼は,34年にソ連邦作家同盟が設立されるや幹部会員に,46年からは同書記長,1939年には文学者代表として党中央委員になり,文学面でのスターリン体制の確立に指導的な役割を果たした。56年の第20回党大会でのスターリン批判と,その席でのショーロホフによる名指しの非難のあと,彼は作家と文学官僚との矛盾に苦しんで深酒にふけり,ピストル自殺した。彼の苦悩は死後刊行された論文集《30年間》(1957)にうかがえる。ソ連の文学史は彼の死因には触れていない。
執筆者:原 卓也
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…同規約では,〈社会主義リアリズム〉とは,〈現実をその革命的発展において,真実に,歴史的具体性をもって描く〉方法であり,その際,〈現実の芸術的描写の真実さと歴史的具体性とは,勤労者を社会主義の精神において思想的に改造し教育する課題と結びつかなければならない〉とされた。この定式は,1932年4月,文学団体再編成についての共産党中央委員会決議後,作家同盟準備委員会でのゴーリキー,ルナチャルスキー,キルポーチンValerii Yakovlevich Kirpotin(1898‐1980),ファジェーエフらの討論を経てまとめられたもので,討論の過程では,社会主義リアリズムとは,〈社会主義が現実化した時代のリアリズムである〉,〈19世紀ロシア文学の方法とされた“批判的リアリズム”が,現実の欠陥,矛盾をあばきながら,その批判を未来への明るい展望と結びつけられなかったのとは異なり,革命的に発展する現実そのものの中に未来社会への歴史的必然性を見いだす新しい質のリアリズムである〉,その意味でこれは〈革命的ロマンティシズムをも内包する〉と強調された。実作面でこの方法に道を開いた作品としては,ゴーリキーの諸作品,とくに《母》(1906),ファジェーエフの《壊滅》(1927),N.A.オストロフスキーの《鋼鉄はいかに鍛えられたか》(1932‐34)などが挙げられた。…
※「ファジェーエフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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