翻訳|fashion
服飾における流行,または流行の服飾そのものを指す。フランス語のfaçonからきていることばで,もののやり方を意味していた。フランスではモードmodeということばを使っている。服のつくり方,着方,その流行といったものをあらわすようになるのは16世紀以後で,ルネサンス期から,服装についての関心が高まったことを示している。それ以後,服装に対する時代の好みといったものは,つねにあったわけであるが,1920年代以後の現代ファッションと,それ以前を分けて考えなければならない。ダイアナ・デ・マーリーは,ファッションをつくりだしていく要因として,人間の競争心と新しいものへの好みをあげている。20年代以後の大衆社会において,それらの要因は,飛躍的な規模で企業化され,毎年の流行をつくりだすシステムがつくりだされた。
ルネサンスから18世紀まではファッションは王侯貴族のものであった。フランス革命を経て,19世紀になると,ファッションはようやく一般化してくる。とくに19世紀後半の,フランスの第二帝政時代は,ぜいたくな消費文化が栄え,F.ワースのようなファッション・デザイナーの先駆者があらわれた。パリはファッションの中心地としての地位を確立しはじめ,ファッション雑誌があらわれる。
20世紀に入ると,ファッションに大きな変化が訪れる。それまでコルセットによって,胸とお尻が出たS字形の不自然な体形を強いられてきた女性が,コルセットを脱ぎ,まっすぐ立つようになり,着やすく,動きやすい服が求められるようになったのである。第1次世界大戦後,女性は社会に出ていくようになり,ファッションに決定的な影響を与える。P.ポアレに代表される1910年代は,その過渡期であった。20年代に入ると,ほっそりした直線的なデザインが好まれ,スカートも短くなり,スポーティになる。アメリカなどの女性がパリ・ファッションを買うようになり,マーケットは巨大なものとなった。パリが毎年新しいファッションを発表し,それがすぐさま世界中に伝えられるというシステムが確立されるのは20年代になってからである。スカートの長さが1年ごとに違うという,ファッションのサイクルがこうしてあらわれる。
次に新しい局面があらわれるのは第2次世界大戦後の1950年代である。この時期に,ティーン・エージャーのマーケットが形成され,ハイ・ファッションとヤング・カジュアル・ファッションとに分裂し,またオート・クチュール(高級注文服)とプレタポルテ(高級既製服)が二重化してくる。
1980年代に入って,つねに新しいものを追い求めてきた現代ファッションは,行き詰りをみせ,みずからの歴史をふりかえろうとしている。歴史的回顧展が開かれるようになり,毎年脱ぎ捨てられてきたファッションも,ようやく総合的に研究されるようになってきた。
執筆者:海野 弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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