フェルナンデス(Dominique Fernandez)(読み)ふぇるなんです(英語表記)Ramon Fernandez

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

フェルナンデス(Dominique Fernandez)
ふぇるなんです
Dominique Fernandez
(1929― )

フランスの作家、批評家。パリに生まれる。父親は第二次世界大戦前に活躍した文芸評論家ラモン・フェルナンデス。高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)へ進み、イタリア語の教授資格を取得。一時ナポリで教鞭(きょうべん)をとった。1961年結婚(のち離婚)。イタリアの作家パベーゼの研究により文学博士号を得たあと、1966年以降ブルターニュ地方のレンヌ大学の教授となる(1989年まで)。旺盛(おうせい)な作家活動に加え、『ヌーベル・オプセルバトゥール』誌などの定期寄稿者として批評活動を続けている。

 数多い作品群を貫いているのはイタリアへの深い愛着と造詣(ぞうけい)であり、「精神分析的伝記小説」ともよばれる独自の手法によって、多くは実在の人物の内面に入り込み、「戦闘的同性愛者」を自称する作者らしい熱っぽい語り口のうちに、少数者の苦悩、性差別のない社会への希求などを浮き彫りにする。同時に、博識をもとに文化的背景、時代までを描き、たとえば去勢歌手カストラートを扱った代表作『ポルポリーノ、あるいはナポリの秘密』Porporino ou les Mystères de Naples(1974。メディシス賞受賞)は18世紀のナポリの再現でもある。小説作品としては、ほかに『薔薇(ばら)色の星』L'Étoile rose(1978)、『シニョール・ジョバンニ』Signor Giovanni(1981)、同性愛者で非業の死を遂げた詩人・映画監督のパゾリーニが主人公の『天使の手のなかで』Dans la main de l'ange(1982。ゴンクール賞受賞)、『愛』L'Amour(1986)、エイズを取り上げた『除(の)け者の栄光』La Gloire du Paria(1987)、『南の学校』L'École du Sud(1991)、『ポルフィリオとコンスタンスPorfirio et Constance(1992)、チャイコフスキーと当時のサンクト・ペテルブルグを描いた『名誉の法廷』Tribunal d'honneur(1996)などがあげられる。

 評論、旅行記もまた小説作品の生成と分かちがたくかかわっており、精神分析的に創造者の秘密を探ろうとする『パベーゼの挫折(ざせつ)』L'Échec de Pavese(1967)、『木、その根まで』L'Arbre jusqu'aux racines. Psychanalyse et Création(1972)、『エイゼンシュタイン――木、その根までⅡ』Eisenstein : L'Arbre jusqu'aux racines, tome 2(1975)、イタリアの探求『母なる地中海』Mère Méditerranée(1965)、『恋する散歩者――ベネチアからシラクーザへ』Le Promeneur amoureux, de Venise à Syracuse(1980)、さらにはバロックの旅『天使の饗宴(きょうえん)――バロックのヨーロッパ、ローマからプラハまで』Le Banquet des anges : l'Europe baroque de Rome à Prague(1984)、『熱帯の黄金――バロックのポルトガルとブラジル』L'Or des tropiques, promenades dans le Portugal et le Brésil baroques(1993)、『サンクト・ペテルブルグの白魔術』La Magie blanche de Saint-Pétersbourg(1994)、あわせて同性愛文化の歴史『ガニュメデスの誘拐(ゆうかい)』Le Rapt de Ganymède(1989)、『隠さぬ愛――芸術と同性愛』L'Amour qui ose dire son nom. Art et homosexualité(2002)などがある。ヌーボー・ロマン以降の文学界において重要な位置を占めている。

[田部武光]

『岩崎力訳『木、その根まで――精神分析と創造』(1977・朝日出版社)』『岩崎力訳『薔薇色の星』(1983・早川書房)』『岩崎力訳『天使の手のなかで』(1985・早川書房)』『岩崎力訳『天使の饗宴――バロックのヨーロッパ、ローマからプラハまで』(1988・筑摩書房)』『榊原晃三訳『除け者の栄光』(1989・新潮社)』『岩崎力訳『ガニュメデスの誘拐――同性愛文化の悲惨と栄光』(1992・ブロンズ新社)』『三輪秀彦訳『ポルポリーノ』第2版(1995・早川書房)』『大久保昭男訳『母なる地中海』(1999・河出書房新社)』『田部武光訳『シニョール・ジョヴァンニ』(創元推理文庫)』


フェルナンデス(Joãn Fernandez)
ふぇるなんです
Joãn Fernandez
(1526?―1567)

ポルトガルの宣教師。富裕な商人の息子としてコルドバに生まれ、リスボンで絹商人をしていた。イエズス会修道院で鞭(むち)打ちの苦行を目撃したことから、1547年同会に入会。翌1548年助修士としてインド布教に渡航、ザビエルに接して、1549年(天文18)ともに鹿児島に上陸した。ザビエルの通詞(つうじ)として随行し、おもに平戸(ひらど)(長崎県)を中心に山口、府内(大分県)、横瀬浦(長崎県)、鹿島(佐賀県)などに伝道。その巧みな日本語を評価され、ルイス・フロイスの日本語文法書、辞書編纂(へんさん)に携わり、のち平戸に没した。

[磯見辰典 2018年2月16日]

『シュールハマー著、神尾庄治訳『山口の討論』(1964・新生社)』『ジョアン・ロドリーゲス著、柳谷武夫訳『大航海時代叢書第10 日本教会史 下巻』(1970・岩波書店)』『ルイス・フロイス著、柳谷武夫訳『日本史 第1巻』(平凡社・東洋文庫)』


フェルナンデス(Ramon Fernandez)
ふぇるなんです
Ramon Fernandez
(1894―1944)

フランスの作家、評論家。メキシコ公使の子としてパリに生まれる。1926年評論集『メッセージ』Messagesで注目され、32年には小説『賭(かけ)』Le Pariフェミナ賞を受けた。政治的関心が強く、その立場は共産党から人民党(右翼)へと大きく揺れ、第二次世界大戦中は対独協力派であった。最晩年の『プルースト』『フランスの道程』(ともに1943)が重要。作家ドミニック・フェルナンデスの父である。

[岩崎 力]

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改訂新版 世界大百科事典 の解説

フェルナンデス
Ramon Fernandez
生没年:1894-1944

フランスの批評家。1923年に《NRF(エヌエルエフ)》誌に登場,以後同誌を代表する批評家の一人として活躍した。その立場は評論集《メッセージ》(1926)にうかがわれる哲学批評であって,文学作品の底にひそむ形而上学の解明をその特徴とした。彼自身第1次大戦後の不安の世代に属するだけに,34年のスタビスキー事件に端を発した2月6日事件直後に有名な《アンドレ・ジッドへの公開状》を発表して共産党に入党したが,まもなく幻滅して脱党,極右のフランス人民党に加盟し,第2次大戦のドイツによる占領中は進んでドイツ軍に協力した。作品としてほかに,《人格について》(1928),小説《賭》(1932。フェミナ賞受賞)がある。
執筆者:


フェルナンデス
Gregorio Fernández
生没年:1576ころ-1636

スペインの彫刻家。エルナンデスHernándezともいう。ガリシアに生まれ,バリャドリードで没。カスティリャ派バロック彫刻の総帥。反宗教改革の時代にあって,彼の木造賦彩の宗教彫刻は一世を風靡し,その影響は1700年ごろまで続きポルトガルにも及んだ。自然主義的な人体表現と鋭角的な衣紋を組み合わせた神秘主義的な作風を見せ,数多くの祭壇ついたてや聖人像,宗教行列用の受難像を刻んだ。《横臥するキリスト》《ピエタ》などの作品がある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

フェルナンデス
Fernandez,Dominique

[生]1929.8.25. パリ
フランスの作家。イタリア文学を専攻。大学で教鞭をとりながら,精神分析の手法を駆使し,物語性への回帰といわれる小説,評論を発表。 18世紀ナポリの去勢した歌手を描いた『ポルポリーノ』 Porporino ou les Mistères de Naples (1974) でメディシス賞,P.P.パゾリーニをモデルにした『天使の手のなかで』 Dans la main de l'ange (82) でゴンクール賞を受賞。同性愛者であることを公言し,『除け者の栄光』 La Gloire du paria (87) ではエイズ AIDSを主題に取上げている。評論集に『木,その根まで』L'Arbre jusqu'aux racines (72) など。

フェルナンデス
Fernandez, Royes

[生]1929.8.15. ニューオーリンズ
[没]1980.3.3. ニューヨーク
アメリカの舞踊家。 A.ダニロワ,A.マルコワらに学び,1946年ド・バジル・バレエでデビュー。マルコワ=ドーリン・バレエ団,アリシア・アロンソ・バレエ団,ミア・スラベンスカ・バレエ団などでソリストとして踊った。 57~73年アメリカン・バレエ・シアターの首席舞踊手をつとめ,その間ロンドン・フェスティバル・バレエ団や M.フォンティンの世界ツアーに客演した。

フェルナンデス
Fernandez, Emilio

[生]1904.3.26. エルセコ
[没]1986.8.6. メキシコシティー
メキシコの映画監督,俳優。メキシコ革命戦争に参加するが,渡米してアメリカ映画に出演。 1933年帰国し,41年から監督。 45年の『マリア・カンデラリア』 Maria Candelariaや 47年の『真珠』 La Perlaなどは国際的にも高く評価された。 50年代末からアメリカの西部劇にも出演,ユニークな脇役として活躍した。

フェルナンデス
Fernández(Hernández), Gregorio

[生]1576頃.サリア?
[没]1636.1.22. バリャドリド
スペインの彫刻家。 1605年頃よりバリャドリドで活躍。彩色を施すスペイン宗教彫刻の伝統にならい,写実主義を徹底させた作風で,スペインにおけるバロック的自然主義の最初の彫刻家に数えられる。主要作品はバリャドリドとプラセンシア大聖堂の祭壇装飾,『ピエタ』 (1617,バリャドリド美術館) ,『キリストの洗礼』 (30?) 。

フェルナンデス
Fernándes, Juan

[生]1525
[没]1567. 平戸
ポルトガルのイエズス会士。 F.ザビエルに随行して天文 18 (1549) 年薩摩に上陸。日本語が巧みな宣教師として活躍。

フェルナンデス

グアダルペ・ビクトリア」のページをご覧ください。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説

フェルナンデス Fernandes, Joãn

1526-1567 ポルトガルの宣教師。
スペインのコルドバ生まれ。イエズス会士。天文(てんぶん)18年(1549)ザビエルの通訳をかねて来日,平戸,山口などで布教する。日本語にすぐれ,宗教書を翻訳,日本語の文法書,辞書をつくった。永禄(えいろく)10年5月20日平戸で死去。41歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のフェルナンデス(Dominique Fernandez)の言及

【スペイン美術】より

…こうした宗教彫刻が輝かしい成果を収めたのはマニエリスムとバロックの時代で,マニエリストとしては,きわめて表現主義的なA.ベルゲーテとJ.deフーニが傑出している。バロック時代に入るとカスティリャ派のG.フェルナンデスがマニエリスムの表現主義的傾向を継承発展させた。それに対して南部セビリャ派のマルティネス・モンタニェース,グラナダ派のA.カーノやP.deメーナが優雅なレアリスムを展開し,当時の民衆の素朴な信仰心にこたえたのである。…

【バロック美術】より

…リベラおよびスルバランは反宗教改革の内省的精神と真実な信仰の表白者である。彫刻においてもカスティリャのフェルナンデス,セビリャのマルティネス・モンタニェースは,彩色木彫によって情動的な〈哀しみのマリア像〉を作り,ベラスケスの弟子カーノもまた民衆にアピールする甘美でセンチメンタルな宗教像を作った。これらのスペインの彫刻は,民衆の熱烈な信仰のもっとも民俗的な表出である。…

※「フェルナンデス(Dominique Fernandez)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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