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ベネチア ベネチア Venezia

翻訳|Venezia

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ベネチア
ベネチア
Venezia

イタリア北東部,アドリア海北西岸にあるベネト州の州都,港湾都市ベネチア県の県都でもある。英語ではベニス Veniceベネチア湾奥の潟湖の多数の島からなり,約 400の橋によってつながれる。

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デジタル大辞泉の解説

ベネチア(Venezia)

イタリア北東部、アドリア海に臨む港湾都市。市街地は約120の小島を約400の橋で結んだ水の都で、運河が176あり、ゴンドラによる交通が有名。サンマルコ大聖堂など歴史的な建物が多い。7世紀ころから貿易で発展。中世末に共和国を樹立、東地中海に多くの植民地を獲得して繁栄した。1866年イタリア王国に編入。ガラス・宝石・皮革などの工芸品を産する。1987年「ベネチアとその潟」の名称で世界遺産文化遺産)に登録された。ベネツィア。英語名ベニス。

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百科事典マイペディアの解説

ベネチア

イタリア北部,ベネト州の州都。英語ではベニスVenice。ベネチア湾に臨み,117の島からなり,本土とは鉄道橋と自動車橋で結ばれる。大運河を中心に運河が縦横に走り,リアルト橋をはじめ約400の橋で各島が結ばれ,交通は水上バスゴンドラモーターボートで,車は進入できない。
→関連項目ゴンドラ地中海マルコ

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世界大百科事典 第2版の解説

ベネチア【Venezia】

イタリアのベネト州の州都で,アドリア海の最も奥まった所にある潟(ラグーナLaguna)の上に形成された水の都である。英語ではベニスVeniceという。人口30万6000(1994)。この潟は,堤防のように延びるリドLido島によってアドリア海と隔てられ,その途中3ヵ所にある自然の水門から出入りする海水によって絶えず浄化されている。ベネチアはこのような生きた潟のデリケート自然環境のうえに誕生し,水辺の困難な条件を克服しながら独特の都市を築き上げた。

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大辞林 第三版の解説

ベネチア【Venezia】

イタリア北東部、アドリア海に面する港湾都市。市街は潟湖せきこにある一二二の島とそれを結ぶ四〇〇以上の橋からなる「水の都」。サン-マルコ聖堂などの史跡が多く、ゴンドラなどの風物で世界的観光地として有名。七世紀末、地中海貿易を独占し、共和国を樹立。一五、六世紀芸術の中心地となり、1866年イタリア王国に統合。英語名ベニス。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ベネチア
べねちあ
Venezia

イタリア北東部、ベネト州の州都、ベネチア県の県都で、アドリア海北岸に臨む港湾都市。英語名ベニスVenice。人口26万6181(2001国勢調査速報値)。ベネチア湾奥のベネト・ラグーン(潟湖(せきこ))に発達した砂州からなる122の小島が中心市街地の地盤であり、これらの島々は約400の橋で結ばれている。それらの橋の一つリアルト橋は、16世紀に木造橋を石組みに改造したもので、アーケードがついた形が美しく、観光名所となっている。市内には176の運河が縦横に走り、有名な大運河(カナル・グランデ)が市内を北西から南東にS字形に貫き、「水の都」「潟湖の都市」とよばれる世界屈指の観光都市となっている。1987年にベネチアとその潟は世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。[藤澤房俊]

交通

島々には至る所に曲がりくねった道が通ずるが、狭小で水路に遮られるため自動車は通行できない。主要な交通路は運河で、交通機関はモーター・ランチと、長さ約10メートル、幅1.5メートルほどのゴンドラである。本土の重化学工業地区メストレMestreと島々とを結ぶ長さ4キロメートルの鉄道が1846年に開通し、その鉄道沿いに1932年開通の自動車道路が通じる。メストレ北東に、1960年に開港した2750メートルの滑走路をもつマルコ・ポーロ空港があり、イタリア各地と結んでいる。また沖合いの砂州上の市街リドには観光客専用の小さな空港もある。中世以来、東西貿易の中継港として発展し、現在もイタリア六大港の一つで、多くの商船が寄港する。[藤澤房俊]

産業の発展と地盤沈下問題

主産業はガラス製品、宝石、大理石細工、陶器、皮革製品、レース織物などの手工業品の製造である。とくに、11世紀以来、市の北1.6キロメートルに位置するムラーノ島でつくられるベネチア・ガラスは、伝統的な形を維持しつつ最新のデザインや技術をも取り入れ、世界のガラス工芸をつねにリードしている。また大運河の出口に位置するビザンティン・ロマネスク様式のサン・マルコ大聖堂や、かつてベネチア共和国政庁であったドゥカーレ宮殿などの歴史的建築物、アカデミア美術館所蔵のベネチア派の絵画など観光資源は豊富であり、美しい運河の景観と相まって、観光産業は盛んである。市の財源は、観光事業からの収入も大きいが、メストレを中心とする対岸部の化学、冶金(やきん)、製鉄、石油精製、機械製造、造船などの産業に依存している。しかし、工業の著しい発達によって大気や海水の汚染や地下水くみ上げによる地盤沈下が進んだ。とくに地盤沈下の被害は深刻で、サン・マルコ大聖堂の広場は冬季にしばしば浸水し、1966年11月の大風雨の際は全市が水浸しとなった。地盤沈下防止のために市内の井戸水のくみ上げが禁止され、飲料水は市の北西32キロメートルのカステルフランコ・ベネト近くのサンブロージオ・ディ・グリオから送水されている。[藤澤房俊]

文化・教育

市の東部に位置する現代美術展会場でのベネチア・ビエンナーレ展やベネチア国際映画祭などの文化活動は活発で、それを目的に訪れる外国人も多い。毎年7月末には、飾りをつけた舟が運河を行進するフェスタ・デル・レデントーレ、9月に大運河で行われるレガータ・ストーリカ(ゴンドラの競漕(きょうそう))など、有名な行事もある。1868年創設のベネチア大学は、この町の歴史的伝統を受け継いで東洋研究が盛んで、日本学科もある。[藤澤房俊]

歴史

5~7世紀、イタリア北部に侵入した西ゴート人、フン人、ランゴバルド人からの避難所として、アドリア海北辺のあちこちの潟地にアクィレイアなど北部諸都市の住民が移住し、先住の漁民とともにいくつかの都市的集落を形成した。混乱のなかで独立性を高めたこの諸集落は一種の連合体を形成し、697年には1人のドージェ(首長)をもった。塩・魚の販売や貿易で富を得たこの連合体の支配をめぐり、ビザンティン帝国とフランク王国とが対立した。8世紀末、後者の攻撃を受けたこの連合体は防衛のため首府をマラモッコからリアルトに移した。この潟中の小島とその周辺の無数の小島の上に形成・発展した都市がやがてベネチアとよばれた。
 810年のビザンティン、フランク、東西両国の条約で、ベネチアはビザンティン帝国に帰属するが、フランク王国との貿易権をもつこととなり、東西貿易の中心となる準備が整った。9、10世紀、ベネチアはアドリア海北辺の競争相手たる海港都市コマッキオを打倒し、また航路として重要なダルマチア沿岸に覇権を樹立した。11世紀、弱体化したビザンティン帝国の要請でアドリア海南辺の海上防衛を引き受けたベネチアは、代償として帝国内での広範な貿易特権を得た。同時に東地中海にも進出して各地のイスラム教徒と貿易していたが、十字軍がシリアに進出すると、十字軍への援助の代償としてそこでの貿易特権を得た。ベネチアは、こうした貿易で得た富と力を背景に、13~16世紀の間、国際政治の場で重要な役割を果たした。だが17世紀には、イギリスなど北西ヨーロッパ諸国の地中海貿易への進出により、ベネチアは没落した。ついで、世界貿易の大動脈から外れて後進地域となってしまった地中海周辺の、自由かつ洗練された歓楽的な雰囲気で名高い一小国として18世紀を迎えた。
 イタリアに侵入したナポレオン1世は、1797年ベネチアを占領して長く続いた共和制を廃止させ、オーストリアに移譲した。1805年ナポレオン支配下のイタリア王国に帰属したが、1815年オーストリア支配下のロンバルド・ベネト王国に帰属した。1861年統一イタリア王国が成立したが、オーストリアによる支配のため、ベネチアはそれには参加しえなかった。プロイセン・オーストリア戦争でオーストリアが敗北すると、1866年人民投票により統一イタリア王国に編入された。その際、従来ベネチアの付属領土だったイストリアやダルマチアがオーストリア領にとどまり、「イタリア・イレデンタ」(未回収のイタリア)として問題化した。
 第一次世界大戦後、港湾施設や産業の近代化が進められ、第二次世界大戦後、世界的観光地になる一方、中世そのままの都市と近代生活との調和を目ざす努力が続けられ注目されている。[斉藤寛海]
『マクニール著、清水廣一郎訳『ヴェネツィア――東西ヨーロッパのかなめ 1081―1797』(1979・岩波書店) ▽ブローデル著、岩崎力訳『都市ヴェネツィア――歴史紀行』(1986・岩波書店) ▽F. C. Lane ed. Venice, A Maritime Republic(1973, The Johns Hopkins University Press, Baltimore and London)』

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世界大百科事典内のベネチアの言及

【ガレー船】より

…したがって商船として用いられる場合には香料のような軽量高価な商品が運ばれた。とくにベネチアは国営造船所で造ったガレー船を市民に貸しつけ,国家による厳重な運航管理のもとに香料の輸送を行う船団(ムーダ)制度を発展させた。インド航路の発見によってベネチアの香料独占が不可能となった後は,ガレー商船の経済的意義は失われた。…

【商業】より

…〈中世農業革命〉あるいは〈大開墾の時代〉と呼ばれるこの現象は10世紀末ぐらいから各地の人口を増大させ,商業活動に刺激を与えることになった。これを受けて地中海地域では,ベネチアやアマルフィのように従来ビザンティン帝国と密接な関係をもっていた都市の商人の活動がさらに活発になり,コンスタンティノープルおよびその周辺だけでなく,シリア,エジプトなどでも活動するようになった。ベネチア人がキプロス,クレタおよび黒海沿岸を除くすべての帝国領内で関税を免除され自由な商業活動を行うことを皇帝アレクシオス1世に許されたのは1082年であった。…

【地中海】より

…それはそこで商売をしたり,食料や水を補給するためでもあった。ベネチアは一時期,東地中海を支配した海上帝国をなしたといわれているが,実際に軍事的に支配していたのは沿岸部のごく狭い帯状の地域であり,海上交易により繁栄していたベネチアにとってはそれだけでこと足りたのである。 しかし,地中海の航海が,見えている地点を目ざした1日行程の航海だけで成り立つわけではない。…

【トルチェロ[島]】より

…イタリア北部,ベネチアの北東約10kmに位置する,ラグーン上の小島。行政上ベネチアに属す。…

【ベネチア派】より

…広義には,ベネチアが都市共和国として政治的経済的な繁栄を誇った中世から18世紀にかけて,この都市(および周辺のベネト地方)で生み出された美術全般をいうが,実質的には,とくに15~16世紀と18世紀に2度にわたって黄金時代を迎えたベネチア絵画を指す。 ベネチアの美術は11世紀以来のサン・マルコ大聖堂のモザイク装飾に始まると言えるが,この都市の地理的・歴史的環境からビザンティン美術の影響が長く残存し,その影響は,十分な発展を遂げなかった同地のロマネスクやゴシック美術の性格をも色濃く規定している。…

【マルコ】より

…アレクサンドリアで布教し,そこで司教となり殉教したという伝説に由来して,頭にターバンを巻いたり,司教服を着ていることもある。9世紀に遺体がアレクサンドリアで発見され,海路ベネチアへ運ばれ,途中数々の奇跡がおこったという伝説の諸場面もよく表される。ベネチアでは,遺骨を納めるため,9世紀にサン・マルコ大聖堂が建てられ(現在の建築は11世紀起工),またベネチアの美術には,同市の守護聖人となったマルコや,市の紋章でもある獅子がよく登場する。…

【ラテン帝国】より

…第4回十字軍とベネチアが,〈ローマニア(ビザンティン帝国支配領域)分割協定〉(1204年3月)に基づき,コンスタンティノープル攻略(1204年4月)後に合作した国家。同協定の定める皇帝選考委員会(ベネチア側,騎士側それぞれ6名から成る)は,自ら従軍したベネチア総督ダンドロEnrico Dandoloの筋書どおり,十字軍指導者のモンフェルラート辺境伯ボニファチオBonifacioをさしおいて,フランドル伯ボードアンBeaudouinを選び,後者は,皇帝を出さなかったベネチア側から選ばれたコンスタンティノープル・ラテン総主教モロシニTomaso Morosini(ベネチア貴族出の修道士)により,アヤ・ソフィア教会でボードアン1世(在位1204‐05。…

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