フス戦争(読み)フスセンソウ

デジタル大辞泉 「フス戦争」の意味・読み・例文・類語

フス‐せんそう〔‐センサウ〕【フス戦争】

1419~1436年にわたるボヘミアフス派の反乱。フス処刑後、その信奉者がプラハ蜂起神聖ローマ皇帝ローマ教皇十字軍を派遣したが鎮圧失敗、最終的に和約が成立した。

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精選版 日本国語大辞典 「フス戦争」の意味・読み・例文・類語

フス‐せんそう‥センサウ【フス戦争】

  1. ボヘミアの宗教改革者フスの処刑(一四一五)後、カトリック教会の弾圧に対してフス派の起こした反乱(一四一九‐三六)。これに対し神聖ローマ皇帝兼ボヘミア王は教皇の要請で十字軍を起こした(一四二〇‐三一)が、失敗に終わる。のちフス派は分裂し、一四三六年皇帝との和が成った。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フス戦争」の意味・わかりやすい解説

フス戦争
ふすせんそう

ボヘミアのフス派の反乱(1419~1436)。1415年フスが異端として処刑されたあと、ボヘミアでは抗議の動きが相次ぎ、ローマ教会派の司祭教区から追放されたが、1419年プラハで反乱が勃発(ぼっぱつ)し、全国に拡大した。当時ボヘミアでは教会と修道院が国土のなかばを所有し、ドイツ人が国内の要職の大多数を占めていたという事実が反乱の重要な背景をなしており、反乱はローマ教会とドイツ人に対するチェコ人の民族主義運動でもあったといえる。しかしフス派の側もウトラキスト派タボル派の二派に分かれ、内部対立を抱えていた。

 ウトラキスト派は、パンとぶどう酒の聖餐(せいさん)を俗人信者にも与えよとの要求に由来する名称で、そのほか神のことばの自由な説教、教会財産の没収、聖職売買などの悪弊の廃止を共同綱領として掲げた。それに対してタボル派は、プラハ南方に彼らが築いた城塞(じょうさい)に名称の起源をもち、聖像・聖遺物崇拝、十分の一税、教会の階層秩序と修道院制度の廃止などを主張し、神の審判の間近なことを信じて、ウトラキスト派に比べてはるかにラディカルであった。

 神聖ローマ皇帝兼ボヘミア王ジギスムントは、ローマ教皇の要請もあって十字軍をボヘミアに派遣したが、タボル派を主力とするフス派の軍勢はしばしば十字軍を破り、一時はオーストリア、バイエルン、ザクセン、ブランデンブルクなどドイツ国内にまで侵入した。反乱の鎮圧に失敗した皇帝・教皇側は、1433年パンとぶどう酒による聖餐を認めることで和解を取り付け、翌年ウトラキスト派は和解に反対するタボル派をリパンに破り、1436年に最終的な和約が成立。その結果、ウトラキスト派の信条によるボヘミア国民教会が認められることになった。

[中村賢二郎]

『山中謙二著『フシーテン運動の研究』(1948・至文堂)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フス戦争」の意味・わかりやすい解説

フス戦争
フスせんそう
Hussitenkrieg

ボヘミアの宗教改革者 J.フスの焚刑後,カトリック教会の迫害に怒ったフス派の信徒が神聖ローマ皇帝ジギスムントに対して起した戦争。 1419年フス派と皇帝軍との衝突を皮切りに,20~31年フス派は皇帝が派遣した十字軍を5回にわたって撃破。 31年教会はバーゼル公会議で和平を協議し,33年和平協定の草案が作成されたが,34年この受諾をめぐってフス派は穏健派のウトラキスト (→両形色論者 ) と急進派のターボル派に分裂し内戦へと発展。 35年穏健派が勝利を収め,36年フス派と教会との和平が成立,教会側はパンとぶどう酒による両種聖餐を認めた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フス戦争」の解説

フス戦争(フスせんそう)
Husitská válka[チェコ],Hussitenkrieg[ドイツ]

チェコのフス派の反乱(1419~36年)。フス処刑後の1419年,フスの教説を信ずるフス派は神聖ローマ皇帝ジギスムントボヘミア王即位を拒否。5度にわたる対フス派十字軍をことごとく撃破した。バーゼル教会会議が示した和平案で内部分裂が起こり,急進的なタボル派とカトリック軍と同盟した穏健的なウトラキスト(聖杯派)との軍事的衝突に発展。34年,リパニの戦いでタボル派が敗北し,36年に和平が成立。パンとブドウ酒による聖体拝領をはじめウトラキストの諸要求は全面的に承認された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「フス戦争」の解説

フス戦争
フスせんそう
Hussitenkrieg (ドイツ)

フスの処刑後,1419〜36年,ベーメンのフス派の一団(フシーテン)が皇帝ジギスムントに対して起こした内乱
背景にはドイツとチェック人との民族的対立があった。皇帝・教皇側は1420〜31年に合計5回十字軍を起こしたが,フス派はこれを圧倒してドイツに侵入。長期の戦いの結果,1436年に和が結ばれた。この戦争の過程でチェック人の民族的自覚が高まった。

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