イギリスの天文学者。グリニジ天文台の創設者。ダービー近郊のデンビーの麦商の家に生まれ、16歳でリウマチにかかり学校を中退、7年間もっぱら天文学を熱心に独学した。1670年星食(掩蔽(えんぺい))に関する予報計算が認められて、王立協会会員に加えられたうえ、ケンブリッジ大学に書類入学を許された。在学中、1672年金星の太陽面通過の観測により太陽視差(地球の平均距離)の決定を試みた。当時、国益に促されての海外進出に必要な天文航法のために月の運行表や潮汐(ちょうせき)表の整備が必要となった。これをチャールズ2世に建議して、1675年に王立天文台の建設が着工された。観測開始は1689年となったが、器械の工作・設置には私財を投じて、完成と同時に初代台長に就任した。天文台設立の成果は『大英恒星目録』と『天球図譜』の刊行となり、ニュートンやハリーの理論計算に基本資料として重用された。
[島村福太郎]
イギリスの天文学者。富裕な商人の息子としてダービーに生まれた。14歳のとき重いリウマチにかかり,上級学校への進学を断念,独立で天文学の勉強を進め,王室天文官に指名されて1675年新設のグリニジ天文台長となる。月運動論,太陽運動論,恒星の《イギリスカタログ》,経緯度の測定など,綿密正確な観測に基づく仕事を重ねた。それらの結果の一部はニュートンの《プリンキピア》にも利用されている。天文台長として,できる限り正確な観測データの収集に固執するフラムスティードの態度は,天文台長を単なる観測サービス役とみるI.ニュートンやE.ハリーの立場と相いれず,フラムスティードの観測結果(彼自身としては満足できない)をローヤル・ソサエティから公表しようとする2人との間にきびしい角逐が生じた。結局彼の目ざした著作は死後3巻本の星表《イギリス天体誌》として1725年に,それにもとづく星座《天球図譜》が29年に刊行された。
執筆者:村上 陽一郎
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