日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
フルトン(Robert Fulton)
ふるとん
Robert Fulton
(1765―1815)
アメリカにおける汽船開発の先駆者。ペンシルベニア州リトル・ブリテン(現、フルトン)の農家に生まれる。3歳のとき父を失い、独学で絵画・機械学や数学を修得し、17歳のときフィラデルフィアでデザイナーとして働いた。1786年ロンドンに渡り、1793年ごろまでB・ウェストの弟子として絵を描いていたが、ブリッジウォーター公3rd Duke of Bridgewater(1736―1803)、スタンホープ伯と知り合いになり、運河や船舶の改良に関して相談に応じるなどした。1796年『運河航行の改良論』を著し、その計画をデー川で採用、実施させた。のちにこの計画をパリからディエップまでの運河に実施するために、1797年から1806年までフランスに滞在し、その間に潜水艇および水雷艇の実験を行った。ナポレオンの援助を得て1801年に実験に成功した潜水艇ノーチラス号がそれである。また汽船航行に関心をもつフランス駐在アメリカ大使リビングストンRobert R. Livingston(1746―1813)の援助で1803年セーヌ川で汽船の実験を試みた。1806年アメリカに戻り翌1807年8月、外車汽船クラーモント号を進水させ、ハドソン川のニューヨーク―オルバニー間に定期航行させた。この船の機関はバーミンガムのボールトン・ワット商会製で、船の長さは40.5メートル、幅5.48メートル、煙突の高さ9.14メートルというものであった。フルトンは汽船の最初の発明者ではないが、汽船河航を初めて商業的に実現させた先駆者である。
[山崎俊雄]