フランスの画家。トゥールに生まれ,同地で没。生前より16世紀に至るまで高名であったが,以後忘れ去られ19世紀に再発見された。史料的に確証ある作品はないが,わずかな史料を参照しながら,同時代の書込みによってフーケ作と認定される唯一の作品《ユダヤ古代史》写本挿絵(パリ,ビブリオテーク・ナシヨナル)との様式比較によって作品群が推定されている。
初期の経歴は不明であるが,1444-46年イタリアに赴き,教皇エウゲニウス4世の肖像を描き,〈生けるがごとき〉(フィラレーテの評言)迫真性を賞賛された(現存せず)。しかし《シャルル7世像》が,4分の3正面像でファン・アイクにはじまるフランドル肖像画の影響を示しながら,イタリアの影響がみとめられぬ点から,初期の作品とされている。48年ころ帰国,トゥールに居住し,都市や宮廷の祝祭装置の企画,王侯・貴族や市民の注文による板絵や写本の制作を行う。50年ころ《エティエンヌ・シュバリエの時禱書》を制作,さらに同じくÉ.シュバリエの注文で《ムランの二連祭壇画》も制作したが,現在,《聖母子》はアントウェルペン(アントワープ)美術館,《守護聖人ステファヌス(エティエンヌ)とシュバリエ》はベルリンのダーレム美術館に分蔵されている。その額縁を飾っていた七宝メダルの一つが〈自画像〉で,北方最古の自画像とされる。《ヌーアンNouansのピエタ》も様式的に50年代の作と推定される。60年前後には板絵《ジュブナル・デ・ジュルサン像》,写本挿絵では《ボッカッチョの名士貴女列伝》《フランス大年代記》などが知られる。これらの作品において,彼はフランドル絵画の流れをくむ迫真的写実にイタリア絵画から学んだ空間表現技法をとり入れながら,ゴシック教会堂タンパン浮彫の伝統に根ざすモニュメンタルな構成感覚によって,端正で明晰な古典的とも呼ぶべき表現に達している。70年ころルイ11世の宮廷画家に任ぜられ,《ミカエル騎士団規約》の扉絵を制作。75年ころ,世紀初頭にベリー公のために企図され未完であった《ユダヤ古代史》写本挿絵をアルマニャック公のために完成。ここで彼は空気遠近法と構図上の巧みさとによって,かつて表現されたことのないほど広大な景観の中に無数の群衆のひしめく壮大な歴史的情景を小画面に描出した。77年から81年の間に没したと推定される。息子ルイとフランソアも画家であったらしい。
執筆者:冨永 良子
フランスの政治家。ブルターニュの大商人の子に生まれ,父が宰相マザランの知己であったことと,その財産とを利して官界で昇進した。若くして請願審理官の職を購入,アンタンダンを歴任し,のちにはパリ高等法院主席検事の職を得て法官の最上位に達した。マザランの信任あつく,財政難の極に財務卿に任ぜられ(1653),マザランや国王ルイ14世の要求する資金の調達のために私財および個人的借入金の提供を余儀なくされた。おうような人柄で多くの友人に恵まれ,モリエール,ル・ブランら文人,美術家のパトロンとなり,ボーの壮麗な城館に国王を招いて大祝宴を催したが,その勢威を国王に憎まれ,また,その地位をねらうコルベールの敵意を招いて,資金調達のための便法や手続不備を公金横領と弾劾され,逮捕,裁判の末,終身拘禁刑に処せられた。
執筆者:常見 孝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランスの政治家。父は国王参議官。パリ高等法院官職を取得して昇進。高等法院旧貴族の、マザランに対する反抗を契機にほぼ全国に波及したフロンドの乱のとき、マザランの腹心として活動。1653年財務長官となり、徴税請負人を利用して財政を立て直したが、同時に莫大(ばくだい)な資産を築き、豪壮なボーの城館を造営して、ラ・フォンテーヌやモリエールなどの芸術家を招いて学芸保護者をてらった。また、大西洋岸のベル・イル島を入手し城塞(じょうさい)を築いたりした。このため、ルイ14世と政敵コルベールに憎まれ、1661年公金横領と王権奪取の陰謀の容疑で逮捕され、裁判ののちピニュロールの獄に終身拘禁された。しかし、それは政略の暗黒裁判によるものとされ、その死没年も正確ではない。
[千葉治男]
フランスの画家。トゥールに生まれ、同地で没。早くから画家として名高く、1447年以前にイタリアへ赴いた際、教皇エウゲニウス4世(在位1431~47)の肖像を描く。帰国後トゥールに工房を開く。宮廷でも重用され、1475年の記録で「王の画家」の称号を得る。エマイユの小型メダルに北方で初めて署名入り自画像を残す。彼の作とされる代表作に、『シャルル7世の肖像』をはじめ、現在アントウェルペン王立美術館とベルリン絵画館に二分される『ムーランの二連祭壇画』(その一枚アントウェルペンの『ムーランの聖母子』のモデルは1450年に没する同王の寵妾(ちょうしょう)アニュス・ソレル)などの板絵、線遠近法の処理がみられる『エティエンヌ・シュバリエの時祷書(じとうしょ)』、唯一当時の記録からフーケの作品と確認される『ユダヤの古代』の写本挿絵がある。国際ゴシック様式が支配的で、またネーデルラントの写本画家が主流であったフランスに初めてイタリア・ルネサンスの理念を導入し、さらに独自の様式を展開させて15世紀後半のフランス絵画に多大な影響を及ぼした。
[保井亜弓]
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…レオナルド・ダ・ビンチもまた視錐は曲面で切るべきだという考えをもっていた。実際の作品に曲面遠近法を用いたと推測されるJ.フーケのような画家もいるが,まだこの点については定説がない)。 中世の空間表現は複雑な相を帯びている。…
…その後この月暦表現の伝統は,15世紀末から16世紀前半にかけてブリュージュで国際的な写本工房活動を行ったアレクサンダー,S.ベニングやホーレンバウトらに継承された(事実,このベリー公の写本は,16世紀前半ネーデルラント総督マルガレータの時代に,一時メヘレンの宮廷で所蔵され,フランドルの写本制作に影響を与えたと思われる)。そのほか15世紀において絵画史的に高い評価を受けた時禱書としてJ.フーケの《エティエンヌ・シュバリエの時禱書》,無名作家の《ブシコ元帥の時禱書》《ロアンの時禱書》《マリー・ド・ブルゴーニュの時禱書》などがあげられる。しかし中世において一般家庭で母親が子どもの宗教教育を行うのに使用した実用的な時禱書の存在も,等閑視してはならない。…
※「フーケ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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