フランスの政治家。北フランスのランス市に生まれる。毛織物商の家系出身。ルイ13世の宰相マザランの側近となり、ルイ14世親政とともに、1665年財政総監(首相格)に登用され、さらに宮内卿(くないきょう)、海軍卿など諸要職を兼ねて、経済政策を中心に内外政務を担当した。彼の時代が、フランス絶対王制の絶頂期となった。
コルベールは、先進国イギリス、オランダに対抗してフランスを貿易大国に育成し、貿易差額によって国富(金銀)を増大することを目ざし、絶対王制期の重商主義の典型とされるコルベルティスムColbertisme体系を築き上げた。彼の構想では、国際商業戦争に勝つためには、輸出向け戦略商品(とくに毛織物)を安価かつ大量に生産することが必要であった。そこで、穀物価格(食糧費)の引下げ政策によって工業生産者の工賃の低下を図り、また織物を輸出適格商品にするため綿密な工業規制règlementsを生産者に強制した。同時に、全国の都市、農村の生産者にギルド組織への加入を義務づけ、そうした工業規制の徹底化と、製品の指定輸出商への強制集中を図った。他方、王立または国王特許による特権マニュファクチュア(作業場)を各地に設けて、毛織物のほか奢侈(しゃし)品(ゴブラン織など)、ガラスなどを生産させた。こうした工業育成策を基に、徹底した保護貿易政策をとり、輸出を奨励すると同時に、輸入製品には禁止的保護関税をかけた。また、東・西インド会社、レバント会社などを設立または発展させ、海軍・海運を育成して海外経営に乗り出し、ついにオランダとの戦争(1672~1678)に突入して、フランシュ・コンテやフランドル(毛織物地帯)諸都市を獲得した。
しかし、官僚的な国家統制によるコルベルティスムに対し、農村地帯で成長する自由な半農半工の手工業者は強く抵抗して、ギルド加入や工業規制に応ぜず、この面ではコルベールの企図はあまり成功しなかった。また、対外的にも、イギリスの先進的な毛織物工業、オランダの海運業を打ち破るに至らなかった。そして1683年の彼の死(7月6日)後、政敵―重臣ル・テリエLe Tellier(1603―1685)家一門―の手に要職が移ったこともあって、特権マニュファクチュアや貿易会社は多く倒産し、コルベルティスムは事実上崩れていった。これ以後、財政危機や農村の疲弊、ナントの王令の廃止(1685)による新教徒産業家の大量亡命などが重なり、絶対王制に衰運が訪れる。
[中木康夫]
『吉田静一著『フランス重商主義論』(1962・未来社)』▽『中木康夫著『フランス絶対王制の構造』(1963・未来社)』
フランスの政治家。生家はランスの毛織物商であったが,後に財政事業にも関与し,政府要人に接触していった。初め陸軍局に入り,宰相マザランに認められ,彼を補佐して財務監督官の職をえた。財務長官フーケと対立し,その手続不備を公金横領と弾劾し,国王ルイ14世に報告して失脚させ(1661),国王の信をえてその後身たる財務総監contrôleur général des financesに任ぜられ,ル・テリエ,リオンヌHugues de Lionneとともに〈三頭支配〉をしく。後に海軍・宮内管掌の国務卿に任ぜられ,建築長官も兼任するなど,幅広い分野に絶大な権力を掌握し,事実上の宰相としてルイ14世の功業を支えた。明晰かつ合理的な頭脳の持主で,卓越した事務能力を信頼されたが,態度や物腰は冷淡でそっけなかったので,そのブルジョア出身の系譜と相まって,出自や社交を重んじる宮廷で嫌われた。一族の者にも専制的に接し,自分と同様の精勤を強いたが,同時に彼らの栄華栄達に腐心して閥族主義を展開した。行政面では,アンタンダン(地方監察官)を整備・常設化して官僚的中央集権を強化した。経済・財政面では,借入れに伴う徴税請負人の不正を処罰し,破産政策を強行して債務を削減し,借入れに依存しない財政の確立のため,租税増収に努めた。当時は“17世紀の全体的危機”といわれる経済不況のただ中にあり,“貨幣不足”が深刻化していた。彼は貨幣の量が国力を決定するとの基本的な観念からも,世界に流通する貴金属,貨幣の中でのフランスの取り分増加を最大の課題とし,貿易を通じてこれを果たすため保護関税を強化し,東インド会社,北方会社などの特権貿易会社を振興し,毛織物,ゴブラン織,ガラスなどの輸出向け産業で特権マニュファクチュールを設立・育成し,非ギルド的な手工業を宣誓ギルドjurandeに編成して統制強化を図った。彼の経済観念も諸施策も革新的なものではなく,すでにラフマ,リシュリューら先駆者をもつが,経済状況の悪化と財政上の要請から,彼の施策は対外的には“貨幣戦争”という著しく攻撃的な性格を帯び,国内でも強権的で煩瑣な国家統制・国家後見を伴い,コルベルティスムColbertismeと総称されて王室的重商主義の典型といわれる。コルベルティスムは間接税の増収など一時的な成果をあげたが,イギリス・オランダの商工業との格差を克服できず,特権事業は不振に陥り,総じて“危機への絶望的対応”にとどまり,高関税率はオランダ戦争を招いて財政を破綻させた。また,工業への食糧・原料の供給源としてのみ考慮された農業は低穀価政策の下で停滞的な状態におかれた。税制面でも,タイユ配賦の公正化など行政的手直しに努めたが,身分的・地方的特権に根ざした弊害を除去できず,関税統合などにわずかな成果をあげただけであった。文化面でも保護と統制の原則を適用し,ル・ブランの指導の下に君主の栄光をたたえる学芸を奨励し,アカデミー・フランセーズを振興したが,自由思想は厳重な検閲制度によって弾圧した。
執筆者:常見 孝
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1619~83
フランスの政治家。毛織物商の家に生まれ,マザランの推挙によりルイ14世に登用された。1661年財務総監に任じられたほか,多くの職を兼ね,外交・軍事を除く全行政に関与した。特にその重商主義的経済・財政政策はコルベールティスム(Colbertisme)の名で呼ばれ,保護貿易と東インド会社など特権商事会社の振興,王立特権マニュファクチュアの設立,手工業ギルドの統制,保護強化などを主な内容としている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…ルイ14世の宰相J.B.コルベールの肝いりで1666年に創設されたフランスの科学アカデミー。フランス革命に際して1793年いったん廃止されたが,95年,フランス学士院の一部として復活し,名称も当初のアカデミー・ロアイヤル・デ・シアンスAcadémie royale des Sciencesから現在の名に変わった。…
…また,すぐれた織匠だけではなく,すぐれた下絵画家の必要も叫ばれ,ルイ13世(在位1610‐43)時代には当代一流の画家S.ブーエが王の下絵画家に任命された。 62年,ルイ14世時代に,宰相コルベールはゴブラン家の館を王の名で買い取り,67年ここに王立家具製作所Manufacture des meubles de la Couronneを設立し,画家C.ル・ブランを総監督に任命した(ここでは,タピスリーばかりでなく,家具,金銀・宝石細工など王家用の調度品すべてが生産されることになった)。パリの各地に散在していたタピスリー工房はすべてここに集められ,ル・ブランの厳格な監督のもとにおかれ,徒弟のための学校も設置された。…
…この名は,展覧会がルーブル宮殿の〈サロン・カレsalon carré(四角の間)〉で開かれたことに由来する。最初のサロンは,J.B.コルベールの発案によって王立アカデミーの主催で1667年に開かれ,以来2年ごとに行われたが,やがて不規則になり,1737年より再び隔年ないしは毎年開かれるようになった。出品者は17~18世紀を通じてアカデミーの会員か準会員,あるいは美術学校の教官に限られ,その範囲では自由に出品できたが,1748年より出品作の検閲が始まり,おもに道徳面でのチェックを行った。…
…第2期には,フランス首相リシュリューによって組織されたニューフランス会社の指揮の下に植民地の発展が期待されたが,これも進歩をみなかった。そこで第3期には,フランス蔵相コルベールの指揮の下に植民地はフランス国王の直轄するところとなり,総督,地方長官,司教の形成する地方政府の樹立とフランス正規軍の派遣が行われた。この第3期では,フロンテナク総督(1672‐82,1689‐98),J.B.タロン地方長官(1665‐68,1669‐72),F.ラバル司教(1659‐1688)らが実権を握った17世紀後半が最盛期とされる。…
…コルベールが創設したフランスの若い芸術家に与えられる賞で,ローマのフランス・アカデミー(1803年よりビラ・メディチ)への約3年間の留学を伴うもの。1663年以来,形を変えつつ今日まで続いている。…
※「コルベール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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