ブディウトモ(英語表記)Budi Utomo

改訂新版 世界大百科事典 「ブディウトモ」の意味・わかりやすい解説

ブディ・ウトモ
Budi Utomo

1908年から35年まで存続したジャワ人の民族主義団体。インドネシア民族主義団体の最も初期のものに属する。ジャワ人の医師ワヒディン・スディロフソド同胞の貧しい青年のために奨学金制度を設立しようとして遊説を行った際,ジャカルタの原住民医学校学生のストモらがこれに共鳴して,ジャワ人の民族的自覚を促す団体の結成を呼びかけた。団体名はジャワ語で〈最高の英知〉を意味する。1908年10月にジョクジャカルタで第1回大会を開き,原住民官僚が幹部を占めてしだいに保守的色彩を強めた。ジャワ人の教育,文化の向上をめざし,オランダ植民地政庁に対しては協調的であったため,初期の支持者の多くは他の団体へ去った。19年以後は一時かなり反政府的姿勢をとり,他党との統一戦線参加や労働争議への支援を行ったが,22年以後は運動の背景に退き,35年に穏健な団体である大インドネシア党(通称パリンドラ)が誕生すると,吸収されて消滅した。
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世界大百科事典(旧版)内のブディウトモの言及

【インドネシア】より

…しかしその歩みは苦難にみちていた。 1908年には最初の民族的な組織としてブディ・ウトモがバタビア医学校の生徒を中心に結成された。11年以来ジャワ各地で組織され12年ソロでイスラム同盟として結束したイスラム商人を中心とする民族組織は,チョクロアミノトの指導下に10年代を通じて同盟員200万人に達したといわれ,イスラムをシンボルとする民族的団結と農園労働の待遇改善を要求して植民地政府に深刻な脅威を与えた。…

※「ブディウトモ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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