ブロンデル(読み)ぶろんでる(英語表記)Charles Brondel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブロンデル」の意味・わかりやすい解説

ブロンデル(Charles Brondel)
ぶろんでる
Charles Brondel
(1876―1939)

フランスの心理学者。リヨンの生まれ。高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)卒業。1906年医学博士、1913年法学博士となる。ストラスブール大学、パリ大学教授となる。医学の研究をしながらレビ・ブリュールデュルケームのような文化人類学者や社会学者に興味をもつ。個人は集団影響にさらされているから個人的な行動の点でも集団と同じように行動する、だから社会現象が個人の知覚や思考、記憶や意志を決定する。たとえば、知覚の場合、個人は社会によって与えられた物差しを使って知覚する、と主張する。著書に『集団心理学入門』(1928)などがある。日本には宮城音弥(おとや)(1908―2005)、清水幾太郎(いくたろう)らによって紹介された。

[宇津木保]

『清水幾太郎・武者小路公秀訳『社会心理学入門』(1958・日本評論新社)』


ブロンデル(Maurice Blondel)
ぶろんでる
Maurice Blondel
(1861―1949)

フランスのカトリック哲学者ディジョンに生まれる。パリの高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)卒業後、1896年エクサン・プロバンス大学に奉職。視力と聴力の衰えによって1927年引退を余儀なくされたが、その後も研究を続けて大作を発表した。1893年、学位論文「行為」を著して学界に問題の一石を投じた。これは、理性の権能を重視する大学と、啓示の重みを強調する教会のいずれの側からも大きな批判を浴びた。主著は『思惟(しい)』2巻(1934)、『至高存在と諸存在』(1935)、『行為』2巻(1936~1937)の三部作、または、それに『哲学とキリスト教精神』2巻(1944~1946)を付け加えて四部作とされる。ブロンデルは理性と信仰、内在的なものと超自然的なものとの和合を試みた思想家であり、前述の三部作でも、その中心は絶対的な存在、すなわち神と偶有的な諸存在との関連を問おうとしたもので、思惟と存在と行為との総合もその観点からなされている。

[西村嘉彦 2015年6月17日]

『片山寿昭著『モーリス・ブロンデル』(澤瀉久敬編『現代フランス哲学』所収・1968・雄渾社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ブロンデル」の意味・わかりやすい解説

ブロンデル
Jacques François Blondel
生没年:1705-74

フランスの建築家ルーアン生れ。建築理論家としても名声が高く,大著《フランス建築》(1752-56),《建築教程Cours d'architecture》(1771-77)などは,当時の啓蒙主義の建築理論をとりまとめたものであった。とりわけ後者は建築アカデミー教授としての講義を編纂した議義録で,若い世代に著しい影響を与えた。またディドロらとも交わり,《百科全書》の,〈建築〉〈建築家〉をはじめとする建築関係の項を担当している。彼の門下には,ルドゥーやブロンニャールA.T.Brongniartなどルイ16世時代から革命期にかけて活躍した建築家が数多く集まり,18世紀後半のフランス建築の流れを形づくるうえでもっとも重要な役割を果たした。
執筆者:


ブロンデル
Maurice Blondel
生没年:1861-1949

フランスの哲学者,カトリック思想家。エコール・ノルマル・シュペリウールを卒業後,しばらくリール大学で教えたが,1896年以降はエクサン・プロバンスで活動した。思想家としての名声を確立した学位論文《行為》(1893)は人間の自由な行為,あるいはむしろキリスト教的実存の壮大な現象学である。晩年盲目となったが,大著《思惟・存在・行為》(1934-37)の三部作をはじめ,多くの著作によって神学に大きな影響を与えた。異端の嫌疑をかけられたこともあるが,実際は20世紀カトリック神学の動向を先取りしていたといえる。
執筆者:


ブロンデル
Nicolas François Blondel
生没年:1617-86

フランス古典主義建築理論の大成者。リブモンRibemont生れ。初め軍人,外交官として活躍したが,数学,築城術に造詣深く,後に建築に転じて,1671年,王立建築アカデミーを創設し,初代総裁。《建築教程Cours d'architecture》2巻(1675,83)を著し,保守的なしかし堅実な実利主義的古典主義理論をうち出し,後世に大きな影響を与えた。サン・ドニ門(1671)など,パリの市門を設計したことでも知られる。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブロンデル」の意味・わかりやすい解説

ブロンデル
Blondel, Maurice

[生]1861.11.2. ディージョン
[没]1949.6.4. エクサンプロバンス
フランスのカトリック哲学者。 1896年エクサンプロバンス大学教授。学士論文『行為』L'Action (1893) において行為を実存と同様の広い意味でとらえ,行為とその実現の間の落差が新たな行為を呼ぶという弁証法を指摘。『思惟』 La Pensée (2巻,1934) では,思惟を物質に内在する宇宙的思惟ととらえたうえで,統一と普遍へ向うノエマ的要素と,多様と個別に向うプネウマ的要素を指摘した。ほかに『存在と存在者』L'Etre et les êtres (35) ,『キリスト教の哲学的要求』 Exigences philosophiques du Christianisme (50) などがある。プラグマティズム的傾向のために近代主義とみられもしたが,のちのカトリックの実存主義者たちに大きな影響を残した。

ブロンデル
Blondel, Charles Aimé Alfred

[生]1876.10.10. リヨン
[没]1939.2.19. パリ
フランスの精神病学者,心理学者。 1906年医学博士,19年ストラスブール大学心理学教授,37年パリ大学教授。分裂病者の病態意識の研究から,健常者と精神障害者の質的な差異を指摘し,さらに個人の知覚,思考,感情に対する社会的因子の影響を強調した。主著『未開人の世界・精神病者の世界』 (抄訳) Les fonctions mentales dans les sociétés inférieures (1910) ,La mantalité primitive (26) ,『病態意識』 La conscience morbide (14) ,『社会心理学入門』 Introduction à la psychologie collective (28) 。

ブロンデル
Blondel, Jacques-François

[生]1705.1.17. ルーアン
[没]1774.1.9. パリ
フランスの建築家,建築史学者。建築史,建築理論の特別講座を設立し,建築史学を確立した (1743~62) 。シンプルな造形と豊かなイメージを強調して,フランスの古典主義的伝統を推進。彼の弟子からは É.ブレ,C.ルドゥーなどすぐれた建築家が出た。主作品はメッツのオテル・ド・ビル (64~75) ,主著は『フランス建築』L'Architecture Française (52~56) 。

ブロンデル
Blondel, Nicolas-François

[生]1618. リブモン
[没]1686. パリ
フランスの建築家,建築理論家。技術者,数学者,外交官を兼ね,のちに建築に転じた。さらに,王立建築アカデミーを創設 (1669) 。主作品にサン・ドニ門 (71,パリ) ,主著に『建築講義』 Cours d'architecture (75~83) があり,古典主義を主張した。

ブロンデル
Blondel, Jean Fernand Pierre

[生]1929.10.26. ツーロン
イギリスの政治学者。パリ大学卒業。エセックス大学教授 (1964) などを歴任後,1985年ヨーロッパ大学研究所教授となる。主著"An Introduction Comparative Government" (1969) 。

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百科事典マイペディア 「ブロンデル」の意味・わかりやすい解説

ブロンデル

フランスの建築家,建築理論家。数学者,技師であったが建築に転じ,ルイ14世時代のフランス古典主義建築の一翼をになう存在となった。代表作はパリのサン・ドニ門。理論家としても活躍,《建築教程》を著し,古典主義建築様式の尊重を説いた。
→関連項目キュビエ

ブロンデル

フランスのカトリック神学者,哲学者。主著《行為》(1893年),《思惟・存在・行為》(1934年―1937年)などで実存主義的な〈行為の哲学〉を表明,モダニズムの代表的論者と見なされた。

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367日誕生日大事典 「ブロンデル」の解説

ブロンデル

生年月日:1876年10月10日
フランスの精神病学者,心理学者
1939年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のブロンデルの言及

【建築学】より

…これらの成果はやがて全ヨーロッパに普及してゆくが,なかでもとくに重視されたのが,円柱の様式とその比例体系,すなわちオーダーで,ついにはそれが建築教程の中心的位置を占めるようになる。この方向に大きな貢献をしたのはフランスの建築家で,1671年創設の王立建築アカデミーのためにN.F.ブロンデルが準備した《建築教程》は決定的な役割を果たした。ここに初めてオーダーを基本原理とする建築学の体系が整い,ひとつの権威として,貴族・上層市民階級に支えられ,19世紀初めまで保持された。…

【ペロー】より

ルーブル宮殿東端のファサード(1674)は,宰相コルベールの下でル・ブランと競った末,彼の案が採用されたものである。彼は感覚論的な立場からダイナミックな建築の創造を唱え,規範の絶対性を主張する建築アカデミー院長N.F.ブロンデルとの間に建築上の〈新旧論争〉を引き起こした。批評家,童話作家のシャルル・ペローは弟。…

※「ブロンデル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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