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ブールデル ブールデル Bourdelle, Émile Antoine

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブールデル
ブールデル
Bourdelle, Émile Antoine

[生]1861.10.30. モントーバン
[没]1929.10.1. パリ近郊ベジネ
フランスの彫刻家,画家。ツールーズ美術学校で学び,1884年パリに出てエコール・デ・ボザールの J.ファルギエールの教室に入ったが翌年退学。以後フランス芸術家展,サロンに出品を続け認められた。

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デジタル大辞泉の解説

ブールデル(Émile-Antoine Bourdelle)

[1861~1929]フランスの彫刻家。ロダンに師事。作品は力強く構築性に富む。「弓を引くヘラクレス」など。

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百科事典マイペディアの解説

ブールデル

フランスの彫刻家。モントーバン生れ。1884年エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入り,ファルギエールに学んだが,1893年ロダンの助手となる。1900年の《アポロンの頭部》で力強い構成と幾何学的な規律をもつ壮大なスタイルを確立。
→関連項目木内克クレーラー・ミュラー美術館佐藤朝山清水多嘉示ジャコメッティ彫刻の森美術館

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世界大百科事典 第2版の解説

ブールデル【Émile‐Antoine Bourdelle】

1861‐1929
フランスの彫刻家。モントーバンの家具職人の家に生まれ,トゥールーズの美術学校に学ぶ。1884年パリに出てファルギエールA.Falguière,ダルーJ.Dalouに学ぶ。93年モントーバン市より〈戦没者記念碑〉の制作を委嘱される(6年後完成)。同年から約15年間ロダンのもとで助手として働く。ロダンの影響は,生涯彼の作品に痕跡をとどめるが,劇的な〈ゴシック主義〉を求めるロダンに対して,ブールデルは,ロマネスク彫刻やアルカイク期のギリシア彫刻の素朴さと力強さを求める。

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大辞林 第三版の解説

ブールデル【Émile-Antoine Bourdelle】

1861~1929) フランスの彫刻家。ロダンに師事。堅牢な構築的フォルムの構成による独自の作風をみせた。「アポロンの首」「弓を引くヘラクレス」などの作品を残す。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブールデル
ぶーるでる
Emile-Antoine Bourdell
(1861―1929)

フランスの彫刻家。モントーバンに生まれる。13歳のときから、家計を助けるため、家具職人の父の仕事場で家具の彫刻を手がけたが、まもなくその素質が高く評価され、モントーバン市から奨学金を受けてトゥールーズの美術学校に入学。さらに7年後、23歳でパリに出て、エコール・デ・ボザールでファルギエールに師事した。しかし、アカデミズムに飽き足らず2年後に中途退学し、ダルーのアトリエで働いたのち、1893年よりロダンの助手となった。ここでの15年間は彫刻家としてのブールデルの成長に大きな影響を与えたが、彼はロダンに感動しながらも追随することはなかった。ともに激しい情熱にあふれた生命を表現しながら、ブールデルの彫刻の組立ては、ロダンの法則と異なっていたからである。
 ブールデルは確固たる骨組み、均衡のとれたマッス、単純化された面によって、モニュメンタルで構築性に富んだ堅固なフォルムのなかに、あふれるばかりの熱情と力動感を凝縮させた。この様式の出発点となるのが、ロダンがその彫刻的美しさに感動し、「君は私から離れて行く」と羨望(せんぼう)を込めて語ったと伝えられる『アポロンの首』(1900)であり、その頂点にたつと考えられるのが『弓をひくヘラクレス』(1910)である。この作品は彫刻界に大きなセンセーションを巻き起こし、ロダン、マイヨールと並んで、近代彫刻史におけるブールデルの位置を確固たるものとした。1929年10月1日、パリ近郊のル・ベジネで亡くなるまで、『アルベアル将軍記念碑』(1925)、『ミスキエビッチ記念碑』(1929)など、その様式にふさわしい多数の優れた記念碑を制作し、モニュメントの作家としての名を不朽のものとしている。そのほかの代表作に『果実』(1906)、『ペネロープ』(1909)、『瀕死(ひんし)のケンタウロス』(1914)、『サッフォー』(1925)、そして1888年から没年まで続いたベートーベンの肖像連作がある。パリのアトリエは現在ブールデル美術館となっている。[黒田亮子]
『富永惣一解説『現代世界美術全集5 ロダン/ブールデル』(1971・集英社)』

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