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スイスの彫刻家。制作活動の大半はパリでなされた。スタンパ生れ。1922年パリへ行き,3年間ブールデルに彫刻を学んだ。しかし,人体の量感の表現に自信をもつことができず,人間の存在感を表現する方向へ関心を向ける。プリミティブな彫刻への興味を経て,30年代の初めにはシュルレアリスムの運動に加わる。この頃の代表作に《午前4時の宮殿》(1933)がある。しかし,オブジェへの関心をやがて失い,運動から離脱して彫刻の探求に没入し,第2次大戦後ひょろ長い人体像に着手。以後没するまでこの独自なスタイルを造りつづけた。肉をそぎおとされたかのようなこれらの人間像には,人間は単独で自足する存在ではなく,他者との関連抜きには存在しえないという思想,他者に見られる人間という実存主義的視点が示されている。P.セザンヌと似た探求型の芸術家といえよう。
執筆者:中原 佑介
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スイスの彫刻家。スイスのシュタンパに生まれる。ジュネーブの美術工芸学校に学ぶ。イタリアに遊学後、1922年パリに住み、ブールデルの工房で学ぶ。25年ごろからキュビスム風の構成的な彫刻を発表。30年シュルレアリスムの運動に参加、『午前四時の宮殿』(1933・ニューヨーク近代美術館)を制作。しかしこれらの試みからふたたび自然に基づく探求、とくに人体表現へと帰り、35~45年の間、第二次世界大戦前から戦後にかけての苦悩と不安をまったく独自な人体表現に託した。凝縮されほとんど針金のようになった人体、荒々しくとげとげしい肌、ときには数センチメートルにまで小さくなった大きさ。それらはとくに戦後世界の状況のなかで、人間の実存の表現として高く評価された。やがて人体はしだいに高くなるが、いっそう細くなる。晩年は弟ディエゴと妻アネットの顔に、人類の苦悩、そしてまた表現の苦悩そのものを託した。62年ベネチア・ビエンナーレで大賞を受賞。65年ロンドンおよびニューヨークで大回顧展が開催された。スイスの故郷に近い町クールで没。
[中山公男]
『矢内原伊作著『ジャコメッティとともに』(1969・筑摩書房)』
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…ロシア,オランダの構成主義の,幾何学的構成物も見のがせない。シュルレアリスムのオブジェの導火線は,ジャコメッティが極度に不安定な,しばしば動く形態で,性的な欲望や不安を象徴したことにあり,それに触発されたダリは物体の日常的効用を最低限に制限して,詩の喚喩や隠喩のように無意識を細密に具象化する,〈象徴機能のオブジェ〉を提唱した。このような物体観は,迫真的に描かれた物体が現実にはありえない関係に配置されるダリ自身の絵画を含めて,映像のポエジーと神秘を著しく増幅させた。…
※「ジャコメッティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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