改訂新版 世界大百科事典 「プエブロ族」の意味・わかりやすい解説
プエブロ族 (プエブロぞく)
Pueblo
北アメリカ南西部,現在のアメリカ合衆国アリゾナ州北東部とニューメキシコ州北西部に居住し,定着農耕を営んできたアメリカ・インディアンの総称。アドベ(日乾煉瓦)ないし石造の恒久的な集合住宅に住んでいたため,スペイン語で〈集落〉を意味するプエブロの名で呼ばれることになった。
プエブロ族は言語学的には多様である。ニューメキシコ州のリオ・グランデ川流域にはタノ語系の言語(さらにティワ,テワ,トワに細分される)を話すタオス,サン・フアン,ヘメスなどが,同州西部にはケレス系言語を話すアコマ,およびズニ系言語を話すズニなどが,またアリゾナ州北東部にはショショニ系言語を話すホピが,それぞれ集落を形成している。各集落に居住しているプエブロの総人口は両州を合わせて約3万2000人(1975)であるが,このほかに都市に住むプエブロ・インディアンも多数いる。
プエブロ族は先史時代のバスケット・メーカー文化(前100-後700)とプエブロ文化(700-1700)の担い手の子孫である。プエブロ文化Ⅳ期の中ごろ(1540ごろ)以降にスペイン人と接触し,その存在が白人の間に知られた。16世紀末からスペイン人の本格的な植民が行われ,1680年には経済的・宗教的圧迫に反抗して,リオ・グランデ川流域のインディアンを中心に〈プエブロの反乱〉がおこり,スペイン人はリオ・グランデ川下流域に追いやられた。しかし,17世紀末には再植民が行われた。この再植民の過程で,多くの集落が放棄・破壊され,テワ系の一部のインディアンがホピの近辺に移住するなど,再編成がおこった。一方,ズニ,ホピの諸集落は地理的に孤立していたため,再植民後は外部からの影響をほとんど受けなかった。
言語的には多様ではあるが,伝統的な生業活動や物質文化は各地のプエブロの集落にほぼ共通している。トウモロコシ,豆,カボチャの栽培を中心とする農耕が主体で,これにシカなどの狩猟,ピニョン・ナッツ(松の実)の採集などが行われていた。ワタが古くから栽培されており,木綿を原材料としてマンタ(女性用のワンピース型の衣服),キルト(男性用のスカート型の衣服),サッシュと呼ばれる飾帯などが男性によって織られていた。また,籠細工,特有の彩色土器の製作も行われていた。これらの基盤の上に農作物(麦類,野菜類),家畜動物(牛,馬,羊),金属加工品とその技術がスペイン人によってもたらされ,新しい文化要素として取り入れられた。
伝統的な住居は石造ないしアドベ造が主体で,壁の表面には白土が塗ってあった。防御のため窓はなく,入口は屋根に設けられ,はしごを使用して出入りした。プエブロ文化Ⅲ期(1100-1300)の大集落遺跡(プエブロ・ボニートやクリフ・パレスなど)や現存のタオスの集落にみられるように,3~4階建てのアパート形式の集合住宅であった。集落には方形ないし円形のプランをもつ半地下式の宗教的建造物(キバkiva)が今日でもある。
各集落は,独立した部族の形式をとる。その構成員はリオ・グランデ川流域の集落のように,双分制の原理に基づく半族に組織されているか,ホピ,ズニのように母系出自に基づく氏族ないし胞族に分かれる。半族,氏族,胞族は行政・警察組織の基礎となり,また,宗教行事を支える結社組織の基盤となる。とくに結社は,キバを所有するだけでなく,年中行事としての宗教儀礼を実施する母体である。
宗教儀礼のなかで特徴的なのはホピ,ズニのカチナkachinaの登場する儀礼(ダンス)であろう。カチナとは神話に登場する祖先神の一種で,冬から夏にかけて村に戻り,一連の儀礼に一定の服装と仮面をつけて現れ,夏の終りに聖なる山に帰っていく。晩夏から初冬にかけての儀礼には,カチナは現れない。これらの儀礼の目的は,自然との調和を保つことであり,恵みの雨をもたらすことである。
執筆者:小谷 凱宣
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報