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プトレマイオス王国 プトレマイオスおうこく

百科事典マイペディアの解説

プトレマイオス王国【プトレマイオスおうこく】

前305年―前30年エジプトを支配したマケドニア人の王朝。始祖はプトレマイオス1世。アレクサンドリアを首都とした。前3世紀後半小アジア,シリアにも進出し,プトレマイオス3世エウエルゲテス(在位前246年―前221年)時代にキュレネを併合,版図は最大となった。この時期までに官僚制度,税制を整え,重要産業を独占,有名な図書館や学術研究所(ムセイオン)を中心にヘレニズム文化が開花した。以後は王朝の内紛,王国の内乱により振るわず,前30年クレオパトラの治下にオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)に滅ぼされた。
→関連項目エジプト(地域)ヘレニズム

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世界大百科事典 第2版の解説

プトレマイオスおうこく【プトレマイオス王国】

アレクサンドロス大王の友人プトレマイオスPtolemaios(プトレマイオス1世ソテル)が,大王の死(前323)後エジプトのサトラップ(総督)として赴任し,後継者(ディアドコイ)争いに勝利をおさめて開いた王国。前305か304‐前30年。その王朝をプトレマイオス朝,あるいは開祖プトレマイオスの父ラゴスLagosの名をとってラゴス朝ともいう。
[歴史]
 開祖プトレマイオス1世はパレスティナ,キプロス,小アジアにまで領土を拡大し,国内では行政組織を整えて国家の基礎を築き上げた。

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世界大百科事典内のプトレマイオス王国の言及

【ヘレニズム】より

…ここでは後者の意味での〈ヘレニズム〉について述べる。 しかしこの時代概念としてのヘレニズムの枠組みは諸説一定せず,年代的にはアレクサンドロスの東征進発(前334),または大王の即位(前336)ないし没年(前323)に始まり,ローマによるプトレマイオス王国征服(前30)に至る3世紀間とするのが通説だが,マケドニア王国の勃興と同時代のポリス世界の変質に注目して,前360年以降をヘレニズム時代とする有力な見方(H.ベングトゾン)もある。また〈ヘレニズム世界〉といわれる場合の地域範囲としては,一般にギリシア本土,マケドニア以東アレクサンドロス帝国に包含された東方領域全体が対象となるが,一方ではギリシア文化の拡散普及に力点を置いて,カルタゴ,イタリアなど西地中海周辺地域をもこれに含める見解(U.ウィルケン)もある。…

※「プトレマイオス王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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