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プレハーノフ Plekhanov, Georgii Valentinovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

プレハーノフ
Plekhanov, Georgii Valentinovich

[生]1856.12.11. グダロフカ
[没]1918.5.30. テリヨキ
ロシアの革命家,思想家。ロシア・マルクス主義の父。タンボフ県の小貴族の家に生れる。 1873年ボロネジのギムナジウム卒業後,ペテルブルグ鉱山大学に入学。 76年革命運動のために中退。最初はナロードニキ主義の立場に立ち,「土地と自由 (党) 」の結成に参加したが,党がテロ活動に走るようになるや,それに反対して分派 (「全土地割替」派) を結成。 80年逮捕を逃れて国外に脱出。 1917年まで続く亡命生活の大部分をジュネーブで過した。 1883年 P.B.アクセリロード,V.I.ザスーリッチらとともに,ロシア最初のマルクス主義組織「労働解放団」を結成。『社会主義と政治闘争』 Sotsializm i politicheskaya bor'ba (1883) ,『われらの見解の相違』 Nashi raznograsiya (85) などを著わして,ナロードニキ主義と決別,ロシア・マルクス主義の基礎を築いた。 95年スイスに彼を訪れたレーニンと会い,ロシア国内のマルクス主義者と連絡を取る一方,「合法マルクス主義」や E.ベルンシュタインの修正主義などとの闘争を継続。 98年にはレーニン,マルトフらとロシア社会民主労働党を結成。さらに 1900年には最初のマルクス主義新聞『イスクラ』を創刊してマルクス主義の宣伝を行なったが,プロレタリアート独裁の問題,ロシア労働者階級の革命的可能性,労働者階級と農民階級の同盟の問題などをめぐってレーニンとの間に見解の対立が生じ,03年第2回党大会 (ブリュッセル,ロンドン) で党が分裂した際,プレハーノフは当初レーニンを支持しながらも,結局は,いわゆるメンシェビキに属することとなった。その後は政治活動を継続する一方,哲学,芸術,文学,歴史などの研究に専心しすぐれた業績をあげた。第2インターナショナルの重要なメンバーとして,日露戦争には敗北主義の立場をとったが,第1次世界大戦では,ドイツ軍国主義の勝利はロシアの革命運動に不利と考え,連合国側を支持した。二月革命が起るとロシアに戻り,臨時政府を条件付きで支持,ボルシェビキの権力奪取の志向に反対したため,一時「人民の敵」と断罪された。

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百科事典マイペディアの解説

プレハーノフ

ロシアの革命思想家。ロシア・マルクス主義の父といわれる。初めナロードニキ。1880年の亡命後マルクス主義者となり,初めてロシアにその革命理論を導入。《イスクラ》刊行を通じてロシア社会民主労働党の再健にレーニンらと協力したが,1903年第2回党大会以後はメンシェビキの側に加わった。
→関連項目アクセリロード片山潜ザスーリチ反戦運動

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世界大百科事典 第2版の解説

プレハーノフ【Georgii Valentinovich Plekhanov】

1856‐1918
ロシアの革命家,思想家。ロシア・マルクス主義の父と称される。小地主の家に生まれ,鉱業専門学校在学中にナロードニキ革命思想に接して運動に入る。結社〈土地と自由〉の理論的指導者となり,結社の分裂(1879)にさいして〈土地総割替〉派に属する。亡命してマルクス主義に転じ,1883年ジュネーブに労働解放団を同志とともに創設,《社会主義と政治闘争》(1883)によって,ロシア・マルクス主義の理論を確立,《われわれの意見の相違》(1885)において,ロシア資本主義化論の先駆的分析をおこなった。

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大辞林 第三版の解説

プレハーノフ【Georgii Valentinovich Plekhanov】

1856~1918) ロシアの政治家。ロシアの革命運動にマルクス主義を導入、その宣伝に努める。社会民主労働党の結成に尽くし、分裂後はメンシェビキを支持、十一月革命には否定的立場をとった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プレハーノフ
ぷれはーのふ
Георгий Валентинович Плеханов Georgiy Valentinovich Plehanov
(1856―1918)

ロシアのマルクス主義理論家、ロシア社会民主労働党創立者の一人。タムボフ県の小地主の家に生まれる。1875年19歳で革命運動に参加、農民蜂起(ほうき)を通じて専制政治の打倒を目ざした秘密組織「土地と自由」の指導者の一人となった。1880年に亡命、フランスとドイツの労働運動を知り、ナロードニキの立場を捨て、1882年『共産党宣言』をロシア語に翻訳出版。1883年秋スイスでロシア最初のマルクス主義組織「労働解放団」を創設、マルクス主義の普及活動を組織した。マルクス‐エンゲルスの著作の翻訳も行い、自らも「社会主義と政治闘争」(1883)など多くの論文を執筆。1900~1903年、「経済主義者」に反対しレーニンとともに新聞『イスクラ』と雑誌『ザリャー』を編集、ロシア社会民主労働党第2回大会の準備、開催に努力した。党大会ではレーニンの側にたったが、大会後メンシェビキ指導者の一人となった。1905年の革命に際しては自由主義者との同盟を要求し、12月の武装蜂起を非難した。しかし続く反動期にはボリシェビキとともにメンシェビキ多数派に反対したが、第一次世界大戦に際しては祖国防衛、戦争協力の立場をとった。1917年の二月革命時に帰国、十月革命に反対したが、反ソ的立場はとらなかった。1918年5月、フィンランドのピトケヤルブイのサナトリウムで、結核のため死去した。著書に『史的一元論』(1895年に別のタイトルで発表)などがある。[木村英亮]
『内村有三訳『社会主義と政治闘争』(大月書店・国民文庫) ▽プレハーノフ著、木原正雄訳『歴史における個人の役割』(岩波文庫) ▽プレハーノフ著、川内唯彦訳『史的一元論』全2冊(岩波文庫) ▽プレハーノフ著、蔵原惟人・江川卓訳『芸術と社会生活 他1篇』(岩波文庫) ▽S・バロン著、白石治朗他訳『プレハーノフ』(1978・恒文社)』

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世界大百科事典内のプレハーノフの言及

【片山潜】より

…1901年日本最初の社会主義政党,社会民主党を結成するが即日禁止となる。04年第二インターナショナル(アムステルダム大会)に日本代表として出席し,交戦国代表ロシアのプレハーノフとともに反戦アピールを世界に向けて行う。06年日本社会党に参加,幸徳秋水ら直接行動派と対立している議会政策派を支持する。…

【史的唯物論】より

…しかしながら,一歩たちいって内容を規定する段になると,論者に応じてかなりの差異がある。例えば,ロシア・マルクス主義の父と呼ばれるプレハーノフは,史的唯物論は〈学として現れうべき将来のあらゆる社会学に対するプロレゴーメナ〉であると規定し,社会哲学,ないし,社会諸科学・歴史諸科学に対する認識論的基礎部門として性格づける。これに対して,ボリシェビキきっての〈史的唯物論通〉と呼ばれたブハーリンは,〈史的唯物論はプロレタリア的社会学〉そのものであると規定し,哲学というよりもむしろ社会科学の次元に属するものと主張する。…

【ソビエト連邦共産党】より

…ソ連邦の全15共和国中,ロシア,グルジア,アルメニアの各共和国では党員の住民に占める比率が高かった。
【歴史】

[ボリシェビキの成立]
 ロシアにおける反体制運動のなかで,マルクス主義的潮流の歴史は1883年,プレハーノフによってスイスで組織された労働解放団にさかのぼることができる。このころからロシア国内でも労働運動が台頭し,19世紀末には各種のサークル,団体が形成され,P.B.ストルーベやレーニンらが中心となり,マルクス主義的サークルが国内でも誕生した。…

【弁証法的唯物論】より

… マルクス=エンゲルスは,唯物論とはいっても,古代ギリシアの物活論的唯物論,啓蒙期フランスの機械論的唯物論,それにまた,L.A.フォイエルバハの唯物論や生理学主義的な俗流唯物論,これら先行的・同時代的なもろもろの唯物論を批判し,弁証法的な唯物論の立場を標榜した。ただし,〈弁証法的唯物論〉という成句的表現は,マルクス=エンゲルスの自称ではなく,ロシア・マルクス主義の父と呼ばれるG.V.プレハーノフが用いはじめたものと言われる。このさい,〈弁証法的〉というのは,ヘーゲル哲学において結実した弁証法の合理的核心を批判的に継承しているからである。…

【ロシア社会民主労働党】より

…ロシアのマルクス主義政党。マルクス主義が社会民主主義としてロシア人に初めて受容されるのは,亡命中のプレハーノフらが1883年ジュネーブで創立した〈労働解放団〉による。プレハーノフは後進国ロシアの当面する革命は専制打倒のブルジョア革命だとし,二段階革命を主張した。…

※「プレハーノフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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