ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘブライ文学」の意味・わかりやすい解説
ヘブライ文学
ヘブライぶんがく
Hebrew literature
ユダヤ=ギリシア時代を経て,ヘブライ語は日常の話し言葉としては用いられなくなり,タルムードの時代が過ぎると,文語としても消滅したが,イスラムの征服後,7世紀にパレスチナとスペインで復活した。この時期にユダヤ文化の中心地はまず北アフリカへ移り,次にイスラム=スペインへと移って,ここでヘブライ文学,特にイブン・ガビロル,イブン・エズラ,ハレビといった詩人たちの活躍で詩が栄えた。またローマのイマヌエル・ベン・ソロモンは,イタリアで最も才能あるヘブライ詩人として知られる。ユダヤ=アラブ学派はスペイン生れのマイモニデスの時代に最高潮に達した。マイモニデスは律法の規範を『ミシュネー・トーラ』として体系化し,また代表作『迷える人々のための導き』 (1185) は,中世ユダヤ哲学の最高傑作とされ,アラビア語からヘブライ語に翻訳された。北ヨーロッパに住むユダヤ人たちの間では,聖書やタルムードの研究に関心が集中した。トロアのラシが著わした聖書の注釈書は,いまも世界中のユダヤ人によって研究されている。 12~17世紀には,世界各地で律法や倫理に関する著作が生み出され,パレスチナのツェファトではカロが,ユダヤ教の法典『シュルハン・アルフ』を編纂した。 16~17世紀にはポーランドがユダヤ学派の中心地となり,学者たちは『バビロニア・タルムード』の解説に努めた。
18世紀にベルリンで,ユダヤ哲学者の M.メンデルスゾーンが教育の改革に乗出し,ヘブライ語版旧約聖書のドイツ語訳や,ヘブライ語の定期刊行物『論集』を刊行した。メンデルスゾーンの影響はロシアやポーランドのユダヤ人社会にまで広がり,ハスカラと呼ばれるユダヤの啓蒙運動が確立され,詩や小説,随筆などの分野を含む新しいヘブライ文学が生み出された。 19世紀末に向ってシオニズム運動が起ると,ヘブライ文学の活動の中心は次第にパレスチナへ移動した。ベン・イェフダはヘブライ語を口語として復活させる運動を提唱し,その成功はパレスチナにおけるヘブライ文学の読者層を広げた。パレスチナ移民の文学は詩的な田園物語や,アラブの生活の記述,聖書時代の物語や東ヨーロッパでのユダヤ人の生活を描いたものなどである。 1966年にノーベル賞を受賞した S.Y.アグノンは,生れ故郷のガリチアとパレスチナの両方の生活を描いた。 1948年にイスラエルが建国され,ヘブライ語が公用語の一つとして確立されると,ヘブライ文学はヘブライ語を話すイスラエル人たちに引継がれ,彼らを取巻くさまざまな問題が口語ヘブライ語でいきいきと描かれた。イスラエル独自のヘブライ語戯曲が確立し,詩も散文も多様性に満ちたものになった。
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