日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベトナム和平協定」の意味・わかりやすい解説
ベトナム和平協定
べとなむわへいきょうてい
ベトナム戦争に終止符を打つための平和条約で、1973年1月27日、アメリカ、ベトナム共和国(サイゴン政権)、ベトナム民主共和国(北ベトナム)、南ベトナム共和国臨時革命政府(解放戦線)の4政府代表によりパリで調印された「ベトナムにおける戦争終結と平和回復に関する協定」をいう。この本協定には四つの付属議定書がつく。第一は捕虜・抑留者、第二は停戦、第三は国際監視、第四は機雷除去に関する議定書である。
ベトナム戦争終結のための和平交渉は二つのルートで進められた。一つは公式ルートで、1968年5月からパリでアメリカと北ベトナム両代表によって開始され、69年1月からサイゴン政権、解放戦線両代表が加わり、拡大パリ会議として続行された。もう一つは秘密ルートで、アメリカのキッシンジャー大統領補佐官と北ベトナムのレ・ドク・ト顧問によりパリで行われた。結局、公式の拡大会議は174回、秘密交渉は46回で妥結にこぎ着けた。実質交渉はキッシンジャー、レ・ドク・ト間で行われた。
しかし戦争の当事者には4者があり、それぞれ複雑な利害と背景をもち、不信と警戒心が強く存在したため和平協定は五つの国際協定によって厳正な履行を保障する措置がとられた。第一はアメリカと北ベトナム間の協定で、1973年1月27日、パリで調印された。第二はアメリカ、北ベトナムの共同声明で、73年2月14日、公表された。第三は戦争の4当事者にフランス、イギリス、カナダ、ソ連、中国、ポーランド、ハンガリー、インドネシア8か国代表と国連事務総長が加わり、73年3月2日、パリで国際会議を開き、そこで行った決議である。第四は戦争の4当事者が73年6月13日、パリで合意した共同声明。第五は共同声明を受けて同日、キッシンジャー、レ・ドク・ト両代表が行った付帯声明である。
ベトナム和平協定の基調は民族自決の承認―民族の尊厳を認めるということであった。いいかえれば和平協定はベトナムからのアメリカの退場を規定する文書であった。問題の解決はベトナムの当事者に任された。それゆえにこそ協定の履行を義務づける枠組みが幾重にも設定されたのであろう。しかし当事者による解決は実力をもってする以外になかったようで、それが75年3、4月のホー・チ・ミン作戦であったろう。この作戦によってサイゴン政権は倒れ、北ベトナム・革命政府によるベトナムの解放と統一がなされたのである。
[丸山静雄]
『萩野弘巳著『パリ会談』(1973・日本放送出版協会)』▽『丸山静雄著『ベトナム』(1974・朝日新聞社)』