ベートソン(Gregory Bateson)(読み)べーとそん(英語表記)Gregory Bateson

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ベートソン(Gregory Bateson)
べーとそん
Gregory Bateson
(1904―1980)

イギリス出身のアメリカの文化人類学者。ケンブリッジ生まれ。1922年ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ入学。1925年学士号(自然科学)取得。1927年文化人類学に転身ニュー・ブリテン島ニューギニア島バリ島などでフィールドワークを実施。1930年博士号取得。1930~1937年セント・ジョンズ・カレッジ名誉研究員。1936年『サモア思春期』(1928)で知られる文化人類学者マーガレット・ミードと結婚。1939年アメリカへ移住、1956年帰化。1946~1947年ハーバード大学客員講師、1951年スタンフォード大学客員講師、1963~1964年バージン諸島のコミュニケーション研究所準ディレクター、1965~1972年ハワイのオーシャニック研究所準ディレクター、1972~1980年カリフォルニア大学サンタ・クルス校客員教授などを歴任。1962年統合失調症の研究でフリーダフロム・ライヒマン賞受賞。

 ベートソンの研究射程は、人類学、精神医学、生物学(とくに遺伝と進化)、サイバネティックス、認識論など多岐にわたるが、一貫しているのは「関係をシステムととらえ、人間の思考や精神の様態を明らかにする」視座である。

 人類学者としてはニューギニアのフィールドワークの成果として『ナベン』(1936)を出版。そこでは儀礼における役割の転換に着目し、「分裂生成(二者間で行われる何らかの行為によって、両者の間に感覚的なずれが生じること)」の概念を提出した。

 アメリカの精神分析学者ジャーゲン・ロイシュJurgen Ruesch(1909―1995)との共著『精神のコミュニケーション』(1951)から『精神の生態学』(1972)へと至る過程で「ダブルバインド理論(二重拘束理論。異なる矛盾した命題によって、個人の態度決定が不可能になるという理論)」を提唱した。さらにはイルカのコミュニケーションにも関心を深め、そのほか学習理論や情報理論の分野でも活躍。晩年エコロジカル観点から文明批判を展開し、現代文明が自然環境に及ぼす非可逆的な影響を食い止めるためには既存の学問や諸研究を形成する観念体系に「柔軟性」が必要であると訴えた。死後、娘のキャサリンMary Catherine Bateson(1939―2021)が加筆した『天使のおそれ』(1987)、アンソロジー『聖なるユニティ』(1991)が出版された。

[織田竜也 2018年12月13日]

『グレゴリー・ベイトソン、メアリー・キャサリン・ベイトソン著、星川淳訳『天使のおそれ――聖なるもののエピステモロジー』新版(1992・青土社)』『G・ベイトソン、J・ロイシュ著、佐藤悦子、R・ボスバーグ訳『精神のコミュニケーション』(1995・新思索社)』『佐藤良明訳『精神の生態学』改訂版(2000・新思索社)』『Naven; A Survey of the Problems Suggested by a Composite Picture of the Culture of a New Guinea Tribe Drawn from Three Points of View(1965, Stanford University Press, Palo Alto)』『Rodney E. Donaldson ed.A Sacred Unity; Further Steps to an Ecology of Mind(1991, Cornelia & Michael Bessie Book, New York)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例