翻訳|ecology
エコロジーともいう。生物学の一分野であるが,どのような範囲を指すかは研究者によって異なり,定義は一定しない。このことばを最もすなおに受け取れば,生物の生態を対象とする分野ということになるが,この生態ということばそのものがかなり多義的であるうえに,一方では生態に含めるのがふつうな内容(例えば行動や習性)を生態学に含めない場合がしばしばあるのに対し,一方では生態にふつうは含めないような内容(例えば生態系の物質循環)がかなりの研究者によって生態学に含められているからである。
そもそも生態ということばはそれ自体が生態学ということばと同時に造られたもののように思われる。生態学ということばは1895年に東京大学理科大学教授三好学(1861-1939)によって造られた。その年ドイツ留学から帰って教授に任じられたばかりの三好は,当時のヨーロッパの植物学を紹介する小冊子を著し,その中で植物学には植物生理学,植物形態学,植物分類学,植物生態学の4区分があるとし,Pflanzenbiologieの訳語として植物生態学なることばを造ったと記した。ここでの原語がBiologieであることは興味深い。当時Biologieの内容がどう考えられていたかは,1893年に理科大学動物学科大学院学生だった五島清太郎(1867-1935。後に東京帝国大学教授)が著した動物学の教科書に,Biologieは〈動物の習性および動物と外界または他の生物との関係を論ずる学〉とあるところから理解できよう。彼はBiologieを生計学と訳していたが,この訳語はその後使われていない(もちろん三好も五島もBiologieが別に生物学という意味で使われていたことはよく知っていた)。
当時ドイツではこの意味のBiologieとほぼ同じ意味に使われていたことばがもう一つあった。それはE.H.ヘッケルが1866年に造ったÖkologieであった。彼はC.ダーウィンの影響の下に動物学の体系化を企てたが,その中において,従来の生理学や形態学その他の分野のほかに,〈動物の無機環境に対する関係および他の生物に対する関係,とくに同所に住む動物や植物に対する友好的または敵対的な関係〉を研究する分野を認める必要があることを述べ,その分野にÖkologieと命名した。このことばを英語化したものがecologyである。このヘッケルの定義には,五島のBiologie(狭義の)の定義の最初にある〈動物の習性〉が欠けており,雌雄・親子の関係はÖkologieには含まれないという意味をもっていたようである。なおこのうえに,そのころ,Biologieとひじょうに近い意味をもち,それよりもっと〈習性〉に近い意味のことばとして,1859年にフランスのI.ジョフロア・サン・ティレール(1805-61)が用いたéthologieがあった。
かくして,19世紀末から20世紀初頭にかけて,新しい生物の分野を指す三つのことばがあったわけであるが,それらは互いに混同されていた。そして,それをもとにして作られた邦訳語にも混乱があったのは当然であった。現在ではbiologyは生物学で,ethologyは動物行動学という用法が,英語でも日本語でもほぼ定着したかに見え,したがってecologyは生態学ということになってきた。ただし,今日でもecologyとbiologyは(フランスではéthologieも)生態の意味に用いられることがよくある。
ところで,このようなことばが使われるようになった背景には,19世紀までの生物学の主流であった形態学,生理学,博物学(分類学)におさまりきれない研究領域が台頭してきたという事実があった。ヘッケルは,このような分野を生態学と名付けたのである。だから,Ökologieはいわば〈雑領域〉であって,ヘッケルのその定義には苦しまぎれのへ理屈という面がある。ヘッケルの視野にあったのは,生理現象が無機環境によってどう影響されるかという研究(彼はこれが生理学に入るとは考えなかった)と,C.ダーウィンが《種の起原》のとくに第3章で生存闘争を論じたときにまとめた博物学的研究の二つがおもな研究対象であり,彼はこの二つを〈関係〉ということばでうまくつなげて定義したのであった。
19世紀後半から20世紀前半にかけてこの〈雑領域〉は大きく発展し,その間に,この領域に含められていた動物行動学や動物社会学が別の系譜を経て,ある意味では独立した。また,ヘッケルの視野になかった新しい研究分野も次々に生まれた。そのうち,19世紀後半の最も大きな発展は群集(生物群集)概念の形成であったが,それは二つのルーツをもっていた。一つは同一地域に住んでいる多種の動物の間の,また動物と植物の間の相互関係の研究であって,その背景には自然界の調和という古くからの観念があり,C.ダーウィンが〈自然の理法〉とか〈生命の網目〉とかいうことばで表現していた博物学の知見があった。もう一つは植物の示す景観が地域によって異なることの認識から始まった植物群落についての,19世紀末に急速に発展した研究であった。群集とは何かという点については今でも論議がたえないが,多種の動植物が複雑な関係をもちつつ同一地域に住んでいることと,それが地域によって異なることとは,そのころからはっきりと認識されるようになってきた。この認識は生物についてそれまでは漠然としか考えられていなかったまったく新しい見方をもたらした。それまでは個々の種またはその代表としての個体しか見ていなかったといえるからである。植物群落については,その後まもなく,群落の自律的な時間的変化が注目され,この現象は遷移と呼ばれて新しい研究対象となった。そして群落を個体に対比して,群落の構造,群落の機能,群落の分類が研究されるべきであるとされ,群集生態学が提唱された。やがて,このような分野をヘッケルの定義した生態学と同じと見ることについて異論が出はじめ,生態学を〈生物集団を対象とする科学〉として定義し直した研究者もあったが,広く受け入れられるに至らなかった。
20世紀前半は比較的沈滞した時代であったが,その中で20世紀後半の隆盛を準備する概念が徐々に形成されていった。群集についてはもっぱら植物群落の分類と遷移の研究が行われていたが,C.S.エルトンは動物群集内の相互関係を食物関係を中心に分析し,食物連鎖,食物網,基幹産業動物,生態的地位,個体数ピラミッドといった概念を用いて,群集の構造と機能とでもいえるものをみごとに具体化してみせた(1927)。その影響は大きかったが,直接の効果はただちには生じなかった。エルトンの分析には,二つの側面があった。(1)群集を構成する要素は種であって個体ではないことを明らかにして,種個体群の追求に目を向けさせたこと,(2)種を類型化することによって大小の生活型グループとして把握し,群集の理解を容易にしたことである。この2側面はそれぞれの後継ぎを思いがけないところに見いだした。
湖沼学(のちに陸水学となる)はすでに19世紀に成立していたが,そこでは湖沼中の物質循環の問題と湖沼生物の生態の追求が並行して進められていた。その中から有機化合物や無機塩類の循環における生物の役割が注目され,湖沼生物を生産者,消費者,分解者(還元者)に類型化することが20世紀初めころから行われた。これをエルトンの(2)の側面と結びつけ,物質とエネルギーの流れを群集の機能と見る立場が1940年代に入って成立する。湖沼という閉鎖的な環境では,そこの生物群集を一つのまとまりをもった系と見ることは容易であり,水中の物質との連関も初めから意識されていて,そこには遷移についての論議から生まれていた生態系という概念をより具体的に示すものとして受け入れる素地が十分にできていた。そして1950年代に入ってから生態系はおおいにもてはやされることになる。そして陸上群集へも逆輸入され,群集は物質系としての生態系の生物部分であるとする見方へと発展するが,これは地球上の物質循環を主題とする地球化学にむしろ近いものである。なお,この湖沼学などから,有機物生産を指標として,生物の生態を明らかにしようとする生産生態学も1950年ころから生じたが,これは生態系の研究とはまったく別のアプローチである。
エルトンの(1)の側面は,これも19世紀からすでに存在していた人口学,害虫学,水産学での個体数の研究に引き継がれることになったが,その発展は1920年代に始まり,群集の研究とはまったく別個に進んだ。そこでは,害虫の抑圧または有用魚の増殖という課題からして,初めから個々の種の個体数が対象であった。その発展のきっかけはA.J.ロトカ(1925)とV.ボルテラ(1926)の数理モデルの提出とG.F.ガウゼ(1934)の実験的研究で,そのころからこれは個体群生態学と呼ばれるようになった。動物の個体数は生まれれば増え死ねば減る。それが変化せずに維持されたり,大きく増減したりするのはどうしてだろう。この問題は,種の地理分布の問題とともに,最初は動物体と無機環境との関係で主として追究され,次いで食物と敵との関係で考察された。それは,この限りでは,動物と環境および他の生物との関係の研究というヘッケルの定義に合致するものであって,おそらく,それ故に生態学の名で呼ばれるようになったのであろう。しかし,個体数が対象であれば,気温が上がりすぎると死ぬとか,寒くなると繁殖しないとかではなく,死亡率,出生率が問題であり,また餌動物の個体数や捕食動物の個体数との関係が問題である。したがってここでは,ヘッケルの定義の〈動物〉を個体と個体群(または種)の二重の意味にとるか,定義を書き換えるかする必要がある。この個体群生態学はその後,捕食者と被捕食者の関係(捕食関係)と生活資源をめぐっての競合関係とを中心として1940年前後から急速に発展するが,この二つの関係も個体間の関係ではなくて,個体群間(種間)の関係である。そしてそれは,個体数の科学ではなくて,個体数を指標とした種の維持と種間の相互関係の科学とでもいえる性格を強くもつようになってきた。この種間の相互関係を生態的地位の概念を中心として考察していく研究が1960年ころから生まれてきたが,それはエルトンの群集研究に連なるものでもあって,したがって,そこには群集の科学とでもいえる性格もあることになる(こうなってくると,ヘッケルの定義はますます適用しにくくなる)。
ところで,個体数の増加は出生の問題であり種内の問題であるし,捕食による死亡の問題は種間の問題であるが,その下には繁殖習性や繁殖行動,食性,摂食行動,対敵行動などの習性や行動の問題がある。それらは種によってそれぞれに異なっている。だからこそ,群集の中に複雑な種間の相互関係があるのだと一方ではいえるが,一方ではそれぞれの種はなぜそれぞれに異なっているのだろうということも問題である。この問題も1960年ころから主として個体群生態学の延長上に追求されるようになり,進化生態学とか行動生態学とか呼ばれてきた。このアプローチを社会行動にまでさらに延長したのが社会生物学であるといえよう。これはもう生態学ではなくて,生態学と行動学と進化学の境界に生まれた新しい科学だというべきかもしれない。それとも,一時は生態の研究でなくなった生態学が,ここで本来の生態の学に戻ったというべきなのかもしれない。またこれは,分類学とともに種の科学と呼ばれるべきなのかもしれない。なぜなら,生態学の中心は,生物個体が必ずなんらかの種に属するものであり,種は必ず地域的な生物群集の中にあるという認識を獲得してきたことにあるし,そのうえに生物のあり方を考察することにあるからである。
1970年代からエコロジーということばはもう一つ違った意味にも使われ始めた。それはフランスを中心に起こったエコロジー運動という社会運動または政治運動に関してである。そこでの理念の基礎に生態学,ことに生態系の概念がかかわっていることは確かだが,学問としての生態学とは別のものである。
執筆者:浦本 昌紀
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生物の生活――自然界において生物が自己の維持と増殖を図る過程――を研究する生物学の一分科。おもな研究課題は、われわれが直観的に認める生物的自然の平衡(バランス)の実態と機構を、生物のもつ爆発的な増殖力、および、生物が環境と織り成す多様な関係と関連づけて解明することである。生態学は、ドイツのE・H・ヘッケルにより「生物と無機的環境および共に生活する他の生物との関係を研究する学問」と造語・定義された(1869)が、「自然の構造と機能の研究」「生物の分布と数の研究」「(動物の)社会学および経済学」という定義が用いられることもある。生態学という日本語は三好学(みよしまなぶ)によりBiologie(自然誌)の訳語としてつくられた(1895)。
生態学は、同一種の生物集団を研究対象とする個体群生態学と、同一地域でともに生活する複数種の生物集団を扱う群集生態学に大別される。ただし、生物の生活は多様であるため、対象生物によって、動物・植物・微生物・人間生態学などに、あるいは対象場所により海洋・湖沼・河川・森林・草原・都市生態学などに分けられることもある。また、研究の観点、方法の違いにより、植物社会学・社会生物学(行動生態学)・進化生態学・生態系生態学なども成立する。エコロジーとよばれるものは、普通、人間生態学をさす。
[安部琢哉]
生物は自己維持に必要なエネルギーや栄養物質の取り込みを、普通、個体を単位として行う。ところが、生物の多くは有性生殖をするので、自己増殖には異性の個体が必要であり、生物が自己の維持と増殖を図る生活の基本単位は、交配が実際に行われる同種個体の集まり、つまり個体群である。ただし、この交配集団を野外で限定するのは困難な場合が多いため、限られた空間内の同種個体の集団を便宜的に個体群とよぶことが多い。個体群生態学は、害虫の防除や発生予察の分野でおもに研究が進展したこともあって、個体群を構成する個体の数の多さの時間的・空間的な変動の実態と個体数調節の機構の解明をその主たる課題とし、個体を等質なものとして扱う傾向が強かった。しかし、近年になって、個体間の遺伝的な違いを考慮にいれ、それぞれの個体は形態的、生理的、あるいは環境からの制約のもとで、自己のもつ遺伝子を次世代以降に結果として最大限に残すようふるまうであろうとの観点にたち、個体(個)が個体群(全体)に、生活に必要な資源の配分や繁殖活動を介して、どのようにかかわるかといった問題も、個体群生態学の重要な研究課題とされるようになった。
[安部琢哉]
地球上に現存する100万種を超す生物は、多様な生物的あるいは無機的環境のなかで個別にすみ場(生息場所)を選んでいるが、その生活空間には多少とも規則的な重複が種間にみられる。生活空間を共有するこれらの生物は栄養物質・エネルギー・隠れ場などの生活に必要な資源の供給や取得をめぐって互いに直接・間接の相互依存、協調あるいは制約の関係を成立させている。また、これらの生物の生活を支えるエネルギー源のほとんどは究極的には太陽エネルギーであり、栄養物質は無機的環境から取り込まれたものであり、生物と無機的環境は物質の循環とエネルギーの流れを介して一つの系(システム)、生態系(エコシステム)を形成する。このような一定地域で生活をともにするすべての生物の集まりは群集(あるいは生物群集)とよばれ、群集の構造と機能およびそれらの時間的・空間的変化の実態を無機的環境と関連づけて研究するのが群集生態学である。群集は種組成、種の多様性、食物連鎖、栄養段階構造、生態遷移(サクセッション)、エネルギーの固定率や転移率などの個体群にない構造や属性をもち、これらが群集生態学の主要な研究課題となる。
[安部琢哉]
生物の生活の記述は、アリストテレスに代表されるギリシア時代の哲学者によって始められ、ルネサンス以後、質・量ともに豊かになり、フンボルトやビュフォンに代表される博物学(自然誌)として結実した。『種の起原』を1859年に書いたダーウィンは、生物の多様さとその多様さに内在する類似性を自然選択と生存闘争によって説明し、自然の経済のなかで生物の生活を分析する生態学の基礎を築いた。
ダーウィンによって大枠がつくられ、ヘッケルによって名づけられた生態学は、適応・進化の扱い、無機的環境に対する生物の主体性、個体群・群集における平衡あるいは調節作用の有無といった問題をめぐり、論争を繰り返しながら発展した。19世紀後半には、個々の適応的現象を目的論的に解釈する適応生態学が栄えた。その後、適応・進化の問題を生態学から外して、無機的環境の諸要因が生物に及ぼす影響を個体の生理と直接に結び付けて研究する傾向が強くなった。この環境決定論的な見方に反発してエルトンは『動物生態学』(1927)を著し、動物の経済学・社会学として動物生態学をとらえ、食物関係を軸に群集を分析するとともに、個体群の維持機構を追究した。エルトンの著作およびこれに先だって書かれたバーミングJ. E. B. Warming(1841―1924)による『植物生態学』(1895)によって現代生態学が成立したと考えられている。
1930年以降、個体群生態学は農林業の害虫や水産生物の個体数変動の機構の解明に大きな成果をあげ、害虫の総合防除や漁業資源の合理的な維持管理への道を開いた。また、群集生態学の分野では、自然を生物と環境間の相互関係の集積からなるシステムととらえる生態系生態学が誕生し、1970年代に入って人類による環境破壊の激化とともに、人類と環境とのかかわりを扱う環境科学あるいはエコロジーの側面も強くもつようになった。これらは土地利用計画、自然保護に科学的根拠を与えるとともに、公害に反対する住民運動に一つの哲学的な基礎を提供した。これらとは別に、1960年以降、集団遺伝学・行動学の成果を生態学に導入して、進化・適応の問題を再度扱おうとする、進化生態学、社会生物学が台頭し、これらは社会科学の分野にも大きな影響を及ぼしつつある。
[安部琢哉]
『C・S・エルトン著、渋谷寿夫訳『動物の生態学』(1955・科学新興社)』▽『E・P・オダム著、三島次郎訳『生態学の基礎』原書第三版・全二巻(1974・培風館)』▽『伊藤嘉昭著『動物生態学』上下(1976・古今書院)』▽『R・H・ホイッタカー著、宝月欣二訳『生態学概説 生物群集と生態系』第二版(1978・培風館)』▽『沼田眞編『生態学読本』(1982・東洋経済新報社)』▽『E・O・ウィルソン著、伊藤嘉昭監修『社会生物学』全五冊(1984・思索社)』
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(垂水雄二 科学ジャーナリスト / 2007年)
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…〈生態学〉については,その源流は自然の照観という一般的な態度までさかのぼるが,学問分野としての確立は19世紀であった。この世紀の初期に,世界旅行の知見をもとにして,植物群系の分類を論じたA.vonフンボルトは重要な先駆者であったが,生態学ecologyの命名者はE.H.ヘッケルであった(1886)。ただし,彼のいう生態学は,ある環境下での生物の適応を論ずる環境生理学というべき視点であった。…
…こうした事実に立ちつつ,真核細胞での遺伝情報の制御や,さらにひろく形態形成や再生現象などを理解する新たな枠組みを求めて,世紀初頭の2大問題であった遺伝と個体発生を関連づけることは,1980年代から本格化した新たな課題である。
[生態学の発展]
生物学を大きく二つに分けると,個体の生命現象を解析的に追究する方向(広義の生理学)と,個体から発して個体間,種間,個体と環境など,関係を外へ求めていく方向(広義の生態学)がある。後者は本来の生態学のほかに,動物心理学と生理学の一面,動物行動学,社会生物学,生物社会学,生物地理学,進化の問題などを含む。…
※「生態学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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