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ニューギニア島 ニューギニアとうNew Guinea

翻訳|New Guinea

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ニューギニア島
ニューギニアとう
New Guinea

インドネシアではイリアン Irian島と呼ばれる。南西太平洋マレー諸島の東端,オーストラリアの北方にある世界第2の島。氷河のある高山から海岸部の熱帯雨林低湿地帯まで,その地形はけわしく多様である。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

ニューギニア島

オーストラリアの北にある世界第二の島。太平洋戦争有数の激戦地で、当時は「死んでも帰れぬニューギニア」と言われた。現在東側はパプアニューギニア、西はインドネシア領になっている。厚生労働省によると、7月末現在の「未収容遺骨概数」は、ニューギニア島西部(西イリアン)が1万9630人、東部ニューギニアが7万6820人。海外戦没者全体では、約240万人のうち約112万9千人が「遺骨未収容」のままだ。

(2014-08-14 朝日新聞 朝刊 宮城全県 1地方)

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デジタル大辞泉の解説

ニューギニア‐とう〔‐タウ〕【ニューギニア島】

New Guinea》南太平洋西部、オーストラリアの北方にある世界第二の大島。東経141度線を境に、西部はインドネシア領のイリアンジャヤ、東部はパプアニューギニア。中央部の山岳地帯を除き熱帯雨林に覆われる。焼畑農耕が中心。先住民メラネシア系のパプア人。面積79万平方キロメートルパプア島。イリアン島

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ニューギニア島
にゅーぎにあとう
New Guinea

太平洋南西部、ほぼ東経130~151度、赤道から南緯11度の間にある島。別称イリアン島、パプア島、ヌー・ギニ島。北西―南東方向に長く、全長2384キロメートル、最大幅658キロメートル。面積78万9000平方キロメートルで日本の約2倍、グリーンランドに次ぐ世界第二の広さをもつ。行政上は東経141度線を境に西側はインドネシアのパプア州(西イリアン)(人口222万0934、2000)、東側はパプア・ニューギニア(人口519万0786、2000)である。北岸は太平洋、ビスマーク海ソロモン海に面し、南岸はセラム海アラフラ海サンゴ海に臨む。これらニューギニア島周辺海域には大小多数の付属島が散在する。
 構造的には、新生代第三紀のアルプス・ヒマラヤ、環太平洋の両造山運動によって骨子が形成された。島の中央に3000~5000メートルの高峰からなるマオケ山脈、ビスマーク山脈などの一連の脊梁(せきりょう)山脈が横たわる。最高峰は西イリアンのほぼ中心部にそびえるジャヤ山(5030メートル)で、山頂部は万年雪を頂く。脊梁山脈の南部はフライ川、ディグル川など多数の河川によって形成された広大な沖積平野が展開するが、その大半が低湿な密林地帯からなり、とくに西イリアンにおいて顕著である。また、脊梁山脈の北部にもマンベラモ川、セピク川、ラム川などの河川によって形成された沖積平野がある。さらに西端部のチェンドラワシ半島およびボンベライ半島のベラウ湾に面した地域にも同様な平野が発達している。海岸は、北岸では山地が海に迫り変化に富むのに対し、南岸ではマングローブの生い茂る単調なデルタ海岸からなる。
 気候は、山岳地帯を除き一般的に気温の年較差は小さく、雨期・乾期が明瞭(めいりょう)でない熱帯雨林気候の性格を有する。しかし、モンスーンの影響は強く、5~10月の南東モンスーン期には脊梁山脈の南部に、また12~3月の北西モンスーン期には北部に、それぞれ多量の降雨をもたらす。年降水量は2000~3000ミリメートルであるが、脊梁山脈の位置関係などから南部よりも北部のほうが多いのが特色である。
 生物は、アジア系の植物相とオーストラリア系の動物相を示す。これは、かつてこの島が時代を異にしてアジア、オーストラリアの両大陸と接触していたことを端的に物語るものである。植物はラン科を中心として推定1万2000種類以上が生育しているといわれる。一方、動物は有袋類のクスクスやキノボリカンガルー、鳥類のゴクラクチョウ、オウム、ヒクイドリなどが代表的である。ちなみに、サル類がいないこと、食用になる野生のブタが最大の哺乳類(ほにゅうるい)であることも特色である。[上野福男]

歴史

ニューギニア島に初めてヨーロッパ人が来島したのは1511年のことで、ポルトガルの航海者アントニオ・デ・アブレウとフランシスコ・セランの2人によってである。その後スペインの探検家が相次いでこの地を訪れるようになり、17世紀に入るとオランダの探検隊による調査が活発になった。オランダに後れをとったイギリスとドイツも19世紀後期から積極的に調査を行うようになり、各国は競って調査地域の領有権を宣言。1855年、東経141度以西の西部ニューギニアはオランダの植民地となり、これに対して1884年には東部ニューギニアを脊梁山脈の分水嶺(ぶんすいれい)を境に北側はドイツが、南側はイギリスがそれぞれ領有するに至った。1906年にイギリス領ニューギニアはオーストラリアの直轄領となり、パプアと命名された。ドイツが第一次世界大戦に敗北した結果、1920年にはドイツ領ニューギニアは国際連盟の決議によってオーストラリアの委任統治領となった。第二次世界大戦の一時期、オランダ領ニューギニアとパプアの一部は旧日本軍に占領された。戦後は、オランダ領ニューギニアが1963年にインドネシアの一州として編入され、一方の東部ニューギニアも29年間のオーストラリアの信託統治を経て1975年にパプア・ニューギニアとして独立した。[上野福男]

住民

民族的にきわめて多様であるが、これはニューギニア島への住民の移住が何度かの時期にわたるためと、地勢の複雑さにより伝統的に住民が孤立した生活を送ってきたためと考えられる。
 ニューギニア島への住民の移動は、大きく分けて二度の波があったと考えられている。第一の波は約5万年前であり、東南アジア地域から、ニューギニア島と、当時ニューギニア島と陸続きであったオーストラリア大陸に人々が移住した。第二の波は約5000年前であり、この移住ではやはり東南アジアから、ニューギニア海岸部とその東に広がる太平洋の島々に人々が移住したと考えられている。
 住民の言語はオーストロネシア語族と、パプア諸語(非オーストロネシア語族)の二つに大別され、前者はニューギニア島の海岸地域や周辺の島嶼(とうしょ)部に、後者はその他の大部分の地域に分布する。前者は第二の移住による住民がもたらした言語であり、後者は第一の移住による住民の言語といわれるが、現在ではこの区分は厳密には適用できない。言語の区分は非常に複雑であり、ニューギニア島とその周辺の島々だけで1000以上の言語が存在しているといわれる。
 文化様式は多様であるが、ある程度の共通な特徴が認められる。生業は焼畑農耕が中心であり、高地ではサツマイモ、低地ではタロイモ、ヤムイモ、バナナ、サゴヤシなどが中心の作物である。家畜としてブタが重要で、儀礼的交換に使用されることが多い。社会生活の単位が小さく、通常は50人から300人程度で村落をつくり、1000人を超える村落はほとんど存在しない。言語集団を超える中央集権的組織も伝統的には存在しなかった。また世襲による首長は一般的に存在せず、個人の資質により周囲から認められた人物(ビッグマンとよばれる)が政治的な権力を発揮する場合が多い。[豊田由貴夫]

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