翻訳|Vostok
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
旧ソ連の初期の有人宇宙船。1961年4月12日に打ち上げられた1号はYu.A.ガガーリンを乗せ1時間48分に及ぶ人類初の宇宙飛行を成功させ,世界最初の有人宇宙船となった。2号(1961年8月)ではG.S.チトフが25時間18分の宇宙飛行を行い,3号は4号との間で人類初のランデブー飛行に成功(1962年12月),5号(1963年6月)ではV.F.ブイコフスキーによる119時間6分の長期宇宙滞在記録を樹立した。ボストークシリーズ最後の6号(1963年6月)には初の女性宇宙飛行士V.V.テレシコワが乗り,70時間50分の宇宙飛行の間ボストーク5号とランデブー飛行を行った。ボストークは〈東〉の意。
執筆者:広浜 栄次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…これに対抗してアメリカはマーキュリー計画という有人飛行計画を立て一連の飛行を開始し,61年1月31日にはチンパンジーを弾道飛行させた。人間が宇宙空間に進出したのは,初の人工衛星打上げからわずか3年半後であり,61年4月12日ソ連はYu.ガガーリンを人工衛星ボストーク1号にのせ,地球の周回飛行を行った。 1960年代の半ばまでは,宇宙開発は米ソ二大国の独占であったが,60年代後半になると両国に続く国が現れてきた。…
…1961年4月12日,宇宙船ボストーク1号に乗り,人類最初の宇宙飛行を行ったソ連の宇宙飛行士。宇宙船はバイコヌール基地からA型ロケットにより打ち上げられ,地球を1周,1時間48分間の軌道飛行の後,ソ連領内エンゲルス市付近のコルホーズ農場にパラシュート帰還した。…
… その後の宇宙開発の中心は,有人宇宙飛行に移り,60年NASAが人間を月に送るというアポロ計画を発表して以来約10年の間,米ソの有人衛星打上げ競争の時代を迎えることとなる。61年にはソ連が世界最初の有人人工衛星ボストーク1を打ち上げ,人間の宇宙空間への進出の第一歩をしるした。人工衛星の実用もこのころから本格化し,62年には,初の商業用通信衛星であるテルスター1が打ち上げられ,テレビ中継にも成功して,宇宙開発が実生活と密着したものとなりつつあったし,64年には,初の静止衛星シンコム3も打ち上げられている。…
※「ボストーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
7/22 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新