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ボテフ ボテフBotev, Hristo

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ボテフ
ボテフ
Botev, Hristo

[生]1848.1.5. カロフェル
[没]1876.5.20. ベスレズ山付近
ブルガリアの民族的英雄,詩人。教師の家庭に生れる。 1863~67年ロシアに滞在。オデッサ高等学校在学中に A.ゲルツェン,N.チェルヌイシェフスキーらの著作の影響を受けた。帰国後,オスマン帝国に対する民族独立運動に参加,ルーマニアに亡命。

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世界大百科事典 第2版の解説

ボテフ【Hristo Botev Petkov】

1848‐76
ブルガリアの詩人,民族解放運動家。スターラ・プラニナ山脈南麓の町カロフェルの教師の家に生まれ,オデッサに留学,ロシア文学と革命思想およびフランス空想的社会主義の影響を受けた。1868年ルーマニアに渡り,ブカレストブライラレフスキカラベロフら民族解放運動家と論説や時評などの文筆活動で民族解放思想を鼓吹するとともに,武装蜂起の準備を推し進めた。76年〈四月蜂起〉が始まるや,蜂起隊を組織し,オーストリアの汽船ラデツキー号を乗っ取ってブルガリアに渡り,オスマントルコ軍との激戦のすえ戦死した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ボテフ
ぼてふ
Христо Ботев Hristo Botev
(1848―1876)

ブルガリアの詩人、革命家。蜂起(ほうき)者の根拠地スタラ山地の麓(ふもと)で、教師の父と、伝承民謡に優れた母の間に生まれる。15歳でオデッサに留学したが、移民の悲惨な生活や革命思想に触れて退学、帰国した。故郷でギリシアやトルコ、ブルガリアの支配階級を非難したため、危険視した村人に追われルーマニアへ行く。1876年、蜂起者200人を率いてドナウ川で汽船を乗っ取り、トルコの大軍を撃退したが、作戦会議中敵弾に倒れた。革命家として活躍しながら新聞を発行、雑誌にも論説、批評、詩を載せて民衆の啓蒙(けいもう)に努めた。残っている詩はわずか20余編であるが、被搾取者の惨めさとその根源をあらわにし、権力に対する憤り、風刺、革命家の孤独感、愛などを、民族伝承詩の形式を取り入れつつ歌い上げた格調高い叙情詩である。とくに『ハジィ・ディミタル』(1873)は世界革命詩のなかでも珠玉の作とされ、広く愛唱されている。[真木三三子]
『アレクサンダル・ブールモフ編、真木三三子訳『フリスト・ボテフ詩集』(1976・恒文社)』

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世界大百科事典内のボテフの言及

【ブルガリア】より

…彼らは西欧やロシアの革命思想を吸収し,一部はオデッサやブカレストのブルガリア人社会と密接な関係をもち,1860年代になると,これらの都市に民族革命の拠点を設け外からブルガリアの独立運動と蜂起準備を進めた。レフスキらは71年ブルガリア革命中央委員会を設立し,ブルガリア各地を回って革命組織の地方委員会を数多く設立したが,レフスキは73年,運動の半ばで逮捕・処刑され,その指導はボテフらに引き継がれた。 蜂起は,準備不足のまま1876年5月(旧暦4月),コプリフシティツァとパナギュリシテPanagjurišteで勃発した(四月蜂起)。…

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