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ボローニャ Bologna

翻訳|Bologna

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ボローニャ
Bologna

イタリア北部,エミリアロマーニャ州州都。ボローニャ県の県都エトルリア人によりフェルシナと呼ばれた都市で,前1世紀にはローマ化され,ボノニアと称した。その後ビザンチンや教皇の支配を受けたが,12~16世紀には独立の自治都市となり,法学のボローニャ学派,絵画のボローニャ派など学術,文化が栄えた。 1506年再び教皇領に戻り,その後,3世紀間の平和と繁栄を楽しんだが,1849年オーストリア領となり,60年サルジニア王国に併合された。鉄道,道路交通の要地で,第1次世界大戦までは農産物の集散地として重要な役割を果したが,その後工業も発展,製鉄,電気器具,製靴,食品の諸工業が立地し,都市計画に従って郊外に住宅団地が発展,大都市圏を形成している。 13~16世紀建設の城壁内には,マッジョーレ広場を中心にコムナーレ宮,ポデスタ宮,海神像噴水,1390年以来の建設でゴシック様式の聖ペトロニオのバシリカなどのすぐれた建築物があり,サレルノ大学,パリ大学と並んで世界最古といわれるボローニャ大学がある。 1964年より毎年春に国際児童図書展が開かれている。人口 38万181(2011推計)。

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デジタル大辞泉の解説

ボローニャ(Bologna)

イタリア北東部の都市。アペニン山脈北麓(ほくろく)にある。12世紀ころ商業・学術都市として栄え、歴史的建造物が多い。

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百科事典マイペディアの解説

ボローニャ

イタリア中部,エミリア・ロマーニャ州の州都。ポー平原南縁にある商工業都市で,交通の要地。金属,機械,精密機械,食品加工などの工業が行われる。政治的には左翼勢力が強い都市として著名。
→関連項目バッサーニ

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デジタル大辞泉プラスの解説

ボローニャ

イタリア、オマス社の筆記具のブランド。2005年、同社創設80周年を記念して発売。万年筆ペン先に同社があるボローニャ市の門を彫刻。同市の風景をイメージした製品を展開。万年筆とボールペンがある。

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世界大百科事典 第2版の解説

ボローニャ【Bologna】

イタリア北部,エミリア・ロマーニャ州の州都で,同名県の県都。人口39万4969(1994)。ポー平原の南東部とアペニノ山脈の山ろく部の丘陵との境に位置し,古くから北部と中部を結ぶ交通の要所であり,今日でも鉄道幹線,高速道路などの重要な中継地である。政治的には,左翼勢力の強い都市として著名。 エトルリア人が建設した都市で,その後,前189年にローマの支配下に入り,この都市に沿うアエミリア街道の建設とともに経済的に繁栄した。

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大辞林 第三版の解説

ボローニャ【Bologna】

イタリア北部、アペニン山脈北麓の都市。食品・木材・金属・精密機械などの工業が盛ん。交通の要地。中世以来ヨーロッパの学芸の中心地。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ボローニャ
ぼろーにゃ
Bologna

イタリア北東部、エミリア・ロマーニャ州の州都。人口36万9955(2001国勢調査速報値)。トスカナ‐エミリア・アペニン山脈の北麓(ほくろく)、レーノ川とサーベナ川に挟まれた平野部のエミリア街道沿いに位置する。イタリアの北部と中・南部を結ぶ重要な交通の要地、農産物の集散地。食品加工、製靴、木材加工、ゴム、金属、精密機械、プラスチックなどの多様な工業があるが、規模からいえば中小企業が一般的である。市中にはゴシック様式のサン・ペトローニオ大聖堂(14~17世紀)、14~17世紀のボローニャ派絵画のコレクションが収められるコムナーレ宮殿(13世紀)、ラファエッロの『聖女チェチリア』などが収蔵される国立絵画館、アシネッリ塔(98メートル)とガリゼンダ塔(48メートルで未完)という二つの斜塔(12世紀)、ジャンボローニャによるブロンズの彫刻像『ネプチューンの噴水』(16世紀)など、特記すべき美術作品・歴史的建築物が多い。1972年には歴史地区の保存と修復を目ざした本格的な施策が打ち出されるなど、都市計画に関してはファシズム期以来の伝統を有している。[堺 憲一]

歴史

ボローニャの前身フェルシナFelsinaの起源は、ビッラノーバ文化が栄えていた紀元前9世紀にまでさかのぼる。前6~前4世紀のエトルリア人の支配などを経て、前189年ローマの植民市となる。その後、紀元後12~13世紀には、商業、穀作、絹・麻織物業を土台にして大いに栄えた。また11世紀に創設されたと推定されるボローニャ大学は、法学研究を主体として発展し、神学研究のパリ大学と並んでヨーロッパに名声を博した。1371年の人口は5万人といわれている。14世紀以降、絵画のボローニャ派の拠点となる。1513年からは教皇領となり、その状態がナポレオン時代(1796~1814)を除いてイタリア統一まで続いた。[堺 憲一]

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世界大百科事典内のボローニャの言及

【イタリア】より

…この結果,中部イタリアの〈赤いベルト地帯〉に共産党を主体とする州自治体が成立した。中央議会で万年野党の共産党は,かねてより地方自治体での活動を重視しており,たとえば中世都市ボローニャは,戦後一貫して共産党が市政を担当し,同党はそのボローニャを地方自治のモデル都市として機会あるごとに内外に印象づける努力をしてきた。地方選挙における共産党の進出は,こうした効果の表れでもあるが,福祉事業や社会サービスなど市民生活に直結する業務が中央の行政機関から州のそれに移行したことは,従来の行政のあり方に変化をもたらすことになる。…

【ポー平原】より

…現在もイタリア国内で最も経済活動の活発な地域となっている。平野の北側はベルガモ,ブレシア,ベローナ,ビチェンツァの諸都市を結ぶ線,南側はアレッサンドリア,ピアチェンツァ,パルマ,モデナ,ボローニャ,リミニの諸都市を結ぶ線で囲まれ,その間を流れるポー川に沿ってパビア,クレモナ,マントバ,フェラーラなどの都市がある。これらの都市の多くは中世にコムーネ(自治都市)を形成した伝統的な都市で,ポー平原においてはこうした諸都市が周辺の農村部を合わせてそれぞれに固有の地域世界をつくっているのが特徴である。…

【町並み保存】より

…ユネスコでも76年〈ナイロビ勧告〉(歴史的地区の保全および現代的役割に関する勧告)をまとめている。 実際の保存計画も60年代末から各国で試みられるようになり,イギリスではバース,チェスター,チチェスター,ヨークの4都市にパイロット・プロジェクトを立て,イタリアでは72年にボローニャの歴史地区を再生して庶民住宅を供給する政策を開始した。従来の保存事業が,文化遺産と日常生活を別個の次元でとらえがちであったのに対して,文化遺産を継承することによって日常の生活環境を向上させるという姿勢が生じたのである。…

※「ボローニャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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