ボローニャ派(読み)ぼろーにゃは(英語表記)Scuola Bolognese

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボローニャ派」の意味・わかりやすい解説

ボローニャ派
ぼろーにゃは
Scuola Bolognese

イタリアのボローニャで栄えた画家一派。ボローニャでは、14世紀にもビターレ・ダ・ボローニャなどの優れた画家の一派が活躍したが、通常は16世紀末から17、18世紀に輩出した画家たちをさす。このボローニャ派の黄金時代の基礎を築いたのは、ロドビコ、アゴスティーノ、そしてアンニーバレらのカラッチ一族であった。彼らはボローニャで一種のアカデミーを開き、16世紀後半のマニエリスム絵画を克服する新しい絵画を研究し、それを多くの画家に広めた。とりわけアンニーバレ・カラッチフィレンツェベネチアのルネサンス絵画を総合した作品で大きな影響を与え、カラバッジョと並んでバロック絵画の基礎を築いた画家として高く評価されている。彼はローマでも活躍したが、カラッチ一族に育てられた画家もローマやナポリで重要な仕事をした。なかでも、ドメニキーノ、グイド・レーニ、アルバーニ、そしてグエルチーノはことに重要である。ボローニャ派は、18世紀前半に活躍したジュゼッペ・マリア・クレスピ(1665―1747)らを最後に重要性を失った。

[石鍋真澄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボローニャ派」の意味・わかりやすい解説

ボローニャ派
ボローニャは
Scuola Bolognese

北イタリアの古都ボローニャを中心として栄えた絵画の流派。 15世紀前半までは,まだ伝統的なビザンチン画風が支配的であったが,後半から地理的関係上フェララ派との接触が強まり,特に 1470年以降,フェララ派の L.コスタがこの地に移住するに及んで大きな影響を与えることになる。この地出身のフランチアは彼から学び,またウンブリア派ペルジーノからも摂取して甘美で温雅な画風を樹立した。彼の画風はその弟子ビティからラファエロにまで伝えられるが,一般的にみて 15世紀後半から 16世紀前半までのこの画派は,イタリア画壇では概して不振であった。ところが 16世紀後半,この地出身のカラッチの唱道する盛期ルネサンス様式の折衷主義は,一躍同派を 17世紀のイタリア画壇の主導的地位にまでのし上げた。すなわちカラッチは従兄弟のアゴスティーノおよびアンニバーレとともに,1589年にボローニャに美術学校アカデミアデリ・インカミナーティを創設,コレッジオ,サルト,ティツィアーノ,ティントレットをはじめ,ミケランジェロやラファエロらのすぐれた先人の各種技法を組織的に研究してそれを教授し,そこから多くの英才を輩出させ,同派の一大隆盛を現出させた。このアカデミアから,G.レニをはじめ F.アルバーニ,ドメニキーノ,グェルチーノら,多数のすぐれたバロック画家が育っていった。

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