ポスト・コロニアリズム(読み)ぽすところにありずむ(英語表記)post-colonialism

翻訳|post-colonialism

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポスト・コロニアリズム」の意味・わかりやすい解説

ポスト・コロニアリズム
ぽすところにありずむ
post-colonialism

ポスト・コロニアリズムは、1980年代に提唱された概念で、植民地支配とそれが後に残したものを対象とする研究をさす。西洋の植民地主義という歴史的事実と、旧植民地が独立したあとの西洋と非西洋のイデオロギー的関係、文化的な変化のプロセスを考察し、記述する。したがって、西洋の支配的言説との関係を射程に入れ、人種、ジェンダー、階級といったさまざまな観点から、植民地主義への抵抗と植民地主義以後新たに生み出された国民的、個人的アイデンティティの問題が提起されており、ポスト・コロニアル研究、理論の内部にもさまざまな論争や差異が生じている。

 オリエントは、西洋が自らのアイデンティティを確立するために、帝国主義や植民地主義の言説や権力の効果/産物として構築される。そう喝破したエドワード・サイードの『オリエンタリズムOrientalism(1978)が、一般にポスト・コロニアル研究の嚆矢(こうし)とされる。しかし、この立場に対しても、西洋と東洋の二項対立を強化/再生産しかねないという批判がなされることがある。サイードはその後『文化と帝国主義』Culture and Imperialism(1993)において、ヨーロッパが単にオリエントという他者を表象するだけでなく、オリエントとの相互作用を通してヨーロッパ自身を自己規定、自己肯定していくさまを描き出すと同時に、帝国主義下の文化生産物が、支配者と被支配者の相互交渉の産物として相対的に自律性をもつことを両者の力関係のなかで考察している。その考察は、西インド諸島のマルティニーク島からアルジェリアに渡った精神科医で革命家のフランツ・ファノンの植民地主義への抵抗の物語と接続している。ファノンは、精神分析における両価性(アンビバレンス)の概念を用いて人種的に抑圧されている黒人の立場を分析したが、ポスト・コロニアル理論家ホミ・K・バーバHomi K. Bhabha(1949― )も、植民地主義を読み解くために精神分析を用いている。バーバは、支配的言説における「交渉」と「翻訳」に注目し、つねにずれを伴う被支配者の模倣の身ぶりに権力への追随と抵抗の契機の両面をみいだした。またバーバの『文化の位置』The Location of Culture(1994)は新しい政治の可能性、抵抗の場として「異種混淆(こんこう)性(ハイブリディティ)」を提起した。「異種混淆性」ということばはまた、アメリカ黒人の「二重意識」を論じたW・E・B・デュボイスにみられるように、奴隷制移民亡命の結果として新たに生じたアイデンティティを記述することばとも通底している。同時にこのことばは、文化理論、ポスト・コロニアル研究では、ポール・ギルロイPaul Gilroy(1956― )が『ブラック・アトランティックThe Black Atlantic(1993)で指摘したように、困難や疎外といった観点からだけでなく、ディアスポラ(もともとはユダヤ人の離散を示すことばであるが、1980年代以降の文化研究、社会理論、ポスト・コロニアリズムの文脈において新たな意味を獲得している。自らの起源(ルーツ)からの離脱、あるいは流浪の身にありながら、依然として自らのルーツに文化的、政治的、倫理的な強い結び付きをもち、それによって社会的連帯を志向する人々およびその概念)的なネットーワークのなかで国民国家などを批判する際にも用いられる。

 ポスト・コロニアル研究における人種、民族、ジェンダー、および地政学的なアイデンティティをめぐる問題は、そのまま第三世界出身の知識人がことばを発するときの困難な立場とも結び付いている。たとえば、ガヤトリ・スピバク著書『サバルタンは語ることができるか』Can the Subaltern Speak?(1988)のなかで、西洋とその知識人が「サバルタン(従属的地位にある者)」を他者として認識する仕方を歴史的記述という観点から問うている。このほかに、ポスト・コロニアル文学批評・理論の新たな位置づけを考察したものとしてビル・アッシュクロフトBill Ashcroft(1946― )らによる『ポストコロニアルの文学』The Empire Writes Back(1989)、帝国主義側の作家と植民地側の作家の共犯性をついたサーラ・スレーリSara Suleri(1953― )の『修辞の政治学』The Rhetoric of English India(1992)、黒人女性による文化批評を政治的実践として積極的に展開するベル・フックスbell hooks(1952―2021)、また人類学、フェミニズム、ポスト・コロニアリズム、ポスト・モダニズムの批評理論など複数の言説ジャンルを横断しながら、そこに内在する権力関係や権威性をすり抜け、アジア、アフリカ、ラテンアメリカにおける「女たち」のことばの想像力に満ちた語りの引用と、映像表現によって文化の根源的な複数性を浮き彫りにしてみせるトリン・T・ミンハTrinh T. Minh-ha(1953― )らによる一連の作業もきわめて重要である。

[清水知子]

『トリン・T・ミンハ著、竹村和子訳『女性・ネイティヴ・他者――ポストコロニアリズムとフェミニズム』(1995・岩波書店)』『フランツ・ファノン著、鈴木道彦・浦野衣子訳『地に呪われたる者』(1996・みすず書房)』『ビル・アッシュクロフト、ガレス・グリフィス、ヘレン・ティフィン著、木村茂雄訳『ポストコロニアルの文学』(1998・青土社)』『ガヤトリ・スピバク著、上村忠夫訳『サバルタンは語ることができるか』(1998・みすず書房)』『エドワード・サイード著、大橋洋一訳『文化と帝国主義』1、2(1998、2001・みすず書房)』『サーラ・スレーリ著、川端康雄・吉村玲子訳『修辞の政治学――植民地インドの表象をめぐって』(2000・平凡社)』『アーニャ・ルーンバ著、吉原ゆかり訳『ポストコロニアル理論入門』(2001・松柏社)』『ジェイムズ・クリフォード著、毛利嘉孝ほか訳『ルーツ――20世紀後期の旅と翻訳』(2002・月曜社)』『エドワード・サイード著、今沢紀子訳『オリエンタリズム』(平凡社ライブラリー)』『Henri Louis Gates, Jr ed.Race, Writing, and Difference(1985, University of Chicago, Chicago)』『Homi K. BhabaThe Location of Culture(1994, Routledge, London)』『Bill Ashcroft, Gareth Griffiths, Helen Tiffin eds.The Post-colonial Studies Reader(1995, Routledge, London)』『Rodolfo D. Torres, Lous F. Miron, Jonathan Xavier Inda eds.Race, Identity, and Citizenship; A Reader(1999, Blackwell, Oxford)』

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知恵蔵 「ポスト・コロニアリズム」の解説

ポストコロニアリズム

経済や文化、政治に残存する植民地主義の影響を明らかにし、現状を変革するための思想。「ポスト」という接頭辞は、様々な地域が解放された後に、現在もなお植民地主義の影響のもとにあるということを強調するために用いられている。植民地の多くは、第2次大戦後政治的に独立したにもかかわらず、先進国に経済的に依存せざるをえない状況が続いた。グローバリズムの進展に伴い経済的依存はますます高まり、情報や文化資本の流入によって固有の文化を維持する困難にも直面してきた。こうした現実に対して、特に1960年代以降、いまなお植民地主義の影響下にあるという問題意識のもとで、旧植民地出身者による不平等や格差の克服への取り組みが現れてきた。植民地主義の遺制は経済的な側面だけではなく、民族や人種、宗教、ジェンダー、セクシュアリティーなど様々な要因の組み合わせが複雑に関連し合っている。ポストコロニアリズムには、文学テキストに刻印されている、植民地主義による支配・被支配の相互関係を読み解くもの、歴史における戦争暴力を問うものなど、領域横断的な取り組みが見られる。アラブ世界への理解が西洋の支配的な言説によって表象されてきたことを明らかにした、サイードの『オリエンタリズム』(78年)はその代表的な作品と見なされている。

(野口勝三 京都精華大学助教授 / 2007年)

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百科事典マイペディア 「ポスト・コロニアリズム」の意味・わかりやすい解説

ポストコロニアリズム

近代ヨーロッパの思想と文化が,大航海時代以後の侵略や帝国主義による植民地支配を前提としながら,その事実を,意識的・無意識的に忘却していることを批判する思考と実践。特に,そうした近代の思想と文化が,植民地支配の暴力と深く結びついていることに痛みを伴った自覚を促そうとする。植民地支配に起源をもつ政治や文化が,独立を果たした旧植民地国と旧宗主国の双方の社会において,いまも存続するばかりか,たえず新しく再生産され続け,さまざまな権力関係における対立や闘争として現れていることを明らかにし,文学批評から政治思想にわたる近代社会の分析に新しい認識の地平を開いた。代表的な論者として,E.サイード,G.スピバック,ホミ・バーバがあげられる。

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