改訂新版 世界大百科事典 「マイニンゲン一座」の意味・わかりやすい解説
マイニンゲン一座 (マイニンゲンいちざ)
Meininger
ドイツのマイニンゲン大公ゲオルク2世Georg Ⅱ(1826-1914)がみずから主宰した宮廷劇場。ゲオルク2世は1866年に即位すると,オペラ劇場を廃し,演劇に全力を傾けた。彼は19世紀の歴史主義を背景に,綿密な時代考証に基づいた舞台衣裳,舞台装置による歴史的演出の導入によって演劇の革新を行った。古典劇の演出では,ブルク劇場のディンゲルシュテットの様式に影響を受けていたが,端役にいたるまでおろそかにしない群衆場面の演出は,スターよりも統制のとれたアンサンブル演技をめざしたこの劇団にしてはじめて可能なものであった。74年から始まったこの劇団の客演は,90年までに38都市,2591回に及び,商業演劇的な舞台に慣れていた各地の観客に大きな刺激を与え,フランスのA.アントアーヌやロシアのK.S.スタニスラフスキーのような,次の世代の演劇の変革者たちにも大きな影響を与えたことはよく知られている。なかでもシェークスピアの《ジュリアス・シーザー》《冬物語》,シラーの《群盗》《マリーア・ストゥアルト》,クライストの《ホンブルクの公子》など古典的な作品では,歴史的な実証主義をふまえた良心的な演出が,のちの自然主義に始まる近代劇にも間接に影響を与えた。しかし,一方この〈歴史的忠実さ〉は表面的なものにとどまり,絵画的に歴史を舞台に再現するだけで,作品に対する自己の構想に欠け,マイニンゲン風Meiningereiというパターンも生むことになった。91年には主席演出家クロネックL.Chronegkの死によって,客演活動も終りをつげた。
執筆者:岩淵 達治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報