改訂新版 世界大百科事典 「宮廷劇場」の意味・わかりやすい解説
宮廷劇場 (きゅうていげきじょう)
東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世の妃テオドラがパントマイム(黙劇)の女優であったことからもわかるように,演劇は昔から王侯貴族に保護されていた。宮廷劇あるいは宮廷劇場という言葉は,広くは,あらゆる時代のあらゆる国の宮廷によって保護され演じられた演劇形式と,それが演じられた場所をさしうるが,ふつうは,ルネサンスの終りころから,19世紀前半ぐらいまでのヨーロッパにおいて行われた,それらの演劇(劇場,劇団)をさすことが多い。俳優兼劇作家のシェークスピアはイギリスの宮内大臣お抱え一座に属していたし,フランスのモリエールはルイ14世の宮廷に仕え,宮廷劇場で喜劇の名作を上演したばかりでなく,宮廷の祝祭や催し物のためにも働いた。それは彼らが職業演劇人として生きて行くための手段であった。フランス王室と関係の深いウィーンの宮廷はすぐパリの宮廷劇場をまねたが,西欧各国の多くの宮廷もぞくぞくとそれにならい,オペラやオペレッタや演劇を盛んに上演し,またイタリアの芸術家たちを招いて,バロック劇の華を咲かせた。3000ともいわれる小領邦に分かれていた18世紀ドイツの各宮廷もそれにならったので,多くの宮廷劇場が成立し,芸術の先進国イタリアやフランスから出費もいとわず多くの芸術家が招かれ,演劇の水準も高くなっていった。ワイマール宮廷劇場はゲーテ(1791年に劇場監督に就任)とシラーの協力を得,その劇場活動は大きな成果を示した。また19世紀後半にはマイニンゲン公の率いる一座(マイニンゲン一座)が西欧各国やロシアを巡業して名声を得た。多くの宮廷劇場は近代化の過程でうたかたのごとく消え失せたが,たとえばウィーンのブルク劇場やパリのコメディ・フランセーズのように,それらの中からはいくつかの新しい国立劇場も生まれている。
執筆者:永野 藤夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報