ドイツ中東部,ザクセン・アンハルト州の州都。人口22万6675(2004)。エルベ川中流域に位置し,またミッテルラント運河が通じ,旧東ドイツ最大の内陸港をもつ。重工業の中心地で,他に食品,織物,建材などの製造が行われる。その起源はフランク王国の城砦所在地として登場する9世紀にまでさかのぼるが,その後の発展にとり決定的だったのは,ここがキリスト教東方伝道の前哨拠点に選ばれたことである。すなわち,東方の安定を図るとともに教会を帝権の支柱たらしめる政策を推進した神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世によって,968年マクデブルク大司教座が新設された。同時に同市は商業の中心地としても栄え,大司教の支配と保護の下で早くから商人定住地が発達した。しかし,マクデブルクは大司教支配が強力で,市民の自治・独立の獲得が完全に実現したのは13世紀に入ってからである。もっとも,それ以前から富裕商人は大司教行政の一部を担当し,マクデブルク自体も東方の開発が進むにつれて商都としての比重を高め,ハンザ同盟の一員ともなった。13世紀以後市域は拡大し市内の整備も進められたが,同市の重要性をよく示しているのはマクデブルク都市法の普及である。同市法は東方に成立した諸都市で採用され,主として内陸諸都市の間に広まってマクデブルク都市法圏が形成された。宗教改革後,同市とその周辺はプロテスタント化したため,三十年戦争に際してはカトリック側の武力攻撃にさらされた。同市は1680年にブランデンブルク辺境伯領に編入されて独立を失い,以後プロイセン王国内の一都市として存続した。第2次大戦で破壊をうけるが,大聖堂(13~16世紀),ロマネスク様式の聖母教会,ザンクト・セバスティアン教会,バロック様式の市庁舎(17世紀)などは修復・再建された。
執筆者:高橋 理
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… 峡谷を出たエルベ川は,幅4~7kmにも達する浅い谷底部において川幅が800~2500mに広がり,北西方向に北ドイツ平原を流れる。マクデブルク付近からいったん北東方向に流れた後,再び北西に流向を変え,ほとんど直線的に北海に注ぐ。このような北ドイツ平原における主として北西方向のエルベ川の流路は,氷河期にスカンジナビアから北ドイツ平野へと前進した大氷床の融氷水を集めて流れた河谷(ウルシュトロームタールという)によって決定されたものである。…
…こうして特許状または市民の自由意思にもとづく照会により,母都市と娘都市とのつながりができ,いわゆる都市法家族Stadtrechtsfamilienが形成された。もっとも重要な母都市はリューベックとマクデブルクである。リューベックの法はドイツの諸都市やバルト海地域のハンザ居留地を経てノブゴロドにまで達し,マクデブルクの法は東ザクセンおよびブランデンブルクだけでなく,ボヘミア,シュレジエン,ポーランドやさらに遠くの地方まで広まっていった。…
※「マクデブルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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