ドイツの工学者、物理学者。マクデブルクに生まれる。ライプツィヒ、ヘルムシュタット、イエナで学んだのち、1623年ライデン大学に入り、数学・力学を修めた。故郷に戻って1626年に市会議員となったほか、市長を務める(1646~1676)など、三十年戦争の激動のなかで市政に活躍した。この間、市街が破壊され、各地を遍歴して工学者として活躍した時期もある。
当時話題であった真空に関心をもち、実験に取り組み、1650年ごろ真空ポンプを発明し、それを用いて真空の実験研究を行い、空気弾性を発見、これらはその後、ボイルらによって発展させられた。1657年にはマクデブルクで、半球をウマに引っ張らせる有名な公開実験を行った。この実験をはじめ、彼の真空に関する多くの実験とそれに関する哲学的考察は、1672年に『真空に関するマクデブルクの新実験』にまとめられた。また、硫黄(いおう)球の摩擦実験を行ったことから、起電機の発明者とか電気学研究の先駆者にあげられることもある。ただし、この実験は、天体が磁気力によって相互作用をするという考えで行ったものであり、硫黄を含む金属球に摩擦で生じさせた静電気の効果を天体の力の証明としてとらえていたのである。宇宙と世界の無限についての考察もある。
[高田紀代志]
ドイツの物理学者,政治家。マクデブルクの名門の出身。ライプチヒ,ヘルムシュタット,イェーナ,ライデンの大学で法律,数学,築城術などを学ぶ。1626年帰郷とともに市参事会員となり,46年から30年間市長を務め,三十年戦争で破壊された市の復興に尽力し,市の自治権を守るために諸侯の間を奔走した。この職務の合間に彼は真空の存在を実証するため真空ポンプを製作して諸実験を行ったが,なかでも大気圧の強さを示したマクデブルクの半球実験(1657)は著名である。彼の真空に関する実験は諸国に伝えられてR.ボイルやC.ホイヘンスの気体力学研究の契機となった。このほか,空気の比重測定,水気圧計の製作,真空中での生物・火・音の実験などを試み,また,硫黄球を回転摩擦して静電気の先駆的な実験を行った。
執筆者:内田 正夫
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…この直後,フランスではB.パスカルが(義兄ペリエに依頼して)有名なピュイ・ド・ドームの実験を行って(1648),真空と大気圧の研究成果を確認している。17世紀中葉流行となったこのような真空実験で,もっとも著名なのはドイツのO.vonゲーリケによるそれだろう。〈マクデブルクの半球〉と呼ばれるこの実験では,金属製の半球を合わせて作った球の内部の空気を,みずから発明した真空ポンプで抜き,その両半球にそれぞれ馬をつないで引っ張らせた。…
※「ゲーリケ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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