1927~36年構築のフランス北東国境に沿った長大な要塞(ようさい)線。提案者の陸相マジノAndré Maginot(1877―1932)に名をとる。第一次世界大戦、とくにベルダンの戦いに教訓を得、主要機能を堅牢(けんろう)な地下室に集約し、地下連絡通路を完備した点に特徴をもつ。戦前のフランス国民にとって安全保障上の象徴的存在となっていた。しかし第二次世界大戦では、ドイツが軽装堡塁(ほるい)のみのベルギー国境から突入したこと、マジノ線重装部分への攻撃もザールブリュッケンの南で容易に突破されたことから、実際の役にはたたなかった。またこのような要塞が対戦車防御には有効でも、対空戦に力をもたないことも露呈した。
[柳田陽子]
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フランスの陸相マジノらの努力によって,1930年からドイツとの国境線に沿って構築されるようになった要塞線。その堅固さに対する過度の信頼が対ドイツ戦楽観論といういわゆるマジノ線心理を生んだ。
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…ここでも石灰岩はしばしば浸食されずに残り,パリ盆地では東から南東にかけて,内側はほとんど気づかないほどの緩傾斜,外側は急峻な崖となったケスタ地形がみられる。この急崖は関門(ポルトporte)と呼ばれる部分を除いて越えがたいため,フランスの対独防衛線(たとえばマジノ線)として利用された。しかしいったん通過すれば平坦な土地が広がり,視野を遮るものはミレーの絵のように教会の尖塔だけというようになる。…
※「マジノ線」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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