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マラッカ マラッカ Malacca

翻訳|Malacca

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デジタル大辞泉の解説

マラッカ(Malacca)

マレーシア、マレー半島南西岸、マラッカ海峡に面する港湾都市マレー語ムラカ。15世紀初めマラッカ王国が建設されて以来、国際貿易港として繁栄。1511年にポルトガル領、のちオランダ領を経て英国領となった。ヨーロッパの影響を受けたコロニアル様式の街並みが残る。2008年にペナン島ジョージタウンとともに、「マラッカ海峡の歴史的都市群、マラッカとジョージタウン」の名称で世界遺産に登録された。

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百科事典マイペディアの解説

マラッカ

マレーシアのマラッカ州の州都。ムラカMelakaともいう。マレー半島南西岸,マラッカ海峡に臨む港湾都市。古来東西交通の要地で,15世紀初めにマレー人によるマラッカ王国の港として発展した。
→関連項目アユタヤ朝マレー半島琉球貿易

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世界大百科事典 第2版の解説

マラッカ【Malacca】

マレーシア,マレー半島南西岸にある古い港町。ムラカMelakaともいう。同名州の州都で人口29万6000(1991)。15世紀初めに明(中国)の支援を受けたムラカ王国が貿易港として発展させた。1511年からポルトガルの,1641年からオランダの支配を受け,1824年にイギリス領となった。今日人口の70%以上が福建人を多数派とする華人で占められるが,マレー化した中国系,ポルトガル系住民が多い町である。

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大辞林 第三版の解説

マラッカ【Malacca】

マレーシア、マレー半島南西部のマラッカ海峡に面する港湾都市。一四世紀に建設された、半島最古の都市。ゴム・コプラなどの輸出が多い。 〔「満剌加」とも当てた〕

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マラッカ
マラッカ

ムラカ」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マラッカ
まらっか
Malacca

マレーシア本土、マレー半島南西部の港湾都市。ムラカMelakaともいう。マラッカ州の州都で、人口約12万6100(2001推計)。マラッカ川河口に位置し、マラッカ海峡最狭部を扼(やく)する戦略的要地である。15世紀初頭に中国の明(みん)の支援を受けたマラッカ王国が貿易港として発展させ、以後ポルトガル、オランダの支配を経て、1824年にイギリス領となった。ゴム、コプラなどを輸出してきたかつての国際貿易の拠点としての機能は、すでにシンガポールなどに奪われたが、市内にはポルトガルやオランダの城塞(じょうさい)跡、歴史博物館、ブキットチナの壮大な中国人墓地など多くの史跡が残っている。近年は近郊で米、ゴム、ココヤシなどの栽培が盛んに行われている。歴史的経過から中国系住民が多い。[別技篤彦]

歴史

14世紀の末、もしくは15世紀の初め、スマトラのパレンバン王国の王族であったと思われるパラメシュバラが、ここに王国を建てたことに始まる。明(みん)の鄭和(ていわ)の西征(1405~30)が行われた際、同地はインド、西アジア方面への航海の基地となったが、パラメシュバラはこの機会を利用して王国の基礎を固めた。このころ同国は、シャムの属国であったが、彼は、中国の朝貢国となることでシャムの支配を脱した。マラッカは国際貿易港となり、イスラム商人も多数来航した。1440年代にシャムの攻撃を受け、これを撃退したときにイスラム教が当地に定着した。
 マラッカは東南アジアと南アジアを結ぶ国際貿易の中心地として繁栄し、また東南アジアにおけるイスラム教伝播(でんぱ)の基地となったが、1511年ポルトガルに占領され、王国はジョホールに移った。アチェーとバンタムの勃興(ぼっこう)によってポルトガル時代のマラッカは、国際貿易港としての地位を失い、ゴアからマカオ、モルッカ諸島に向かうポルトガル船隊の寄港地となった。1641年にはオランダ東インド会社に占領され、以後は地方的な貿易港となった。1785年にイギリス東インド会社に占領され、イギリスの海峡植民地の一部となったが、シンガポール、ペナンの影に隠れた存在であった。1957年にマラヤ連邦が完全独立した際にはその一州となった。[生田 滋]
『鶴見良行著『マラッカ物語』(1981・時事通信社)』

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世界大百科事典内のマラッカの言及

【南蛮貿易】より

…1540年代より約1世紀にわたり,当時は南蛮人と称されたポルトガル,スペイン両国人の渡航によって日本商人等との間に展開された商取引。1543年(天文12)ポルトガル人の種子島漂着を契機にして,ポルトガル商船および彼らのジャンク船がリャンポー(寧波(ニンポー)),マラッカ等から西南九州の鹿児島,山川,坊津,府内,平戸等の各港に来航した。ポルトガル人は57年(弘治3)中国人からマカオ居住の許可を得,同地をゴア,マラッカと日本とを結ぶ定期航路の中継地および貿易拠点として発展させ,さらに78年(天正6)には広東市場での交易権を得て日本貿易拡大のための足固めをした。…

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