1960年代から1970年代初頭にかけて、アメリカが行った金星と火星の探査計画。打ち上げられたマリナーMariner探査機は1号から10号まで10機ある。このうち1号、2号、5号、および10号は金星探査を目的とし、10号は水星の探査をも行った。他の3号、4号、6号、7号、8号、9号はいずれも火星探査を目的とした。なお、同時代に、ソ連はアメリカの倍以上の数の金星探査機および火星探査機を打ち上げ、金星ではベネラ7~14号の着陸など多くが成功したが、火星ではほとんど失敗した。
1号は1962年7月に打ち上げられたが、コースを外れ、指令により破壊された。2号は1か月後に打ち上げられ、金星から3万4800キロメートルの近傍通過に成功し、その大気圧、地表温度を測定し、磁場や放射線帯のないことを初めて明らかにした。1967年6月に打ち上げられた5号は、さらに近傍の4000キロメートルのところを通過し、大気がほとんど炭酸ガスからなることなどを明らかにした。1973年11月に打ち上げられた10号は金星のテレビ観測を初めて行い、金星上層大気の流れや擾乱(じょうらん)の動画を送信してきた。このあと10号は、金星の重力場を利用して軌道を太陽の方向に曲げ、1974年3月29日、水星から690キロメートルのところを通過した。こののち、さらに6か月置きに2回、水星の近傍通過を行い、表面のクレーター、大気、表面温度の観測などに初めて成功した。
火星探査のマリナー3号は1964年11月に打ち上げられたが失敗し、同じ月に4号が打ち上げられ、火星から9600キロメートルの近傍通過に成功し、表面のクレーター、大気の成分と圧力などを観測し、磁場も放射能帯もないことを明らかにした。6号、7号は1969年2月と3月に打ち上げられ、いずれも火星から3千数百キロメートルの近傍通過に成功、多くの画像データを送ってきた。8号は失敗したが、9号は1971年5月に打ち上げられ、火星を回る探査機となり、火星とその衛星の7000枚にのぼる写真を送ってきた。これは地球以外の惑星の周りを回る軌道に入った最初の探査機である。
[輿石 肇・岩田 勉]
火星,金星,水星に無人探査機(名称マリナーMariner)を送り,これら惑星の写真撮影や大気および表面の調査を行うNASA(ナサ)の惑星探査計画。打上げロケットは1号から5号までがアトラス・アジェナ型,6号から10号まではアトラス・セントール型。1962年7月金星を目ざした1号の失敗の後,62年8月打ち上げられた2号は,同年12月,金星の近傍約3万5000kmを通過,金星が厚い雲に覆われ,磁場の兆候のないこと,金星表面温度が昼側と夜側でほとんど変化なく約430℃であるとのデータを送信した。64年11月火星を目ざした3号は失敗,同月打ち上げられた4号は,65年7月,火星から9600kmの距離を通過,磁場の兆候のないこと,火星表面の気圧が地球の1%以下であることを明らかにしたほか,21枚の写真を電送,火星表面にも月と同じようなクレーターのあることを示した。67年6月打ち上げられた5号は金星から4000kmを通過して大気を観測,69年2月および3月に発射された6号と7号は,火星からそれぞれ3400kmおよび3500kmを通過,火星表面の写真を75枚(6号),126枚(7号)電送した。71年5月火星探査機の8号は打上げ失敗,同月発射された9号は重量1030kgの大型の探査機で,史上初の地球以外の惑星を回る衛星として火星の周回軌道に入り,テレビカメラにより火星表面の大峡谷,死火山や,かつて水が流れた跡などの画像を7000枚以上電送,さらに衛星フォボスとデイモスの写真も送信した。73年11月打ち上げられた10号は金星の近傍を通過する際,初めてテレビ画像を送信し,金星上層大気の動きをとらえた後,軌道を大きく変更して水星に向かい,6ヵ月間隔で3回水星に接近,690kmまで近づいて水星の表面がクレーターに覆われ,アルゴン,ネオン,ヘリウムからなるきわめて希薄な大気があること,表面温度が510~-210℃であり,地球の1%程度の磁場があることを明らかにした。
執筆者:上杉 邦憲
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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