イギリスの詩人,劇作家。ロンドンの煉瓦職人の子として生まれ,オックスフォード大学中退ののち,少年劇団のための共作者として世に出たが,やがて成人劇団に転じ,融通性に富む劇作の才を発揮してさまざまなジャンルの劇を書いた。その中には《スペインのジプシー》(1623初演。以下初演年)のような牧歌的ロマンティック・コメディ,《老人をかもにする法》(1605ころ)をはじめとする一連の社会風刺喜劇,《チープサイドの貞節な乙女》(1611)によって代表される幾編かの問題性をはらんだ悲喜劇,イギリスとスペインの抗争をチェスに擬して表した《チェス・ゲーム》(1624)といった政治風刺劇,世慣れない女が誘惑と衝動によって悪の道に堕ちてゆくさまをたどった《女よ女に心せよ》(1625?)や《チェンジリング》(1622)などの陰惨な悲劇がある。これらを貫いて見られる乾いた風刺と異化的手法は,彼の作家的特徴を特定することを困難にしており,彼の作品とされるものにおける作者認定をめぐって異論が絶えない。詩作としては20歳以前に書いたと考えられる風刺詩や物語詩が数編残されている。
執筆者:笹山 隆
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イギリスの劇作家。ロンドン生まれ。オックスフォード大学に学ぶが、中退して演劇界を志し、1602年には合作戯曲家として活躍していた事実が記録にみえる。その後少年劇団のために数編の喜劇を書くが、数年後には成人劇団に戻り、多くの喜劇、悲劇、悲喜劇を手がけた。社会的反響を得たのは、イギリスとスペインの対立をチェスに見立てた風刺喜劇『チェス・ゲーム』(1624)で、公演は成功を収めたが上演禁止処分を受けた。そのほか、喜劇には『老人をだますには』(1605ころ)、『チープサイドの貞節な乙女』(1613)などがあり、ロンドンの市民生活を風刺したものが多い。悲劇では『女よ、女に心せよ』(1621ころ)、W・ローリーWilliam Rowley(1585ころ―1626)との合作『チェインジリング』(1622)が代表作とされる。どちらも肉欲ゆえに転落する男女の生きざまを非情な目でとらえ、ヒロインの性格は悪とナイーブさの入り交じる不思議な魅力を備えている。普通C・ターナー作とされる『復讐者(ふくしゅうしゃ)の悲劇』(1607)をミドルトンの作とする説もある。
[笹山 隆]
『笹山隆訳『チェインジリング』(『エリザベス朝演劇集』所収・1974・筑摩書房)』
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…初期の歴史劇から晩年のロマンス劇にいたるその複雑な作家的展開の過程において,言語・舞台芸術としての演劇のあらゆる可能性が試され,開花させられていると言って過言ではない。彼と同時代またはその後の劇作家には,風刺喜劇の型を確立したベン・ジョンソン,ロンドンの民情を背景にメロドラマを多作したトマス・デッカー,高揚された詩的表現を用いて迫力に富む流血悲劇を作り上げたジョン・ウェブスター,冷徹皮肉な人間性の観察者トマス・ミドルトン,純化された情念の輝きを耽美的に追求したジョン・フォードなどがいる。彼らの作品は移り変わる観客の嗜好と人気の波にもまれつつ,時に10に及ぶ数の劇場で上演され続けたが,ピューリタン革命勃発後の1642年にロンドン中の劇場が閉鎖されることになって,エリザベス朝演劇はその幕を閉じた。…
…安直なモラル,生硬で誇張に富んだ文体,人為的な筋立てと生気に乏しい人物像などの欠点にもかかわらず,この作品に,最近まで彼の作とみなされてきた《復讐者の悲劇》(1606ごろ。T.ミドルトン作)に共通する生への否定的精神の表出を見取り,この劇をジェームズ朝悲劇の一つの代表作とする向きもある。【笹山 隆】。…
※「ミドルトン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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