翻訳|pageant
土地の歴史上の事件や人物などを舞台や山車の上に絵や人形であらわし,または演じる見世物で,通常野外で行われる。パジェントとも読む。語源はあまりはっきりしないが,本のページpageと同根語ともいわれ,いろいろな場面がページをめくるように展開してゆく。ページェントは,カーニバルの起源をなすギリシア,ローマの豊穣祈願の祭礼における仮装行列,ヨーロッパの民間行事などから形成されたものであり,キリスト教以前の異教的な慣習をとどめている。ここでは,巨人や野人wild man(木の葉をまとった〈野性の人〉)といった存在を登場させるのもそのためである。春や秋の祭りに民間で行われてきた行事は,やがて都市の発達によって,大がかりな都市の祝祭へと集成されてゆく。都市の祭りは年中行事だけでなく,ローヤル・エントリーroyal entry(王侯の都市訪問)や凱旋のときに催されるようになる。王は都市の入口で市長から,その都市の鍵を捧げられ,それをまた市長へ返すという儀式がよく行われるが,これはページェントが王と都市との和解の祝いであることを示している。1298年,エドワード1世の戦勝を祝ってロンドンの魚屋が催した祝祭が最初のページェントといわれている。
16世紀のヨーロッパではとくにページェントが盛んであった。それは,ページェントを演じ,かつ見物する都市の民衆が勢力を得,都市の祝祭に莫大な費用を注ぎこむことができるようになったためである。ページェントの行われる日は,通りに面した家の正面にタピスリーが掛けられ,街角には,洋服屋,魚屋といったギルドごとの仮設舞台がつくられた。エリザベス1世はとくにページェントを好み,いつもイギリス中の都市を巡行し,市民はその訪問を歓迎してページェントを行った。また,ページェントは字の読めない民衆のための絵本であり,彼らはアレゴリー(寓意)という見える姿を通して,都市を読んだのであった。活字文化の普及とともにページェントは下火になっていった。なお,日本でページェントに近いものとして風流(ふりゆう)がある。
→パレード →野人
執筆者:海野 弘
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中世イギリスにおける宗教劇の上演形式の一種。正確な発音はパジャント。台本のうえからはサイクルcycle(連続劇)とよばれるもので、並列舞台(マンション)の一形式である。日本では山車(だし)、屋体(台)、車舞台などと同義に用いられることが多く、また広く野外劇や見せ物行列などをさすこともある。
13~14世紀、6月初旬の聖体節の行事の一部として各種の同業組合(ギルド)が町角や広場に繰り出した車舞台は、一般に二層からなり、上部が舞台、下部は楽屋として幕で仕切られ、同時に地獄を表していた。そうして各車舞台は普通48の場面からなるサイクルの一場面を受け持ち、次々に決まった場所に移動して、待ち構える観衆の前で演じた。上演は早朝から、まる1日を要した。20世紀初頭にイギリス各地で復活したページェントは、都市の記念行事的な一種のスペクタクル行列であり、これは日本にも影響を与えて、大正初期以来、坪内逍遙(しょうよう)を中心にいくつかの試みがなされた。とくに1922年(大正11)京都知恩院で行われた『織田信長』(総指揮小山内薫(おさないかおる)、主演2世市川左団次)は有名である。
[大島 勉]
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…イギリスにはチューダー朝のヘンリー7世やヘンリー8世の時から祝祭が派手になり,イタリアの仮装舞踏会も入ってくる。エリザベス1世の時代にはページェントと呼ばれる市民的祝祭が最高潮に達し,仮装舞踏会はページェントに吸収されるが,やがて宮廷仮面劇(コート・マスク)という独自の形を生みだす。ページェントは市民的,野外的であるが,仮面劇は宮廷的,室内的である。…
※「ページェント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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