ロシアの評論家,社会学者,自由主義的ナロードニキの理論家。カルーガ県の貴族の生れであるが,家計破産後ペテルブルグ鉱山技術専門学校に進み,学生運動に参加して1863年退学させられた。文筆活動を職業とし,68年から《祖国雑記》誌に執筆,のち編集にも参加,92年以後《ロシアの富》誌を編集した。当局からしばしば執筆停止や首都追放処分を受けたが亡命を拒み,反動期80年代にも合法,非合法の境界で活動を続け,民主主義的インテリゲンチャの間に大きな影響力をもった。社会学的歴史解釈の著《進歩とは何か》(1869)はイギリスの哲学者スペンサーの社会有機体説を批判しており,ナロードニキ主義の基本文献の一つである。
彼は〈個人性の原理〉を世界観の中心にすえた。〈個人性〉とは個々の人間を互いに区別する特徴や能力ではなく,人間の分割不可能性,〈全一性〉のことである。彼は分業による社会の多様化に逆比例する個人の内面的多様化と,個人の全一性保持へと向かう運動に進歩を見た。したがって,複雑協業が支配する資本主義社会における〈疎外〉を否定し,単純協業が復活する未来の理想社会を考え,ロシアの農民と農村共同体を,発展の水準ではなく,発展の型という観点から高く評価した。ロシア独自の道を探る彼は,晩年にはマルクス主義批判を展開した。全体的にみて,インテリゲンチャとしての彼の理論は,ナロード(人民)との一体化を目指しつつ,緊張関係をはらんでいる。
執筆者:松原 広志
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…この楽観主義は政治的には穏健改良的な立場を導き,〈合法的ナロードニキ〉とよばれる人々を生み出した。 この動揺転換期に変わることなくナロードニキの哲学者として強い影響を保持したのはミハイロフスキーである。彼は,《祖国雑記》や《ロシアの富》誌などでの評論活動を通じて分業批判の進歩観,批判的主観主義を説いた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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