改訂新版 世界大百科事典 「ムカデ」の意味・わかりやすい解説
ムカデ (蜈蚣/百足)
centipede
節足動物門の1綱唇脚類のうち,ゲジ目をのぞく動物群の総称。また日本では大きなトビズムカデや,アオズムカデを単にムカデと呼ぶ場合も多い。ムカデ類は頭と胴からなり,頭には1対の触角があり,眼はあるものとないものとがある。眼は単眼の集り。口器として2対の小あご,1対の大あごのほかに1対の強大な毒爪(どくそう)と呼ばれる顎肢(がくし)があり恐れられる。胴は各1対の歩肢を両側にもつ同じような胴節が15以上177節連続してあり,それに続いて生殖節と肛門節がある。生殖節が尾端にあるのはヤスデ類よりも昆虫類に類縁が近いことを示す理由の一つである。呼吸は気管で行い,循環器は開放循環系,排出は1対のマルピーギ管で行っている。
雌雄異体。卵生。変態は2通りがあり,ジムカデ目とオオムカデ目は孵化(ふか)したときに成体と同じ胴節数をもち,脱皮ごとに漸進的な成熟に向かう微変態(整形変態)である。この群は卵塊をまとめて雌が保護する習性をもつ。他のムカデ類は1個ずつの卵を泥で包んで地中に放置し,孵化した幼虫は少ない胴節数で,脱皮ごとに体節の増える増節変態ののち,後幼生期に成熟脱皮をする。産卵から成熟まで約3年かかり,寿命は3~7年と推定されている。食性は肉食性で,昆虫,クモ,ミミズなどおもに地表,土中にすむ小型の無脊椎動物を食べるが,好みがあるらしく,青虫やナメクジなどは食べない。陸上の無脊椎動物の中では食物連鎖で高い位置を占めている。
世界に約3000種以上が知られている。日本産は約130種あり,最大は体長約15cmになるトビズムカデ,最小はメクライシムカデの約5mmである。大型のトビズムカデやアオズムカデは初夏から初秋のころにしばしば人家内に侵入し,屋内の昆虫を捕食する益虫であるが,ときに人がかまれることがある。ムカデを油に浸し火傷など外傷の薬にするが効果については不明。東アジア全体に乾燥させたムカデを精力剤その他の薬として使用する習慣がある。足が多いので〈客足がつく〉とか〈おあし(銭)が多い〉につながり縁起がよいとして芸能界や商家では殺さない習慣がある。
執筆者:篠原 圭三郎
民俗
百足と書くのはムカデが多くの足を有することによる当て字で,中国では呉公,蜈蚣の文字を当てている。形が怪奇なのとかまれるとはれて激痛があるので恐れられる。ハガチ,ムカゼなどの方言があり,天部の一つである毘沙門天の使わしめという信仰があって,これを尊敬する寺(鞍馬寺)や地方がある。また関東では赤城山の神がムカデの姿であると伝えられ,赤城神社の鳥居にはこの虫が彫刻されている。日光二荒山神社の古伝に以下のような話がある。日光権現の姿は大蛇であって,つねに山上の湖水すなわち中禅寺湖の領有をめぐって赤城明神と争ったが,赤城明神はムカデであるためつねに敗れていた。そこで日光山ろくに住む狩りの名人万治万三郎に矢を与えて助力を依頼し,万三郎は神を助けて戦場ヶ原で赤城明神の化身である巨大なムカデの両眼を射てこれを敗走させた。日光権現はおおいに喜んで万三郎に全国いたるところの山を狩場として獣を狩ることを許し,この故をもって末代まで狩猟を事とする者は万三郎を職祖と仰ぐという縁起である。この縁起は絵巻として《日光山縁起》となり,また猟師の秘巻〈山立根元記〉などの名で奥羽地方の狩猟者が伝承している。柳田国男はこの説話は,下野地方に移住した藤原一族が伝えるその祖俵藤太(藤原秀郷(ひでさと))の近江三上山の蜈蚣退治の話をもとに,日光権現を信仰する一派が構想普及したものと考えた。さらにこの俵藤太功名譚の原型は,《今昔物語集》にみえる加賀国蜈蚣島で,7人の航海者が蜈蚣に悩まされる大蛇を助け,この島に住居して子孫繁昌したという伝説にかかわって発生したものらしく思われる。
→磐司磐三郎
執筆者:千葉 徳爾
医術
ムカデのことを古代には呉公,蜈蚣,百脚,蛆(そくしよ)などといった。《医心方》巻二十六の〈虫蛇を避ける方〉には,《耆婆方(きばほう)》の〈呉公一匹を筒の中に入れて身につけよ〉という説があり,陶弘景の〈螣蛇は霧に遊べど,蛆に弱し〉ということばが添えられている。耆婆は釈迦に仕えた大臣で,耆婆菩薩とも呼ばれた医師。陶弘景撰《霊奇奥秘術》では〈ショウブの花や粉を敷物の下におくと,毒虫が寄りつかない〉といっている。ムカデは《古事記》にもみえ,須佐之男(すさのお)命が葦原色許男(あしはらのしこお)(大国主命)を呉公とハチの室(むろや)に入れたとき,須勢理毘売(すせりびめ)命が比礼(ひれ)を授けて難をのがれさせた話がある。このような責めの道具として使われるような恐ろしいムカデは,鬼や物の怪,まじないによるつきものを殺したり,瘧(おこり)や悪寒発熱,悪血や体内の結聚(けつしゆう)などを治療する薬剤として古代から使われていた。
執筆者:槙 佐知子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報