ロシアの歴史家、政治家。ジョージア(グルジア)共和国(現、ジョージア)の首都トビリシで双生児の兄弟ジョレスЖорес/Zhores(2018没)とともに生まれる。父はソ連軍政大学教官を務めた哲学者で、1930年代に粛清の犠牲となり、収容所で死亡。レニングラード大学(現、ペテルブルグ大学)哲学部を卒業し、教育学アカデミー研究員となる。1959年に共産党に入り、スターリン時代の歴史研究に従事、体制内の改革を目ざす。1969年にスターリン擁護の動きに抗議して党から除名された。1971年からソ連国外で次々に著書(『共産主義とは何か』『ソ連における少数意見』ほか)を出版し、スターリン批判を展開。1989年に党籍を回復し、ソ連人民代議員に選出され、1990年には党中央委員となった。1991年8月クーデター事件後のソ連共産党解散令に反対し、同年12月に社会主義勤労者党を創設し、共同議長となった。1993年2月のロシア連邦共産党大会には代議員として参加したが、自身は同党党員とは考えていない。1997年11月6日、十月革命80周年記念の『プラウダ5』紙に「第三のローマの崩壊」と題する長文の書評を発表している。ジョレスとの共著に『告発する! 狂人は誰(だれ)か』『フルシチョフ権力の時代』などがある。
[中西 治]
『石堂清倫訳『共産主義とは何か』上下(1973、1974・三一書房)』▽『石堂清倫訳『告発する! 狂人は誰か』(1977・三一書房)』▽『下斗米伸夫訳『フルシチョフ権力の時代』(1980・御茶の水書房)』▽『佐藤紘毅訳『ソ連における少数意見』(岩波新書)』
ロシアの政治家。9月14日、レニングラード(現、サンクト・ペテルブルグ)市生まれ。1987年レニングラード大学法学部を卒業後、同大学院に進学。1990年に私法分野で博士号取得。レニングラード市ソビエト人民代議員機関、サンクト・ペテルブルグ市長の法律顧問、同市対外関係機関などの勤務を経て、1994年、同市対外経済関係委員会の議長となったプーチンの法律顧問となる。1999年プーチンのロシア連邦首相就任に伴い、内閣官房副長官、さらに大統領府副長官に任命される。
2000年にプーチンが大統領に立候補すると、選挙対策本部責任者に就任、当選に貢献した。2003年大統領府長官、2005年第一副首相に就任。プーチン前大統領から後継者指名を受けて2008年3月の大統領選挙に立候補して圧勝。5月からロシア連邦第3代大統領に就任した。就任翌日にはプーチンが首相に就任し、プーチンの強い影響下にある政権運営を行った。任期満了に伴う2012年3月の大統領選挙ではプーチンが後継候補として出馬し当選。メドベージェフは同年5月、プーチンの大統領就任の翌日、首相に返り咲いた。2020年1月に内閣総辞職を表明、首相を退任した。
[編集部]
『中津孝司著『ロシアマネー日本上陸―メドベージェフの野望』(2008・創成社)』
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