メドベージェフ(読み)めどべーじぇふ(その他表記)Рой Александрович Медведев/Roy Aleksandrovich Medvedev

デジタル大辞泉 「メドベージェフ」の意味・読み・例文・類語

メドベージェフ(Dmitriy Anatol'evich Medvedev)

[1965~ ]ロシア連邦政治家。早くからプーチン側近としてサンクトペテルブルグ市政や国政に関与し、2005年に第一副首相就任。2008年3月の大統領選ではプーチンの後継指名を受けて圧勝。第3代ロシア連邦大統領に就任しプーチンを首相に指名した。2012年プーチンの大統領再任に伴い、自らは首相となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メドベージェフ」の意味・わかりやすい解説

メドベージェフ(Roy Aleksandrovich Medvedev)
めどべーじぇふ
Рой Александрович Медведев/Roy Aleksandrovich Medvedev
(1925― )

ロシアの歴史家、政治家。ジョージアグルジア)共和国(現、ジョージア)の首都トビリシで双生児の兄弟ジョレスЖорес/Zhores(2018没)とともに生まれる。父はソ連軍政大学教官を務めた哲学者で、1930年代に粛清の犠牲となり、収容所で死亡。レニングラード大学(現、ペテルブルグ大学)哲学部を卒業し、教育学アカデミー研究員となる。1959年に共産党に入り、スターリン時代の歴史研究に従事、体制内の改革を目ざす。1969年にスターリン擁護の動きに抗議して党から除名された。1971年からソ連国外で次々に著書(『共産主義とは何か』『ソ連における少数意見』ほか)を出版し、スターリン批判を展開。1989年に党籍を回復し、ソ連人民代議員に選出され、1990年には党中央委員となった。1991年8月クーデター事件後のソ連共産党解散令に反対し、同年12月に社会主義勤労者党を創設し、共同議長となった。1993年2月のロシア連邦共産党大会には代議員として参加したが、自身は同党党員とは考えていない。1997年11月6日、十月革命80周年記念の『プラウダ5』紙に「第三のローマの崩壊」と題する長文の書評を発表している。ジョレスとの共著に『告発する! 狂人は誰(だれ)か』『フルシチョフ権力の時代』などがある。

[中西 治]

『石堂清倫訳『共産主義とは何か』上下(1973、1974・三一書房)』『石堂清倫訳『告発する! 狂人は誰か』(1977・三一書房)』『下斗米伸夫訳『フルシチョフ権力の時代』(1980・御茶の水書房)』『佐藤紘毅訳『ソ連における少数意見』(岩波新書)』


メドベージェフ(Dmitrii Anatolievich Medvedev)
めどべーじぇふ
Дмитрий Анатольевич Медведев/Dmitrii Anatolievich Medvedev
(1965― )

ロシアの政治家。9月14日、レニングラード(現、サンクト・ペテルブルグ)市生まれ。1987年レニングラード大学法学部を卒業後、同大学院に進学。1990年に私法分野で博士号取得。レニングラード市ソビエト人民代議員機関、サンクト・ペテルブルグ市長の法律顧問、同市対外関係機関などの勤務を経て、1994年、同市対外経済関係委員会の議長となったプーチンの法律顧問となる。1999年プーチンのロシア連邦首相就任に伴い、内閣官房副長官、さらに大統領府副長官に任命される。

 2000年にプーチンが大統領に立候補すると、選挙対策本部責任者に就任、当選に貢献した。2003年大統領府長官、2005年第一副首相に就任。プーチン前大統領から後継者指名を受けて2008年3月の大統領選挙に立候補して圧勝。5月からロシア連邦第3代大統領に就任した。就任翌日にはプーチンが首相に就任し、プーチンの強い影響下にある政権運営を行った。任期満了に伴う2012年3月の大統領選挙ではプーチンが後継候補として出馬し当選。メドベージェフは同年5月、プーチンの大統領就任の翌日、首相に返り咲いた。2020年1月に内閣総辞職を表明、首相を退任した。

[編集部]

『中津孝司著『ロシアマネー日本上陸―メドベージェフの野望』(2008・創成社)』

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百科事典マイペディア 「メドベージェフ」の意味・わかりやすい解説

メドベージェフ

ロシアの政治家。ソビエト連邦時代のレニングラード(現サンクト・ペテルブルク)に生まれる。レニングラード大学大学院で博士号を取得。1990年代,当時のレニングラード市ソビエト人民代議員機関に勤務する傍ら,サンクト・ペテルブルク市長サプチャークの法律専門家として働き,そこでサプチャークの補佐官となったプーチンと知り合う。1994年同市議会の議長を務めるプーチンの顧問に就任,1999年にはプーチンの首相就任に伴い,ロシア連邦政府官房次長,大統領府第一副長官に任命された。2000年のロシア大統領選挙では,プーチン候補の選挙対策責任者として貢献,その後2003年大統領府長官,2005年第一副首相を歴任しプーチンの後継者として注目される。一方,世界最大規模を誇るエネルギー企業ガスプロムの会長を務めるなどロシアの政財界に存在感を示した。2007年12月10日プーチン大統領は自身の後継者としてメドベージェフを指名,2008年3月の大統領選挙で圧勝し,同年5月7日,42歳の若さでロシア連邦第3代大統領に就任した。大統領となったメドベージェフはプーチンを首相に指名,双頭体制が整えられた。現実主義的,自由主義的な政治信念をもつ。2008年7月の洞爺湖サミットで国際政治の舞台へデビューした。2012年3月の大統領選では,プーチンが立候補,当選を果たし,メドベージェフが首相に指名された。民主主義国家では異例の長期双頭体制である。
→関連項目北方領土問題ロシア

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メドベージェフ」の意味・わかりやすい解説

メドベージェフ
Medvedev, Dmitry

[生]1965.9.14. レニングラード
ロシアの政治家,法律家。ロシア大統領(在任 2008~12),首相(在任 2012~ )。フルネーム Dmitry Anatolyevich Medvedev。レニングラード郊外の中流階級の家庭に生まれた。1987年レニングラード大学を卒業,1990年に同大学で法学博士号を取得したのち 1999年まで母校で法律を教えた。1999年にウラジーミル・プーチンがロシア大統領代行に就任すると,側近に抜擢された。2000年の大統領選挙でプーチン陣営の選挙対策本部の責任者を務め,プーチンが当選を果たすと大統領府第1副長官に任命され,さらに国営天然ガス企業ガスプロムの会長に就任した。2003年に大統領府長官となり,その 2年後,新設された第1副首相の座についた。プーチン政権下で改革路線を掲げる有能な政治家として台頭,リベラル色が強いメドベージェフを快く思わない保守派もいたが,2007年12月プーチン大統領に後継者として指名された。2008年3月の大統領選挙で圧勝し,大統領就任式当日にプーチンを首相に指名,議会の承認を得たのち 2頭体制が発足した。2012年3月の大統領選挙にプーチンが勝利すると,プーチンの指名により入れ替わるかたちで首相に就任した。

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