アメリカの物理学者。オハイオ州の生れ。独学で数学や物理学を修得した後,1年間だけ師範学校に学び,高校教師を経てオハイオ農工大学(オハイオ州立大学の前身)の数学と物理学の教授となる。1878年10月,E.S.モースの推薦で東京大学理学部の物理学担当の外国人教師として来日,富士山頂で重力測定や天文気象の観測を行い,日本に地球物理学が芽生える契機をつくった。また,本郷本富士町に竣工した東京大学理学部観象台の観測主任となって,79年1月から2年間気象観測に従事,地震頻発を考慮して,観象台への地震計設置を主張したり,日本地震学会の創立のために貢献した。81年に帰国し,オハイオ州立大学教授,ワシントンの合衆国陸軍通信隊の教授,合衆国海岸測地局の局長,ローズ工科大学学長,ウースター工科大学学長などをつとめた。彼の遺産の一部が日本学士院に贈られて,メンデンホール記念賞の基金となっている。
執筆者:日野川 静枝
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アメリカの物理学者、お雇い外国人教師。オハイオ州ハノーバートンの近くに生まれ、ほとんど独学で物理、数学を修得した。高校教師となるが、その手腕を買われ、1873年に創立まもないオハイオ大学の工学および物理学の教授となった。1878年(明治11)東京大学の物理学講師として来日、富士山頂で重力の測定や気象観測を行い、また通俗科学講演により科学の普及に努めた。1881年に帰国し、オハイオ大学物理学教授、ローズ、ウースターの各工業大学総長などを歴任。また、海岸陸地測量局長として合衆国とカナダの国境問題や国際度量衡問題にも尽力した。1911年(明治44)ふたたび来日し勲二等に叙せられた。1932年(昭和7)、1938年には彼の寄付によるメンデンホール記念賞が帝国学士院に設けられた。
[高橋智子 2018年8月21日]
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