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モデナ モデナ Modena

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

モデナ
モデナ
Modena

イタリア北部,エミリアロマーニャ州モデナ県の県都。ボローニャ北西約 40km,アペニン山脈の北麓を通るエミリア街道の要地にあたり,州の中心都市。ケルト人の町であったがローマ時代に植民都市となり,その後異民族の侵略を受けて破壊された。

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デジタル大辞泉の解説

モデナ(Modena)

イタリア北部、ボローニャの北西約40キロメートルに位置する都市。旧市街の中心にグランデ広場があり、その北側にモデナ大聖堂がある。大聖堂は1184年に完成したロマネスク様式の傑作で、彫刻家ビリジェルモの浮き彫りでも名高い。隣接する鐘塔トッレチビカ(市民の塔)は、小さな花という意のギルランディーナの愛称で呼ばれている。1997年に「モデナの大聖堂、トッレチビカ及びグランデ広場」として世界遺産文化遺産)に登録された。

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百科事典マイペディアの解説

モデナ

イタリア中部エミリア・ロマーニャ州の都市。ボローニャの北西約40kmにあり,豊かな農業地域に囲まれ,農産物加工業の他,1920年代からフェラーリ,マセラッティなどの自動車産業が立地している。

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世界大百科事典 第2版の解説

モデナ【Modena】

イタリア北部,エミリア・ロマーニャ州の同名県の県都。人口17万9933(1981)。ポー平原の南部,エミリア街道沿いにあり,豊かな農業地域に囲まれているため,工業も農産物加工(ハム,ソーセージなどの食肉加工,酪農製品)が盛んであるが,農業機械化学肥料などの製造業も近年発展が著しい。エトルリア人の建設した都市で,ローマ時代にはムティナMutinaと呼ばれ,すでにブドウ酒,羊毛,陶器などの生産地として重要であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

モデナ
もでな
Modena

イタリア北東部、エミリア・ロマーニャ州モデナ県の県都。人口17万5442(2001国勢調査速報値)。ポー川の南に広がる平野部のエミリア街道沿いに位置する交通の要地。農産物の集散地としての伝統的機能を果たすほか、食品加工や農業機械、化学肥料の製造といった農業関連工業が盛んである。またスポーツカーの生産が行われる。1774年創設のモデナ大学がある。また、87メートルの「ギルランディーナの鐘塔」を有するロマネスク様式の大聖堂(11~13世紀)、現在は士官学校となっているドゥカーレ宮殿(17世紀)、エステ家美術館などの歴史的建造物が残る。[堺 憲一]

世界遺産の登録

大聖堂は、隣接する市民の塔(トッレ・チビカ)およびグランデ広場とともに1997年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「モデナの大聖堂、トッレ・チビカおよびグランデ広場」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。[編集部]

歴史

エトルリア人の集落として発足した。エミリア街道の建設に伴い、紀元前183年ローマの植民市となる。ラテン名ムティナMutina。紀元後4世紀に司教座が置かれた。1288年にはすでにフェッラーラに拠点を置いていたエステ家の支配下に入る。1452年同家のボルソBorso d'Este(1413―71)がモデナ公の称号を獲得、さらに1598年フェッラーラが教会領になったのを契機にモデナ公国の首都となった。その後1796年のフランス軍による占領までエステ家の支配が続き、それにちなんだ多くの建築物が建てられた。王政復古によってオーストリア・エステ家の統治が再現されるが、1860年に国民投票により公国は解体し、イタリア王国に併合された。[堺 憲一]

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