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モナコ Monaco

翻訳|Monaco

大辞林 第三版の解説

モナコ【Monaco】

フランスの南東端部に国境を接し、地中海に面する小さな立憲君主国。カジノで知られる、世界有数の観光・保養地。住民はフランス系。面積1.49平方キロメートル。人口3万( 2003)。首都モナコ。正称、モナコ公国。 〔「摩納哥」とも当てた〕

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百科事典マイペディアの解説

モナコ

イタリアの画家。〈モナコ〉は修道士の意味。アーニョロ・ガッディなどのシエナ派の絵画や国際ゴシック様式の影響を受けて,装飾的要素の濃い祭壇画や壁画,ミニアチュールなどを制作。
→関連項目リッピ[父子]

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世界大百科事典 第2版の解説

モナコ【Monaco】

正式名称=モナコ公国Principauté de Monaco面積=1.95km2人口(1996)=3万人首都=モナコMonaco(日本との時差=-9時間)主要言語=フランス語通貨=フランFrancヨーロッパ南部,地中海に臨む小公国。フランス南東部,イタリアと国境を接するアルプ・マリティム県に背後を取り囲まれ,南はコート・ダジュールに面した世界第2の小国である。国土はアルプス前地の山が海岸に迫った,幅200~500m,長さ3kmの細長い沿岸部を占める。

モナコ【Lorenzo Monaco】

1370ころ‐1423ころ
イタリアの画家。〈モナコ〉はイタリア語で〈修道士〉の意で,カマルドリ会の修道士であったためこう呼ばれる。おそらくシエナに生まれ,おもにフィレンツェで活動。当時フィレンツェではマサッチョらによって三次元的な空間構成と人間的感情の表現を追究する革新的美術が行われていたが,これに対し彼は国際ゴシック様式に共通する洗練された色彩と流麗な線描を駆使して,装飾的な,また時に超自然的な宗教性を備えた作風を展開した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

モナコ
Monaco

正式名称 モナコ公国 Principauté de Monaco。
面積 2.02km2
人口 3万6900(2014推計)。

ヨーロッパ西部,フランス南東部,地中海に面する保養地コートダジュールにあり,ニースの東 14kmに位置する国。バチカン市国に次ぐ世界第2の小国。温帯冬雨気候(地中海式気候)で,平均気温は 1月 10℃,8月 24℃,雨は年間 60日程度しか降らない。住民の約 3割はフランス人で,モナコ人とイタリア人がそれぞれ約 2割を占める。ほかに,その他ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国,アジアなどから来た人々が居住。住民の大部分はキリスト教徒。公用語はフランス語であるが,英語,イタリア語も広く用いられる。古代ギリシア・ローマ時代には重要な港として繁栄。13世紀からジェノバのグリマルディ家領となり,1793~1814年にフランスに主権を奪われたが,1861年今日の国土に縮小されて主権を回復。1911年に憲法を制定。1918年フランス・モナコ保護友好条約を結び,フランスの保護国となった。2005年フランス・モナコ保護友好条約に代わるフランス・モナコ友好協力条約が発効し,外交の自由が認められ,2006年日本との間にも外交関係が結ばれた。行政上はモナコビル,ラコンダミーヌ,モンテカルロフォンビエイユの 4地区に区分。モナコビルには政庁のほか,宮殿,聖ニコラ大聖堂,海洋博物館などがある。先史時代から古代ギリシア・ローマ時代にいたる遺物や美術品などを所蔵する博物館もある。オレンジ,オリーブなどの果樹や熱帯性の植物,地中海に臨む海岸美,南国的な風景などの観光資源に富み,世界的観光地として発展。財政は商取引税のほか,モンテカルロにあるカジノの収益,たばこや切手の販売などによる。ヨーロッパ連合 EUには加盟していないが,通貨はユーロを使用。タックス・ヘイブンの国としても知られ,世界各国の富豪が移住していることでも有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

モナコ
もなこ
Monaco

南ヨーロッパの地中海に臨む小国。フランス南東部のアルプ・マリティーム県に周囲を囲まれている。正称モナコ公国Principaut de Monaco。面積2平方キロメートル、人口3万3000(1999推計。2008年センサスでは3万1109)。首都モナコ市。世襲制立憲君主国であるが、独立国とはいえフランスとの関係が強く、人口の40%前後はフランス人であり、公用語もフランス語である。通貨もフランス・フランが使われていたが2002年よりユーロとなった。モナコ国民は1割ほどにすぎず、他はイタリア人、イギリス人などで、イタリア語も通じる。モネガスクMongasque(モナコ語の意)とよばれる方言も使われる。1993年5月国際連合に加盟。[青木伸好]

国土

地中海に沿って長さ3キロメートル、幅200~500メートルにわたり、背後に山地を控えた帯状をなす。コート・ダジュールの東部に位置し、平均気温は1月10℃、7月23.3℃、年降水量758ミリメートルと気候は温暖で、風光明媚(めいび)なことから世界的な観光・保養地となっている。とくに避寒地として知られ、ホテルやカジノなどの施設が整っている。国内は北からモンテ・カルロ、ラ・コンダミーヌ、首都モナコ市、フォンビエイユの4区からなる。モナコ市は、かつて要塞(ようさい)であった王宮や、政庁を中心とする行政区域で、ロシュ(岩)とよばれる高さ65メートルの岬一帯を占める。ビザンティン様式を模した大聖堂(1884~87)、海洋研究家であったアルベール1世Albert (在位1889~1922)のつくったモナコ海洋博物館(1910。地下にヨーロッパ有数の水族館がある)、アフリカの植物を移植したサン・マルタン公園などがある。フォンビエイユは首都の南側の地区で、海岸部は埋立てにより造成され、リキュールや香水などの軽工業が立地する。首都の北側の港に面する一帯がラ・コンダミーヌ地区で、商業・業務区域となっている。アルベール公が修築させた東向きの港は、入口の深さ27メートル、面積1万8900平方メートル、豪華ヨットが多数係留されている。モンテ・カルロ地区は、カジノ、美術館、海水浴場を備え、ホテルが建ち並ぶ観光区域となっている。[青木伸好]

政治・経済

レーニエ3世Rainier (1923―2005)は1949年に即位した。レーニエは1911年制定の憲法を59年に停止し、国民議会を解散して国政改革を図り、62年新憲法を制定して議会の権限を拡大した。新憲法により結社の自由を認めるなど国民の基本的自由を保障し、政党も存在する。しかし政治は大公の親政で、定員24の国民議会(一院制、任期5年)が助言するにとどまっている。所得税はなく、徴兵制もとられていないが、儀仗(ぎじょう)兵を兼ねた警察官がいる。宗教はカトリックで、バチカン直属の司教がいる。レーニエは、1956年ハリウッド女優グレース・ケリーを公妃に迎えて話題をまいたが、82年9月公妃は自動車事故で死亡した。
 従来この国の経済はカジノの収益と観光業に支えられてきたが、観光客が大衆化するに及び、経済停滞を招いている。カジノの株の過半は外国人が所有し、趣味家向けの切手発行やたばこ専売、金融業による財政収入も多くはない。そのため、フォンビエイユ、ラ・コンダミーヌ両地区の繊維、機械、印刷、薬品、食品、陶器、ガラスなどの工業の振興を図り、観光から工業立国への転換が行われている。しかし観光がこの国の主要な産業であることに変わりはない。フランスとは1963年に関税および財政に関する協定を結んでおり、防衛もフランスが保障する。95年に中国と外交関係を結んだ。モナコの屈曲した一般道路を使用して行われる自動車レースは世界的に有名で、毎年1月にモンテ・カルロ・ラリー、5月にF1(フォーミュラ・ワン)のモナコ・グランプリ・レースが開かれ、多くの観客を集めている。[青木伸好]

歴史

モナコの歴史は古代フェニキア人が植民したことに始まる。ヘラクレスを祀(まつ)った神殿があったと伝えられ、この神殿をモナイコスMonaikos(「唯一の」の意)とよんだのが国名の由来とされる。その後この港をギリシア人、ローマ人が利用し、ローマ時代は貿易港として栄えた。その後イスラム教徒の支配を受け、10世紀にジェノバのグリマルディ家が200年間のイスラム教徒の支配を排して覇権を確立したが、所属は確定しなかった。11世紀にはジェノバの支配下に入り、12世紀には神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)の手に落ちた。その後はフランス、スペインも支配をうかがうなど激動を迎えたが、1297年ふたたびグリマルディ家が支配することになり、東のロクブリュヌ、マントンにまで所領が広がるが、最終的には1419年に同家の所領となった。その後スペインの保護下に置かれたが、1641年にはペロンヌ条約でフランスの保護領となった。1731年アントアーヌ1世の時代でグリマルディ家の男系が絶え、娘婿ゴヨン・マティニョンが同家を継いだ。しかし1793年からはフランス領となり、1814年のウィーン会議の結果グリマルディ家に返却されたが、サルデーニャの保護下に置かれた。1861年、ロクブリュヌ、マントンがフランスの所属となって今日の国土が確定し、フランスの保護下で独立した。以後、保養地としてのコート・ダジュールの発展に伴い、カジノやホテルが開設されることとなった。1911年までは絶対君主制であったが、アルベール1世によって憲法が定められ、政治改革が行われて絶対君主制が廃止された。アルベールの後継ルイ2世には嗣子(しし)がなく、レーニエ3世は、相続権を継いだルイの娘シャルロットの子である。[青木伸好]

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世界大百科事典内のモナコの言及

【シエナ派】より

…シモーネにつづいてメンミLippo Memmi(1317‐46活動),ロレンツェッティ兄弟(ピエトロおよびアンブロージョ)が現れ,ピエトロはよりドラマティックな表現を得意とし,逆にアンブロージョの華やかな色彩と繊細な感覚とが,14世紀末から開花する国際ゴシック様式への道を準備する。15世紀のシエナ派は前世紀ほどの隆盛と影響力を見せなかったが,のちにフィレンツェで活躍するL.モナコは敬虔で魅力ある宗教画を描き,サセッタ,ジョバンニ・ディ・パオロ,サーノ・ディ・ピエトロSano di Pietro(1406‐81)らは流行の国際ゴシック様式に,シュルレアリスムを想起させる幻想的な雰囲気を添えた。16世紀初頭には,ロンバルディア出身のソドマがシエナに定住し,レオナルド・ダ・ビンチ風の様式を紹介する一方,盛期ルネサンスからマニエリスムへの過渡期を示す作品を残した。…

※「モナコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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